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フロラヴァータ  - 3299の花たちと…記録にない、ひとりの少女の物語 - FLORAVATAお子様向けバージョン  作者: shaton


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第一章 GATE : 第五話 大守護者(だいしゅごしゃ)の試し(後編)

 その瞬間(しゅんかん)、少女の体の奥(おく)で、何かが目を覚ました。

◇

 光だった。

 少女の手首の内側から、泉(いずみ)のほとりの庭でルクシエルが見つけたのと同じ、形の決まらない淡(あわ)い光がにじみ出した。けれど今度は消えなかった。光は手首から腕(うで)へ、腕から背中(せなか)へと広がり、少女の全身を包み込(こ)む。青白い、あの花と同じ色の光だった。

 振(ふ)り下ろされた槍(やり)が、少女の背中の上で止まった。いや、止められた。触(ふ)れる寸前(すんぜん)で、見えない何かにはじかれたように跳(は)ね返り、若(わか)い衛士(えじ)――守りの役目の兵士――の手を離(はな)れて、弧(こ)を描(えが)いて飛んでいく。乾(かわ)いた音を立てて地面に落ちたその柄(え)は、真ん中から、きれいにふたつに裂(さ)けていた。

 そして、庭の色が変わった。

 セレフィアの白い光が満ちていたはずの庭で、少女の体を中心にして、失われていた色が、波紋(はもん)のように戻(もど)りはじめたのだ。白くなっていた花びらに薄紅(うすべに)が差し、淡い黄色がよみがえり、踏(ふ)みつけられた茎(くき)の緑が、ゆっくりと深さを取り戻していく。消えかけていた少女の影(かげ)が、青白い光の中で、くっきりと地面に落ちた。

 影を消す光と、色を取り戻す光。ふたつの光がぶつかり合う境目(さかいめ)で、空気が細かく震(ふる)えていた。

 少女は、その光の中で、一瞬(いっしゅん)だけ、何かを見た。地面に落ちた自分の影の中に、細く鋭(するど)い線が一本、走ったのだ。空を割(わ)るような、ひと筋(すじ)の光。夢(ゆめ)の中で、十二の影のひとつとして見た形。耳の奥で、あの声が遠くこだまする。

 ――もう一度。

 光は、来たときと同じように、とつぜん消えた。

 少女は、花の上におおいかぶさったまま、荒(あら)い息をついていた。そっと身を起こすと、体の下で、あの一輪(いちりん)の小さな花が、何事もなかったかのように、薄紅色(うすべにいろ)の花びらを朝日に向けて開いていた。

◇

 庭は、静まり返っていた。

 若い衛士は、裂けた槍を、あっけにとられたように見下ろしたまま、その場に立ちつくしている。まわりを囲(かこ)んでいた衛士たちの中には、思わず腰(こし)の武器(ぶき)へ手をかけている者もいた。生垣(いけがき)の向こうの街の者たちは、息をのんだまま、誰(だれ)ひとり声を上げない。ただ、研究院(けんきゅういん)の記録係が夢中(むちゅう)で筆を走らせる音だけが、かすかに聞こえていた。

 セレフィアの盾(たて)からは、いつのまにか光が消えていた。

 彼(かれ)は、長いあいだ黙(だま)って少女を見つめていた。その顔から、何を思っているのかを読み取ることはできなかった。けれど、盾を握(にぎ)る左手が、わずかにこわばっているのを、少女は見た。

「……答えろ」

 ようやく、セレフィアが口を開いた。

「今の力は、守るためのものか。それとも、壊(こわ)すためのものか」

 少女は、裂けた槍を見た。それから、自分の体の下で咲(さ)いている、小さな花を見た。

「……わからない」

 正直に、そう答えた。

「自分でも、何が起きたのか、わからない。でも……花がふまれるのは、いやだった。それだけ」

 セレフィアの目が、ほんのわずかに見開かれた。

 彼の目が、ゆっくりと庭を巡(めぐ)った。踏み荒らされ、ちぎれ、それでも少女を中心に色を取り戻しつつある花々。そして、庭の入口の向こうに見える、廊下(ろうか)の壁(かべ)の傷(きず)だらけの防具(ぼうぐ)へ。

