ヒルダ旅立ちの回
ヒルダが王都遠征固定になってから一ヶ月。
噂はもう噂じゃなかった。
王都ギルドが正式に声をかけたらしい。
引き抜き。
なんか強そうな単語だ。
俺は壁際でその話を聞いた。
いつもの場所。
変わらない景色。
その日、ギルドは少しだけ騒がしかった。
中央に人だかり。
ヒルダがいる。
書類を持っている。
真面目な顔だ。
俺は近づかない。
近づく理由が分からない。
受付が俺を見る。
「行かなくていいんですか?」
「何にです?」
「見送り」
単語が重い。
夕方。
馬車が来る。
王都行き。
立派だ。
俺の人生に一度も必要なさそうな車輪だ。
ヒルダが荷物を抱えて立っている。
前より装備が増えている。
杖も新しい。
軽い光をまとっている気がする。
気のせいかもしれないが。
周囲が声をかける。
「向こうでも頑張って!」
「王都でも有名になりますよ!」
「白の灯火、万歳!」
灯火は王都仕様になったらしい。
俺は少し離れたところにいる。
いつも通り、立っている。
ヒルダが気づく。
目が合う。
昔みたいに。
でも今回は逃げ場がない。
彼女が歩いてくる。
「……来てくれないかと思いました」
「立ってただけです」
「それ、昔からですよね」
少し笑う。
あの畑の頃の笑い方だ。
少し沈黙。
周囲の声が遠くなる。
「王都、行きます」
「らしいですね」
「怖いです」
意外だった。
強くなったはずなのに。
「でも」
「行かないと、立ち止まる気がして」
その言葉は重い。
俺は何も言えない。
俺は今も立っている。
文字通り。
ヒルダが小さく言う。
「最初、一緒に畑に立ってくれて」
「嬉しかったです」
やめろ。
そんな綺麗なまとめ方。
俺は何もしていない。
「あなたがいなかったら」
「多分、あそこで終わってました」
俺は反射で言う。
「終わってません」
珍しく即答だった。
「ヒルダは勝手に伸びました」
本音だ。
彼女は少しだけ目を潤ませて笑う。
「それでも」
「最初に隣に立ってくれたのは、あなたです」
やめろ。
評価が上がる。
俺の中で。
馬車の準備が整う。
御者が声をかける。
時間だ。
ヒルダが一歩下がる。
「元気で」
普通の言葉。
でも重い。
俺は考える。
何か言うべきか。
成長しろとか。
頑張れとか。
柄じゃない。
「……王都でも」
「立つの忘れるなよ」
最低の応援だ。
でもヒルダは笑った。
「はい」
「ちゃんと立ちます」
馬車が動く。
車輪の音。
砂煙。
だんだん小さくなる。
俺は追わない。
走らない。
叫ばない。
ただ立つ。
昔と同じ。
やがて馬車は見えなくなる。
ギルドの前が静かになる。
受付が隣に来る。
「行きましたね」
「ええ」
「寂しいですか?」
二回目だ。
俺は少し考えてから言う。
「……畑、増えますかね」
最低だ。
受付が呆れた顔をする。
でも少し笑う。
翌日。
掲示板中央にヒルダの名前はない。
王都だから当然だ。
代わりに端に、いつもの紙。
【畑警戒】
俺はそれを取る。
指が土の匂いを思い出す。
畑に立つ。
風が吹く。
カラスもどきが一羽降りる。
俺を見る。
俺も見る。
動かない。
違うのは一つだけ。
後ろに祈る声がない。
それだけだ。
ヒルダは王都へ行った。
俺は町に残った。
隣に立つ人はいなくなったが、
立つこと自体は変わらない。
そして俺は思う。
あいつはきっと、
王都でも光る。
俺はここで、
相変わらず目立たない。
それでいい。
……多分。




