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フロラヴァータ  - 3299の花たちと…記録にない、ひとりの少女の物語 - FLORAVATAお子様向けバージョン  作者: shaton


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第一章 GATE :第五話 大守護者(だいしゅごしゃ)の試し(前編)

 その夜、少女はほとんど眠(ねむ)れなかった。

 神殿(しんでん)の小さな客間に用意された寝床(ねどこ)はやわらかく、窓(まど)の外からは、夜に咲(さ)く花の香りが静かに流れ込(こ)んでいた。それでも目を閉(と)じるたびに、群(む)れを割(わ)った白い光と、衛士(えじ)――守りの役目の兵士――の冷たい声とがよみがえって、少女は何度も寝返(ねがえ)りを打った。枕元(まくらもと)に置いた白い花だけが、暗がりの中でかすかに青白く光っては消えていた。まるで、少女の代わりに眠らずに見張(みは)っていてくれるかのように。

「(試しって、何をするんだろう)」

 答えてくれる者はいなかった。少女は花の方へ手を伸(の)ばし、花びらのはしにそっと指を触(ふ)れさせたまま、夜が明けるのを待った。

◇

 守護院(しゅごいん)は、街の東の高台にあった。

 白くみがかれた硬(かた)い木の幹(みき)が何本もからみ合って壁(かべ)となり、その周りを、背丈(せたけ)よりも高い棘(とげ)の生垣(いけがき)が、何重にも取り囲(かこ)んでいる。花の街の中にありながら、そこだけは、咲くためではなく、誰(だれ)かを入れないために作られた場所のように見えた。

 門をくぐると、朝の光がまっすぐに差し込む廊下(ろうか)の壁に、古い防具(ぼうぐ)がずらりと掛(か)けられていた。割れた兜(かぶと)、ぐしゃりとつぶれた籠手(こて)、真ん中から真っ二つに裂(さ)けた盾(たて)。どれも手入れはされているのに、傷(きず)だけは、消されないまま残されていた。

「守って、壊(こわ)れたものよ」

 隣(となり)を歩いていたルクシエルが、小さな声で言った。

「守護院では、捨(す)てずに飾(かざ)るの。誰かを守ったしるしだからって」

 少女は、裂けた盾の前で思わず足を止めた。その傷の深さに、胸(むね)がひやりとした。これほどの傷を受けながら、この盾は、誰かの前に立ち続けたのだ。

 廊下を抜(ぬ)けた先に、丸い庭が広がっていた。

 試しの庭と呼(よ)ばれるその場所は、少女が思い描(えが)いていたさびしい広場とは、まるで違(ちが)っていた。背(せ)の低い花々が、一面を絨毯(じゅうたん)のように埋(う)めている。白、薄紅(うすべに)、淡(あわ)い黄色。朝露(あさつゆ)をのせた花びらが日を受けてきらめき、風が渡(わた)るたびに、庭全体がやわらかく波打った。こんなにきれいな場所で、何を試すというのだろう。

 庭のふちには、もうたくさんの者が集まっていた。白い防具の衛士たちが、同じくらいのすきまをあけて並(なら)び、その後ろの生垣のすきまからは、うわさを聞きつけた街の者たちが、押(お)し合うように中をのぞき込んでいる。クラウゼとリト、マリエナも、少女のすぐ後ろで見守っていた。少し離(はな)れたところには、石板と細い筆のようなものを手にした見慣(みな)れない者が立っていて、少女の姿(すがた)を見るなり、何かを熱心に書きつけはじめた。

「研究院(けんきゅういん)の記録係よ」

 ルクシエルが、眉(まゆ)をひそめてささやいた。

「あなたのこと、めずらしい生き物か何かだと思ってるのよ」

◇

「その者が、門を開いた娘(むすめ)か」

 庭の奥(おく)から、低く、よく通る声が響(ひび)いた。

 衛士たちが、いっせいに背筋(せすじ)を伸ばす。声の主は、ゆっくりと庭の真ん中へ歩み出てきた。背が高く、岩を削(けず)り出したようにどっしりとした体つきの男だった。その背には、大きな白い翼(つばさ)が、重たげにたたまれている。左腕(ひだりうで)には、体の半分をおおうほどの大きな盾。その表面には、きのうの衛士たちの胸にあったのと同じ、盾の形をした花のしるしが刻(きざ)まれていた。身につけた白い防具は、衛士たちのものよりも古く、ところどころに細かな傷が走っている。短く刈(か)った髪(かみ)は色の抜けた灰色(はいいろ)がかった金色で、目元には深いしわが走っていた。

 何より少女の心をとらえたのは、男のまなざしだった。怒(いか)っているのではない。憎(にく)んでいるのでもない。ただ、少女のことを、ひとつの見落としもないように、すみずみまで確(たし)かめようとしている目だった。

「大守護者(だいしゅごしゃ)、セレフィア・エルディだ」

 男は、名乗った。その胸元(むなもと)で、硬く引きしまった形の花紋(かもん)が、短く一度だけ光った。

「はっきり言おう。私(わたし)は、君を信用していない」

 庭の空気が、ぴんと張(は)りつめた。

「記録にない者。言葉なしに開いた門。自分から根を離れた神殿の花。どれも、この街の誰ひとり見たことのないものだ。それがこうも続けて起きたのなら、見過(みす)ごすわけにはいかん。この街を守る者として、私は君が何者なのかを確かめなければならない」

