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フロラヴァータ  - 3299の花たちと…記録にない、ひとりの少女の物語 - FLORAVATAお子様向けバージョン  作者: shaton


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第一章 GATE :第三話 始原花門(しげんかもん)(前編)

 神殿(しんでん)の外へ向かう長い廊下(ろうか)は、奥(おく)へ下っていったときとは、まるで違(ちが)う場所のように感じられた。少女が一歩進むごとに、壁(かべ)の花紋(かもん)の光り方が、だんだんゆっくりになっていく。そのかわりに、どこからともなく流れ込(こ)んでくる空気が、少しずつ温かくなっていった。

 冷たい石の匂(にお)いの向こうに、少女の知らない匂いが混(ま)じりはじめていた。湿(しめ)った土と、日に温められた葉と、数えきれないほどたくさんの花の匂いだった。

 足には、出かけるときにリトがくれた、やわらかな草編(くさあ)みのはき物をはいていた。石の冷たさしか知らなかった足の裏(うら)が、少しくすぐったい。

 両手の中の白い花は、ほどけた根を少女の指にやわらかくからませたまま、静かに息をしているようだった。落とさないように、つぶさないようにと気をつけるあまり、少女の肩(かた)には、いつのまにか力が入っていた。それに気づいたリトが、隣(となり)を歩きながら小さく笑った。

「そんなに固く持たなくても、その花は逃(に)げないと思うよ。自分から君のところへ来たんだから」

 少女はこくりとうなずいた。けれど、指の力を抜(ぬ)くことはできなかった。この花だけが、今の自分と世界とをつないでいる、たったひとつの糸のように思えたのだ。

 前を行くクラウゼは、一度も振(ふ)り返らなかった。その少し後ろを、杖(つえ)をついた記録守(きろくもり)――記録を守る役目の者――のマリエナが、ゆっくりと歩いていた。

 マリエナが街までいっしょに行くと言い出したとき、クラウゼははっきりといやそうな顔をした。けれどマリエナは「古い石のことは、古い者にしかわかりませんよ」とだけ言って、さっさと支度(したく)をすませてしまったのだった。

◇

 長い廊下の終わりに、それはあった。

 門と呼(よ)ぶには、あまりにも大きかった。見上げても、てっぺんが見えないほどの高さだ。その扉(とびら)が、何枚(なんまい)もの大きな花びらのように重なり合って、閉(と)じている。

 扉の表面には、足元からはるか高いところまで、びっしりと花が彫(ほ)り込まれていた。咲(さ)いている花、蕾(つぼみ)のままの花、散りかけの花。下の方の彫り物は、くっきりとして新しい。けれど上へ行くほど線が浅くなり、風や雨ですり減(へ)って、ついには何の形なのかもわからなくなっている。

「始原花門(しげんかもん)だ」

 クラウゼが、門を見上げたまま言った。

「この神殿が建てられるよりも前から、ここにあったと伝えられている。開くには、決められた言葉がいる」

 クラウゼは門の前に進み出ると、両手を胸(むね)の前で重ねた。そして、低く澄(す)んだ声で、何かを唱えはじめた。少女には意味のわからない言葉だった。けれど、まるで歌のように、上がったり下がったりする声だった。

 その声が、廊下の高い天井へ吸(す)い込まれていく。それにつれて、門に刻(きざ)まれた花々の溝(みぞ)に、ごく薄(うす)い光が、細い水のように流れ込んでいった。

 けれど、その言葉が半分にも届(とど)かないうちに、少女の手の中で花が光った。

 ゆうべと同じ、青白い光だった。少女は思わず息をのんだ。その瞬間(しゅんかん)、花の光は、クラウゼの声が流し込んでいた薄い光を押(お)しのけるようにして、門の溝を一気に駆(か)け上がっていった。

 足元から高いところへ。根から茎(くき)へ、茎から花へ。刻まれた花のひとつひとつが、下から順に青白く灯(とも)っていく。そして門全体が、地の底から響(ひび)くような、低いうなりを上げた。

 そのふるえは、足の裏から膝(ひざ)へ、膝から胸へと伝わってきた。そして、いつのまにか少女の心臓(しんぞう)の音と、同じ速さで打っていた。はるか頭の上から、細かな石の粉が、白い雪のようにさらさらと降(ふ)ってくる。

