↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フロラヴァータ  - 3299の花たちと…記録にない、ひとりの少女の物語 - FLORAVATAお子様向けバージョン  作者: shaton


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/12

第一章 GATE :第三話 始原花門(しげんかもん)(後編)

 胸(むね)の奥(おく)で「(前にも、一度)」という言葉が、小さな棘(とげ)のように残った。

◇

 開ききった門の向こうから、光が溢(あふ)れ込(こ)んできた。

 あまりのまぶしさに、少女は思わず目を閉(と)じた。まぶたの内側が赤く染(そ)まる。次の瞬間(しゅんかん)、音と匂(にお)いがいっせいに押(お)し寄(よ)せてきた。

 風の音。葉がこすれ合う音。遠くや近くで重なり合う、たくさんの話し声。そして、息をするたびに胸いっぱいに広がる、甘(あま)くて、すがすがしくて、少しほろ苦い、数えきれない花の香り。

 おそるおそる目を開けて、少女は言葉をなくした。

 足元のずっと下に、街が広がっていた。けれどそれは、少女が「街」という言葉からぼんやり思い描(えが)いていたものとは、まるで違(ちが)っていた。

 家々は、石を積んで建てられているのではなかった。大きな大きな茎(くき)から枝分(えだわ)かれするように育っていて、屋根は何重にも重なった葉や花びらでできている。建物と建物のあいだには太い蔓(つる)が橋のように渡(わた)され、その上を誰(だれ)かが軽やかに行き来していた。

 そして、そこに生きている者たち。

 光を透(す)かす翼(つばさ)を背中(せなか)に持った者が、蔓の橋の上をゆうゆうと飛び越(こ)えていく。その下では、少女の手のひらほどの小さな者たちが、薄(うす)い羽を震(ふる)わせて花から花へと飛び回り、小鳥のように笑い合っている。道のはしには、体の形が水面のように揺(ゆ)らいで、向こうの景色がうっすら透けて見える者が立っていた。

 誰もが違っていた。姿(すがた)も、大きさも、歩き方も。それなのに、誰もがごく当たり前のように、同じ朝の中で暮(く)らしていた。

「……っ」

 少女は、花を胸に引き寄せた。足が、門の敷居(しきい)から一歩も動かなかった。

 広すぎる。明るすぎる。多すぎる。ついさっきまで、世界は冷たい石の広間と、一輪(いちりん)の花だけでできていたのに。

「怖(こわ)いですか」

 いつのまにか隣(となり)に立っていたマリエナが、おだやかにたずねた。少女は首を振(ふ)りかけて、それから、正直に小さくうなずいた。

「それでいいのですよ。初めて外を見たら、誰だって怖いものです。怖くないのは、ちゃんと見ていない者だけです」

◇

 クラウゼの案内で、少女たちは坂を下り、街の中を進んでいった。

 足元は石畳(いしだたみ)ではなく、固く踏(ふ)みしめられた根の道だった。その両側には市場が広がり、ずらりと店が並(なら)んでいる。朝露(あさつゆ)を小さな入れ物に集めて売る店。色とりどりの種を、はかりで量って売る店。蜜(みつ)の甘い匂いを漂(ただよ)わせる店。

「ここに暮らす者たちはみな、花の本当の姿が、それぞれの形をとって生まれた者だ」

 歩きながら、クラウゼが少女に向かって、ぽつりと口を開いた。

「翼を持つ天使、小さな羽の妖精(ようせい)、決まった形を持たない精霊(せいれい)。私(わたし)たちはそれを系統(けいとう)――生まれによる大きな仲間分け――と呼(よ)んでいる。系統は、全部で五つある」

 少女は、あらためて通りを見わたした。行き交う者たちが、ときどき少女の抱(かか)える花に目をとめ、それから少女の顔を見て、ふしぎそうに首をかしげた。

「おや、神殿(しんでん)から来た子かい」

 種を売る店の前で、小さな羽を持った店主が、ひょいと少女の目の高さまで飛び上がってきた。髪(かみ)の毛のかわりに細い花糸(かし)が揺れていて、声は鈴(すず)の音のように高い。

