平和な回
平和すぎる町に、専門家が集まり始めたのは、誰のせいでもない。
強いて言うなら、
「異常なし」という一文を、王都が律儀に公表したせいだ。
あれ以来、この町は
“研究対象として完璧すぎる町”になってしまった。
最初に来たのは、危機管理学者だった。
「危険が発生していない状態が長期間続くのは、極めて不自然です」
そう言って、町の入り口で立ち止まり、
なぜか一歩踏み出す前に地面を見つめている。
「……ここ、罠は?」
「ないです」
「なるほど……“ない”という罠ですね」
違う。
次に来たのは、魔物心理学者。
「魔物が寄りつかない町、非常に興味深い」
町の外周を歩きながら、
何もない草原を見て、何度も頷いている。
「この沈黙……圧を感じます」
感じていない。
「町全体が、無意識の威圧を放っている可能性がありますね」
それはたぶん、空気だ。
三人目は、平和研究家だった。
「争いがない状態が長く続くと、人は逆に不安になる」
その通りだが、
だからといって広場の真ん中で講演を始める必要はない。
「この町は今、“平和疲れ”の兆候が見られます!」
町民がざわつく。
やめてくれ。
気づけば、町は専門家だらけになっていた。
紙を持って歩き回る者。
意味ありげに頷く者。
同じ場所を三回通る者。
全員、何かを調べているが、
誰一人として、同じ結論に辿り着いていない。
「君」
俺はまた捕まった。
今度は、自称・平和構造解析士。
「この町で、何か“違和感”を感じないか?」
「……感じません」
「それだ!」
何が。
「違和感を感じないこと自体が、違和感なんだ!」
分からない。
別の専門家が割り込んでくる。
「いや、それは正常です」
「いやいや、異常です」
「統計的に見れば――」
「心理的には――」
俺の前で議論が始まる。
俺はただ、パンを買いに来ただけだ。
昼。
町の掲示板は、専門家の張り紙で埋め尽くされた。
「平和指数測定中」
「危機予兆観測地点」
「特に意味はないが注意」
意味がないなら貼るな。
午後。
専門家同士が対立し始めた。
「この町は安全だ!」
「いや、危険だ!」
「いや、危険だと思わせるほど安全だ!」
議論は高度になっていくが、
現実は一切変わらない。
子どもは走り、
パン屋はパンを焼き、
俺は巻き込まれる。
「あなた!」
今度は合同研究チームに呼び止められた。
「この町で、何か象徴的な存在はいませんか?」
象徴。
全員の視線が、なぜか俺に集まる。
「彼ですか?」
「可能性はある」
「“平和の中核”……」
やめろ。
夜。
専門家たちは会議を開いた。
結論は出なかった。
だが、全員一致した点が一つだけある。
「この町は、調べれば調べるほど、分からない」
それは、ただの町だからだ。
翌朝。
専門家たちは去っていった。
理由は簡単だった。
「研究対象として、変化がなさすぎる」
褒めてない。
町は、元に戻った。
掲示板も、
意味不明な張り紙が剥がされ、
いつもの依頼だけが残る。
俺は空を見上げて、つぶやく。
「……何もないって、そんなに悪いことか」
誰も答えない。
平和な町は、
今日も何事もなく、
一番うるさい日常を続けている。