「大守護者殿(だいしゅごしゃどの)」

 クラウゼが一歩進み出た。

「この子は目覚めて、まだ二日もたっておりません。神殿としては、試しの前に、もう少し時間を――」

「時間を与(あた)えて、そのあいだに何かが起きたら、そのとき神殿が、責任(せきにん)をとれるのか」

 セレフィアはクラウゼを見もせずに言った。クラウゼは言葉につまり、黙(だま)り込んだ。少女は、その固く握(にぎ)りしめられた拳(こぶし)に気づいた。自分を、かばおうとしてくれている。けれど、大守護者にそれ以上さからうことはできないのだ。神殿と守護院のあいだには、少女にはまだ見えない線が引かれているのだろう。

「試しは簡単(かんたん)なものだ」

 セレフィアは、少女に向き直った。

「衛士のひとりが、君に打ちかかる。君はそれを、どんなやり方でもいい、切りぬけてみせろ。逃(に)げても、防(ふせ)いでもかまわん。ただし――」

 彼(かれ)の目が、少女の腕(うで)の中の白い花に落ちた。

「その花は、置いていけ」

 少女は、思わず花を抱(だ)きしめた。

「いや」

 声が、勝手に出ていた。自分でも驚(おどろ)くほど、はっきりとした声だった。

「花を盾にされては、試しにならん」

「たてになんかしない。でも……はなれたくない」

 セレフィアの眉が、わずかに動いた。まわりの衛士たちがざわめく。

「わたしが持ってる」

 隣から、ルクシエルが両手を差し出した。

「あなたのすぐそばで、ずっと持ってる。離れないわ。それならいいでしょう?」

 少女はルクシエルを見た。ルクシエルは、少しだけ笑ってうなずいた。少女は長いあいだためらい、それから、震(ふる)える指で、そっと花をルクシエルの手に移(うつ)した。

 手のひらが、急(きゅう)に空っぽになった。その軽さが、とても心細かった。

◇

 庭の真ん中に、少女はひとりで立たされた。

 向かい合って進み出たのは、少女とあまり背丈の変わらない、若(わか)い衛士だった。手にしているのは、先を布(ぬの)で包んだ、練習用の長い槍(やり)。けれど布の上からでも、その先が硬く重いことは、構(かま)えただけでわかった。

 そして、セレフィアが腕を上げた。

「――照らせ」

 その声とともに、彼の盾から白い光が溢(あふ)れ出した。

 きのう群れを割ったのと同じ種類の、けれどそれよりもずっと強く、ずっと冷たい光だった。光は庭じゅうに広がり、少女の足元の影(かげ)を薄(うす)くしていく。咲き乱(みだ)れていた白や薄紅や淡い黄色の花々が、みるみる色を失い、冬の朝のように白くなっていった。

「影のない場所では、何も隠(かく)せぬ。見せてみろ。君が、何者なのかを」

 若い衛士が、地面を蹴(け)った。

 少女は、何も考えられなかった。ただ夢中(むちゅう)で、体を横へ投げ出した。槍の先が、ついさっきまで少女の肩(かた)があったところを、うなりを上げて通り過(す)ぎる。着地した足が花を踏(ふ)みつけ、茎(くき)の折れるかすかな音が、足の裏(うら)から伝わってきた。

「(ごめん)」

 とっさに、胸の中で謝(あやま)っていた。けれど、息をつく間もなく、次の突(つ)きが来た。少女は転がるようにしてよける。膝(ひざ)が地面をこすり、腕が花をなぎ倒(たお)す。若い衛士の足もまた、花々を次々に踏み荒(あ)らしていった。白くなった花びらが、ちぎれて宙(ちゅう)に舞(ま)う。

 三度目の突きをよけきれず、槍の柄(え)が少女のわき腹(はら)をかすめた。にぶい痛(いた)みに息がつまり、少女は花の中に倒れ込んだ。

「立て」

 セレフィアの声が、光の向こうから響いた。

「守護院が知りたいのは、君が倒れる姿ではない」

 少女は、歯を食いしばって顔を上げた。

 そのとき、目の前に、それが見えた。

 倒れ込んだ少女のすぐ鼻先で、一輪(いちりん)の小さな花が、なんとか折れずに立っていた。まわりの花はみな踏みつぶされ、ちぎれ、白く色を奪(うば)われて横たわっている。その中で、たった一輪だけが、震えながら、それでも茎をまっすぐに伸ばしていた。なぜだか、その花から目が離せなかった。小さな声で、呼ばれたような気がした。

 若い衛士が、次の突きのために踏み込んでくる。その足が、ちょうどその一輪の上へ降(お)りようとしていた。

「――だめ!」

 少女は、考えるより先に動いていた。槍をよけるためではなく、その花の上におおいかぶさるために。

 槍の先が、少女の背中(せなか)へ振(ふ)り下ろされる。

 その瞬間(しゅんかん)、少女の体の奥で、何かが目を覚ました。


(第五話 前編 了(りょう))


次回 第五話「大守護者(だいしゅごしゃ)の試し」後編


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