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フロラヴァータ  - 3299の花たちと…記録にない、ひとりの少女の物語 - FLORAVATAお子様向けバージョン  作者: shaton


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第一章 GATE:第四話 雪鐘(スノードロップ)の白光(はっこう)(前編)

 広場いっぱいのざわめきが、波が引いていくように静かになっていった。

 白い光の真ん中に立つ誰(だれ)かは、声をかけたあと、しばらく少女を見つめていた。やがて小さく息をつくと、ゆっくりと歩き出す。一歩進むたびに、その足元から、白い光が薄(うす)い霜(しも)のように広がっていく。

 光に触(ふ)れた根の道の影(かげ)は、形がぼやけて薄くなった。店先につるされた色とりどりの花飾(はなかざ)りも、朝の日を浴びているはずなのに、雪をかぶったように白っぽく見えた。

 道を行き来していた者たちは、誰に言われたわけでもないのに、自然と道をあけた。小さな妖精(ようせい)が店の軒下(のきした)へ隠(かく)れ、形のゆらゆらした精霊(せいれい)が、そっと細い道の奥(おく)へ下がっていく。

 誰かが、小さな声でささやくのが聞こえた。「エリトアの家の……」「雪鐘(スノードロップ)の子だ」その声には、敬(うやま)う気持ちと、ほんの少しのおびえとが混(ま)じっていた。

 近づいてきたのは、少女より少しだけ年上に見える女の子だった。銀色に近い、淡(あわ)い金色の髪(かみ)を、肩(かた)のあたりで切りそろえている。背中(せなか)には、雪のように白い翼(つばさ)をたたんでいた。

 胸元(むなもと)には、鐘(かね)の形をした飾(かざ)りがあった。飾りと飾りのあいだには、鈴(すず)のようにうつむいて咲(さ)く小さな白い花が、いくつもつながっている。歩くたびにその花がかすかに揺(ゆ)れて、よく耳をすまさなければ聞こえないほどの、澄(す)んだ音を立てていた。

 女の子は、少女の数歩手前で立ち止まった。そしてまわりを見回し、道をあけて遠くから見ている者たちに気づくと、ほんの一瞬(いっしゅん)、唇(くちびる)をきゅっと結んだ。

 胸元の白い花に、そっと指先を添(そ)える。それだけで、あたりをおおっていた白い光がすうっと引いていき、根の道の上に影が戻(もど)ってきた。花飾りに、ゆっくりと元の色が戻っていく。

 少女は、その横顔を見ていた。光をしまったとき、女の子の目に浮(う)かんだのは、ほっとした気持ちではなかった。もっとさびしそうな、何かをあきらめたような色だった。

「(この子は、自分の光が好きじゃないのかもしれない)」

 なぜそう思ったのか、少女自身にもわからなかった。

◇

「門が咲く音、この街のはしからはしまで響(ひび)いてたわ」

 女の子は、今度は少女の目をまっすぐに見て言った。さっきまでの張(は)りつめた響きは消えて、何でも知りたがるような、はずんだ声だった。

「鐘守(かねもり)の塔(とう)の上から見ていたの。始原花門(しげんかもん)が、言葉もなしに開くなんて。あんな開き方、塔の記録にはなかったから……」

「ルクシエル殿(どの)」

 少女の後ろから、クラウゼが一歩進み出た。声はていねいだった。けれどそこには、これ以上踏(ふ)み込(こ)ませないという、固さがあった。

「この子は今、神殿(しんでん)が預(あず)かっております。塔のお嬢(じょう)さまとはいえ、遠慮(えんりょ)していただきたい」

「わかっています、管理長。おひさしぶりです」

 女の子は形だけ小さく頭を下げ、それからまた少女の方へ目を戻した。クラウゼが眉(まゆ)を寄(よ)せるのも気にせず、自分の胸(むね)に手を当てる。

「わたしは、ルクシエル。エリトア・ルクシエル。雪鐘の花から生まれたの」

 その名前を口にした、そのときだった。ルクシエルの首の下のあたり、襟元(えりもと)からのぞく肌(はだ)の上で、小さな花の形をした模様(もよう)が、ふっと光った。うつむいて咲く、小さな鐘のような花の形だ。それは、彼女(かのじょ)が名乗るあいだだけ淡く輝(かがや)き、言い終えると、ゆっくりと消えていった。

 そしてクラウゼが、ため息まじりに「ルクシエル殿」ともう一度呼(よ)んだとき、その模様は、さっきとは少し違(ちが)う色で光った。自分で名乗ったときの光よりも、ほんの少しだけ温かく、やわらかな色だった。

 少女は、息をするのも忘(わす)れて、その光を見つめていた。

 自分で名乗ったときと、誰かに呼ばれたときとで、光の色が違う。名前は、ただの呼び名ではないのだ。自分が自分であることを確(たし)かめるための、そして、誰かとつながっていることを確かめるための、小さな明かりなのだ。

「あなたは?」

 ルクシエルが、首をかしげてたずねた。少しも身構(みがま)えていない、ごく自然な問いだった。この街では誰もが、生まれたときから当たり前のように持っているものを、たずねただけなのだ。

