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巨大な前足が振り下ろされる。
レナは噴水の縁に足を引っかけたまま、こちらを見る。
一瞬、目が合う。
嫌な間だ。
「避けろぉぉぉ!」
叫んだ瞬間。
ドォンッ!!
石畳が砕け、水が爆ぜ、噴水が半壊する。
水しぶきが夜空に舞う。
視界が白くなる。
「レナ!!」
返事がない。
終わったかと思った次の瞬間。
水の中からニュッと頭が出る。
「ぶはっ! 鼻に入った!!」
生きてた。
本当にしぶとい。
黒殻の獣は、わずかに首を傾ける。
「今の、効いてないの?」
レナが水浸しのまま立ち上がる。
「効いてるかどうかは知らんが、向こうはだいぶ苛立ってる!」
事実だ。
さっきまでの“のそのそ”が消えた。
動きが荒い。
踏み込みが深い。
広場の石畳が次々に割れていく。
町長にあとで怒られるやつだ。
いや、生き残ったら怒られよう。
黒殻の獣がレナに体を向ける。
明確に敵認定している。
よかった。
町は二の次らしい。
レナが剣を構える。
髪から水が滴る。
「で、どうする?」
「さっきの脚の内側、もう一回だ!」
「怒ってるよ?」
「知ってる!」
黒殻の獣が突進する。
遅いと思っていたが違う。
速い。
重い。
広場の中央を一直線に潰しながら迫る。
レナが横へ跳ぶ。
俺は叫ぶ。
「右!」
「どっちから見て!?」
「お前基準!」
レナがとりあえず斜めに走る。
結果オーライ。
黒殻の獣が方向転換する。
その瞬間。
甲殻の継ぎ目が露わになる。
「今!」
レナが踏み込む。
だが、読まれている。
前足が横薙ぎに振られる。
レナが防御する。
剣と甲殻がぶつかる。
衝撃。
レナが後ろへ吹き飛ぶ。
石畳を滑る。
「ぐっ……重っ……!」
黒殻の獣が、さらに踏み込む。
追撃。
まずい。
本気でまずい。
俺は周囲を見る。
使えそうなもの。
瓦礫。
噴水の残骸。
ロープ。
ロープ?
視界の端に、屋台の装飾用ロープが見える。
いや、無理だろ。
だが他に案がない。
俺はロープを掴む。
「何してるの!?」
後衛の一人が叫ぶ。
「絡める!」
「何を!?」
「脚!」
無茶だ。
分かってる。
だがあの脚が崩れればバランスを失う。
レナが再び立ち上がる。
息が荒い。
それでも笑う。
「なんか思いついた?」
「雑なのだ!」
「いつもじゃん!」
うるさい。
黒殻の獣が再び踏み込む。
その瞬間。
俺は走る。
正面ではない。
側面へ。
死角に入る。
ロープを投げる。
脚の根元に引っかける。
もちろん一周で止まるわけがない。
だが一瞬、絡まる。
「レナ!」
「なに!」
「斬れ!」
「どこを!」
「絡んでるとこ!」
雑だ。
だがレナは理解する。
突っ込む。
ロープごと脚の内側へ剣を叩き込む。
ロープが引き裂かれる。
同時に、甲殻の継ぎ目に刃が滑り込む。
今度ははっきり聞こえた。
ズガン、と鈍い破砕音。
黒殻の獣の体が、大きく傾く。
広場が揺れる。
おお、と誰かが声を上げる。
だが次の瞬間。
黒殻の獣が全身を震わせる。
甲殻が軋む。
淡い光が走る。
嫌な予感。
「離れろ!」
レナが跳ぶ。
俺も転がる。
次の瞬間。
衝撃波。
空気が弾ける。
瓦礫が吹き飛ぶ。
広場の端まで押し戻される。
耳がキーンと鳴る。
視界が揺れる。
黒殻の獣は、まだ立っている。
だが。
脚の一部から、黒い液体が垂れている。
血かどうかは分からない。
だが、確実に傷は入った。
レナがふらつきながら立つ。
「効いてるよね?」
「ああ」
「じゃあ勝てる?」
俺は黒殻の獣を見る。
怒りで動きが荒れている。
だが鈍ってもいる。
脚をかばっている。
「……たぶん」
レナが笑う。
「たぶんかー」
黒殻の獣が、低く体を沈める。
今までと違う構え。
嫌な予感しかしない。
「ねえ」
レナが言う。
「なんか溜めてない?」
俺も気づく。
甲殻の隙間から、淡い光が漏れている。
魔力。
吸ったやつだ。
まさか。
「逃げ――」
言い切る前に。
広場の中心が、白く光った。
最悪の予感が、当たろうとしている。