「門をくぐる子はたいてい、まず自分の花名(かめい)を名乗るもんだけどね。あんた、名前は?」

 少女は、答えられなかった。唇(くちびる)を開いては閉じ、また開いて、けっきょく何も言えずにうつむいた。

 店主はきょとんとした。それから少女の手の中の花をのぞき込んで、ふうんと鼻を鳴らした。

「白い花……このあたりじゃ見ない花だねえ」

「見ない、だって?」

 隣の店で蜜を量っていた、年をとった者が、ゆっくりと振り返った。体の輪郭(りんかく)が、ゆらゆらと揺れている。

「わしは見たことがあるよ。ずっと昔……いや、いつだったかな。夢(ゆめ)だったかもしれん」

 店主は「またじいさんの昔話が始まった」と笑って、自分の店先へ戻(もど)っていった。けれど少女は、その場から動けなかった。

 見たことがない、と言う者がいる。見たことがある、と言う者もいる。同じことをたずねても、答える者によって、答えは違う。この世界は、ひとつの問いに、ひとつの答えを返してはくれないのだ。

 通りのあちこちで、誰かが誰かの名前を呼んでいた。呼ばれた者は振り返り、笑い、手を振って答える。そのたびに、呼ばれた者の体のどこかで、淡(あわ)い光がふっと灯(とも)るのが見えた。

「(名前って、あんなふうに光るんだ)」

 うらやましい、と思った。そう思ってしまった自分に、少し驚(おどろ)いた。

 そのときだった。すぐ後ろで、誰かが澄(す)んだ声で名前を呼んだ。その響(ひび)きがあまりにもまっすぐだったので、少女は考えるより先に振り返っていた。

 でも、その声が向けられていたのは、少女ではなかった。薄い羽を持った小さな子が、少女の横をすり抜(ぬ)けるようにして、声の方へ飛んでいく。待っていた誰かの腕(うで)の中へ、その子は飛び込んだ。その肩(かた)のあたりで、ぽっと、花が開くような光が灯った。

 少女は、振り返った格好(かっこう)のまま、しばらく動けなかった。頬(ほお)が、じんわりと熱くなった。呼ばれてもいないのに振り返ってしまったことが、ひどく恥(は)ずかしかった。

 その恥ずかしさが少しずつ引いていったあと、もっと静かで、もっと冷たいものが、胸の底に沈(しず)んで残った。

「(わたしを呼ぶ声は、どこにもないんだ)」

 耳を澄ますと、通りは名前でいっぱいだった。そのひとつひとつが、迷(まよ)うことなく、誰かのもとへ届(とど)いていく。その真ん中に立つ少女は、まるで川の流れの中に置かれた小石のようだった。水はいくらでもまわりを流れていくのに、ひとしずくも、小石のために立ち止まってはくれない。

 少女は、手の中の花に目を落とした。

「……あなたには、名前があるの?」

 ささやくようにたずねても、花は答えなかった。

 ふと、夢の中で聞いたあの声を思い出す。もう一度咲(さ)きたいかと、あの声はたずねた。けれど、少女の名前を呼びはしなかった。あの声でさえ、わたしを呼ばなかったのだ。

 少女は、小さく唇を開いてみた。自分で自分に、何か名前をつけてみればいいのではないかと思ったのだ。けれど、喉(のど)の奥で形になりかけた音は、どれも誰かから借りてきたもののように薄っぺらで、口に出す前に消えてしまった。

 名前は、自分ひとりで決めて、自分ひとりで口にしても、きっと光らない。呼んでくれる誰かがいて、初めて灯るものなのだ。

「(呼ばれたい)」

 その思いは、あまりにも小さく、あまりにも正直だった。誰かに呼ばれたい。その声に、迷わず振り返りたい。振り返った先で、ここにいるよと光りたい。そのための、わたしだけの名前がほしい。

「(わたしは、何になるんだろう)」

 少女は花を抱き直した。白い花は何も言わず、ただ朝の光を受けて、かすかに揺れていた。

◇

 街の真ん中にある広場へさしかかったときだった。

 細く透きとおった音が、ひとつ鳴った。「(……呼ばれた?)」

 鐘(かね)の音に似(に)ていた。けれど、もっと細く、冷たく、氷の中に閉じ込められた小さな泡(あわ)が、雪どけといっしょにはじけるような音だった。

 広場を行き交っていた者たちが、ふと足を止める。少女もまた、思わず顔を上げた。

 広場の向こうで、光が満ちていた。まぶしく輝(かがや)いているのではない。ただ、その一角だけ、足元に落ちていた影(かげ)が薄くなり、やがて消えていくのだ。花々の色が白っぽくうすれて見え、空気そのものが、しんと静まり返っていく。

 その光の真ん中に、誰かが立っていた。胸元(むなもと)に白い花と鐘の形の小さな飾(かざ)りをつけたその誰かは、まっすぐにこちらを見つめていた。

「――その花を抱えた子」

 澄んだ声が、広場を越えて届いた。

「あなたでしょう。さっき、言葉もなしに門を開いたのは」


(第三話 了(りょう))


次回 第四話「雪鐘(スノードロップ)の白光(はっこう)」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。