 少女は口を開き、そして、閉(と)じた。

 広場のざわめきが、遠くなった気がした。答えなければと思うほど、胸の奥の引き出しが空っぽなことが、冷たくはっきりしていく。クラウゼも、リトも、マリエナも、何も言わなかった。言えることが、誰にもないのだ。

「……ないの」

 やっとのことで出した声は、自分でも驚(おどろ)くほど小さかった。

「名前、ないの。記録にも、どこにも」

 ルクシエルの目が、少しだけ大きく開いた。

 少女は、うつむいたまま体を固くした。かわいそうに、と思われるのだろうか。それとも、市場の店主のように、きょとんとされるのだろうか。どちらでも、きっと同じくらい、胸が痛(いた)む。

 けれど、ルクシエルの様子は、そのどちらでもなかった。彼女は少女の前にしゃがみ込み、下からのぞき込むようにして、少女の顔を見上げたのだ。

「そう」

 短く、それだけ言った。そして少しのあいだ黙(だま)り込み、それから、ぽつりと続けた。

「わたしの名前はね、生まれた夜に、神殿の石に刻(きざ)まれたの。エリトアの家に生まれた、雪鐘の花の子だから、ルクシエル。光(ルクス)を守り(シエル)なさいって。……でも、ときどき思うのよ。もし自分で選べたら、わたしは、どんな名前にしたのかなって」

 少女は、顔を上げた。

 ルクシエルは、もう笑っていた。けれどその笑顔の奥を、さっき光をしまったときと同じ色が、一瞬だけ通り過(す)ぎていった。

「だから、名前がないって、わたしにはちょっとだけ、うらやましい」

「(うらやましい?)」

 少女は、とまどった。名前のない自分は、名前を持つ誰かをうらやましく思っている。それなのに、名前を持つ誰かが、名前のない自分をうらやましがっている。そんなことが、あるのだろうか。

◇

 広場の目から離(はな)れるために、ルクシエルは少女たちを、通りの外れにある小さな庭へ連れていった。低い石垣(いしがき)に囲(かこ)まれた中に、小さめの花たちが肩を寄せ合うように咲いていて、真ん中には、細い水がわき出る丸い泉(いずみ)があった。

 クラウゼはいやそうな顔のままついてきたが、マリエナが「若(わか)い者同士で話すのも、悪くありませんよ」とやんわり言って、自分は少し離れた石の台に腰(こし)を下ろした。リトは、少女のそばを離れようとしなかった。

「この子は、ゆうべ神殿で目覚めたばかりです。……あまり、驚かせないでいただきたい」

 石垣を背(せ)にしたまま、クラウゼが低く言いそえた。ルクシエルはふっと真顔になり、少女の顔を見つめ直した。

「何も知らないなら、最初から話すね」

 泉のふちに腰かけると、ルクシエルは指先で水面をなぞりながら言った。

「わたしたちは、フロラヴァータ。管理長からも聞いたかもしれないけど、花の本当の姿(すがた)が、別の命の形をとって生まれた者のこと。花がひとりで咲いて、ひとりで散るだけじゃなくて、歩いたり、笑ったり、誰かを好きになったりできるようになった姿、って言えばいいのかな」

「わたしたちはみんな、生まれたときから、自分の花を知ってる。花名(かめい)と、体のどこかに刻まれた花紋(かもん)。花紋はね、名前を呼ばれると光るの。花が、呼ばれたことに気づいて、目を覚ますみたいに」

「……呼ばれ方で、光の色が変わるのは?」

 少女がたずねると、ルクシエルは少し驚いたように目をぱちぱちさせた。それから、うれしそうに笑った。

「よく見てたのね。そう、変わるの。自分で名乗るときは、自分の中の光だけ。誰かに呼ばれるときは、その誰かの気持ちが、少しだけ混ざる。だから、大切な相手に呼ばれると、いちばんきれいに光るのよ」

 少女は、広場でのことを思い出していた。白い光が広がったとき、誰もが自然と道をあけ、小さな者たちは物陰(ものかげ)に隠れた。

「さっき、みんな道をあけてた。どうして?」

「光が、怖(こわ)いから、かな」

 ルクシエルは水面に目を落としたまま答えた。

「光はね、この街では、正しさのしるしみたいに思われてるの。……わたしの家も、光の家って呼ばれてる。雪鐘の光は、影を消すでしょう。影がないところでは、誰も隠れられない。だから、正しさを照らすための光なんだって、小さいころから教えられてきたの」

 彼女は、胸元の白い花に触れた。

「でも、さっき広場で見たでしょう。わたしが光ると、みんな道をあける。小さい子は隠れちゃう。照らしたいんじゃないのに。わたしはただ、あなたを見つけて、うれしくて、声をかけただけなのに」

 少女は何も言えなかった。ただ、泉の水の音だけが、ふたりのあいだを静かに流れていた。


(第四話 前編 了(りょう))


次回 第四話「雪鐘(スノードロップ)の白光(はっこう)」後編


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