「武器を持つ理由は、ふたつしかない」

 セレフィアは、誰に言うでもなく、低くつぶやいた。

「守るためか、攻(せ)めるためかだ。……私(わたし)は今、どちらのために、あの若い衛士に、この子へ槍を向けさせたのだろうな」

 その言葉の意味は、少女にはまだわからなかった。けれど、そうつぶやいたセレフィアの横顔は、どこか苦しそうに見えた。自分の力を何のために使えばいいのか、この大きな男も迷(まよ)っているのかもしれない、と少女は思った。

「大守護者殿(だいしゅごしゃどの)」

 クラウゼが、静かに歩み出た。

「試しは、もうこれで十分ではないでしょうか」

「十分ではない」

 セレフィアは首を振った。

「力があることはわかった。だが、それが何なのかは、何ひとつわかっていない。わからない力は、わかる力よりもずっと危(あや)ういのだ」

 衛士たちが、その言葉にかすかにうなずく。一方で、生垣の向こうからは、ひそひそと別の声がもれ聞こえてきた。「花を守ったんだぞ」「あんな子を試すなんて」怖(こわ)がる者と、かばう者。同じ光景を見ていたはずなのに、誰もが違(ちが)うものを見ていた。

 セレフィアは、少女の前まで歩み寄(よ)った。見上げるほどの背丈(せたけ)だった。けれど、もう、群(む)れを割った衛士たちのような冷たさは感じなかった。

「君の名は」

 少女は、答えられなかった。きのうと同じように、唇(くちびる)を開き、閉(と)じた。

「……ないのか」

「……はい」

「ならば、覚えておけ」

 セレフィアの声は、厳(きび)しかった。けれど、その奥に、何か別のものが混(ま)じっていた。

「守護院(しゅごいん)は、名のない者を記録できない。記録できない者は、守護院の守りの外にいる。何かが起きても、私たちは君を守ることができない。……私は、守れないものを抱(かか)えるのが、何よりも嫌(きら)いだ」

 少女は、セレフィアを見上げた。

 この大きな男は、ただ自分を疑(うたが)って試したのではなかった。その奥にあったのは――守れないことへの、おそれだった。

 名前がない。それは、きのうまでは、さびしさのことだった。呼(よ)ばれないこと。振り返れないこと。光れないこと。けれど今、目の前の大守護者(だいしゅごしゃ)は、名前がないことを、守れないことだと言っている。名前は、自分のためだけのものではないのかもしれない。誰かが自分を守ろうとしてくれるとき、その手がかりになるものでもあるのだ。

「(名前が、ほしい)」

 胸(むね)の中の願いが、きのうとは少し違う重さを持って、そこに沈(しず)んでいた。

◇

 張(は)りつめた空気が、ようやくほどけかけたときだった。

 くすくす、と、誰かが笑う声がした。

 少女は顔を上げた。ルクシエルも、セレフィアも、衛士たちも、声の出どころを探(さが)してあたりを見回す。けれど、庭のどこにも、笑っている者の姿(すがた)は見えなかった。

 ふわり、と、風が吹(ふ)いた。

 庭じゅうの、踏みつけられた花々が、いっせいに揺(ゆ)れた。折れた茎までが、何かに呼ばれたように、かすかに動く。庭のすみずみから、ちぎれた花びらが風に乗って舞(ま)い上がり、まるで誰かの手に招(まね)かれるように、一か所へ集まっていく。

「まあまあ、ひどいありさまねえ」

 笑いを含(ふく)んだ、鈴(すず)を転がすような声が、今度ははっきりと、頭の上から降(ふ)ってきた。

 舞い上がった数えきれない花びらが、少女たちの頭の上で渦(うず)を巻(ま)いている。その渦の真ん中で、何かが、小さく、きらきらと輝(かがや)いていた。

「わたしの庭で、朝からこんなに花を泣かせたのは、どなたかしら?」

 セレフィアの顔が、みるみるこわばっていくのを、少女は見た。大守護者が、初めて見せる顔だった。


(第五話 了(りょう))


次回 第六話「百花(ひゃっか)の大妖精(だいようせい)」


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