 重なり合っていた扉の花びらが、いちばん内側の一枚(いちまい)から、ゆっくりと外へ反り返りはじめた。一枚が開けば、その外の一枚が、さらにその外の一枚が、あとに続いていく。石でできているはずの花びらが、やわらかくしなった。

 花びらと花びらのあいだに生まれた細いすきまから、外の光が糸のように差し込んできた。光の糸は一本、また一本と増(ふ)えていき、やがて束になって、薄暗(うすぐら)い廊下の床(ゆか)に金色の筋(すじ)を描(えが)いていった。

 その筋の先は、どれもまっすぐに、少女の足元へと伸(の)びていた。温かな風が吹(ふ)き込み、少女の髪(かみ)をやわらかく持ち上げる。それは「開く」というより、「咲く」という言葉のほうがぴったりの光景だった。

 唱える声がとちゅうで途切(とぎ)れ、クラウゼは目を見開いた。胸の前で重ねていた両手が、ゆっくりとほどけて下がっていく。「(私(わたし)の言葉ではない)」と、クラウゼは思った。「(門は、この子に応(こた)えている?)」

 長い年月この神殿を預(あず)かり、数えきれないほどこの門を開いてきた。そのクラウゼでさえ、一度も見たことのない開き方だった。いつもの言葉で開くのは、下の方の花びら数枚(すうまい)だけだ。上の花びらまで動くところなど、前の管理長からさえ聞いたことがない。

 記録にない少女。自分から根を離(はな)れた花。そして今、言葉を待たずに咲いた門。ひとつだけなら、偶然(ぐうぜん)と呼べた。だが、三つ重なれば――

 少女は、門のいちばん上を見上げていた。すり減って形をなくしていたはずの古い彫り物の中で、ほんの一瞬(いっしゅん)、ひとつの輪が薄く光ったのが見えたのだ。

 燃(も)えるような、輪。夢(ゆめ)の中で見た、あの形。胸の奥を、細い糸で引かれたような気がした。

「……言葉を、最後まで唱えていないのに」

 リトが、あっけにとられたようにつぶやいた。いつのまにか、半歩後ろへ下がっていた。そのことに自分で気づいて、慌(あわ)てて足を戻(もど)す。「(怖(こわ)がっちゃいけない)」と、リトは自分に言い聞かせた。

 ゆうべ、柱の陰(かげ)から見守っていた少女は、膝を抱(かか)えて花のそばに座(すわ)る、心細そうな子どもにすぎなかった。けれど今、光の筋の真ん中に立つその小さな背中(せなか)は、リトの知っているどんな者とも違って見える。それでも、ゆうべ「怖い」と打ち明けた自分に、「わからない」と正直に答えてくれたのは、確(たし)かにこの子だったのだ。

 マリエナだけが、驚(おどろ)いた様子も見せずに門を見上げていた。けれど、杖を握(にぎ)るその指には、関節が白く浮(う)き出るほど強く力がこもり、かすかに震(ふる)えていた。

「(おばあさま。あの話は、本当だったのですね)」

 小さいころ、眠(ねむ)る前に何度もせがんでは聞かせてもらった、古い古い話。あのころは、ただのおとぎ話だと思っていた。

「昔、祖母(そぼ)から聞いたことがあります。この門は一度だけ、誰(だれ)の言葉もなしに、ひとりでに開いたことがあるのだと」

「そんな記録は、どこにもない」

 クラウゼが、硬(かた)い声で言った。マリエナは小さく肩をすくめた。

「ええ。ですから、わたしは『聞いた』と申し上げたのですよ」

 少女は、ふたりの顔を見比(みくら)べた。記録にないこと。けれど、誰かが覚えていること。そのどちらが本当なのか、少女には決めることができなかった。

 ただ、自分に向けられる目が、ついさっきまでとはどこか違ってしまったことだけは、はっきりとわかった。おそれと、とまどいと、遠い何かを懐(なつ)かしむような色。そのどれもが、自分ではない誰かを見ているようだった。少女は、花を抱く腕(うで)に、そっと力をこめた。

 胸の奥で「(前にも、一度)」という言葉が、小さな棘(とげ)のように残った。


(第三話 前編 了(りょう))


次回 第三話「始原花門(しげんかもん)」後編


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