独り歩きする回
朝。
町が、変だった。
音はある。人もいる。
なのに、全体的に「遠慮している」。
誰かが咳払いをすると、周囲が一斉に振り向く。
扉がきしむと、なぜか謝られる。
犬が吠えたら、飼い主が口を塞ぐ。
俺はその中を歩いていた。
いつも通り、畑仕事用の汚れた靴で。
(……これ、俺が場違いなやつじゃない?)
露店の商人が、俺を見るなり値札を引っ込めた。
「今日は、結構です」
「いや、買うとは言ってない」
「いえ、その……“今日は静か”と……」
何の話だ。
ギルドに着くと、扉が半開きだった。
いつもなら朝から騒がしいのに、今日は息を殺している。
中に入ると、全員が一瞬でこちらを見た。
見て、すぐ目を逸らした。
(なんでだよ)
受付嬢が、緊張で肩を固くして立っている。
「おはようございます」
「あっ……お、おはようございます参謀殿」
殿つけ禁止。
「畑の依頼、あります?」
その瞬間、空気が凍った。
受付嬢の後ろで、誰かが小さく息を呑んだ。
奥の机で、書類を持つ手が止まった。
「……その……」
「ない?」
「い、いえ、あるにはあるんですが……」
掲示板を指差される。
そこには、見慣れない文言が並んでいた。
【参謀殿の示唆により、全体待機】
【参謀殿の判断を受け、出動見合わせ】
【参謀殿の発言を精査中】
精査されている。
「……俺、何か言った?」
受付嬢は、覚悟を決めた顔で言った。
「昨夜、宿で……」
ああ。
思い出す。
酒。
眠気。
女将の無駄に長い世間話。
「今日は静かだといいですね」
それだけだ。
天気の話より薄い一言だ。
だが、それがどう広がったか。
まず、宿の常連が言った。
「参謀が“静かだ”と言った」と。
次に、それが「今日は動かない」という意味に変換された。
さらに、「敵が動くのを見越して、あえてそう言った」に変わった。
最後には、こうなった。
――参謀殿、戦況の沈黙を予測。
予測していない。
「俺、畑の話のつもりだったんだけど」
「……やはり」
何がやはりだ。
その日、町は完全に様子見になった。
勇者パーティは装備を整えたまま動かず、
魔法使いは呪文を唱えかけてやめ、
僧侶は理由もなく祈り続けた。
敵も、なぜか動かなかった。
「……参謀の読み通りだな」
勇者が、感心した顔で頷いたらしい。
一方、俺。
畑の端に立っていた。
いつもなら来るはずのカラスもどきも来ない。
土は静かで、風だけが無駄に穏やかだ。
(……今日は、本当に何も起きないな)
その瞬間。
町の鐘が鳴った。
警報ではない。
勝利でもない。
「異常なし」の鐘。
誰かが言った。
「参謀の言葉通りだ」
「やはり、敵は沈黙した」
「沈黙を作り出すのも、戦略か」
戦略じゃない。
その日の夜。
王都の記録係は、真面目な字で書いた。
――参謀殿、発言のみで戦場の流れを制御。
制御していない。
布団に転がりながら、俺は天井を見た。
(……もう、黙ってた方がいいな)
翌朝。
ギルドの掲示板に、新しい張り紙が増えていた。
【参謀殿への雑談・世間話・天気の話、禁止】
禁止されたのは、俺の雑談だった。
その横に、こっそり貼られていた。
【畑の見張り(静かな日)】
俺はそれを剥がし、ため息をついた。
世界が勝手に深読みしている間も、
畑だけは、相変わらず正直だった。
何も起きない日は、
本当に、何も起きない。
……俺の評価以外は。




