表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/21

第七話 濡れた髪と未完成のウェブサイト

 小鳥遊琴葉との同居が決まった夜、最初に確認しなければならないことは多かった。


 滞在期間、学校への通学、寝る場所、両親への連絡方法。家に他人を預かる以上、曖昧なままにはできない。


 ただ、そのどれより先に対処すべき問題があった。


「夕食は食べたか?」


 リビングのローテーブルでノートパソコンを操作していた小鳥遊へ尋ねる。


 返事はない。


 代わりに、ポケットの中でスマートフォンが震えた。


『食べていません』


「昼は?」


『覚えていません』


「何を食べたか覚えていないのか?」


『食べたかどうかを覚えていません』


 予想よりもひどかった。


「腹は減っているか」


 小鳥遊はしばらく自分の腹へ視線を落とし、判断できないように首を傾けた。


 またスマートフォンが震える。


『たぶん』


「食事を取ったかどうかくらい、自分で把握してくれ」


『作業をしていると忘れます』


「忘れるな。人間は定期的に食べる必要がある」


『エラーが出ないので』


「空腹がエラーだ」


『作業中は気づきません』


 プログラムに没頭すると、食事を忘れる。本人はそれを特別なことだと思っていないらしい。


 小鳥遊の父親が面倒を見てほしいと言った理由が、痛いほどよく分かった。


「アレルギーは?」


『ありません』


「食べられないものは?」


『辛いもの』


「カレーは甘口だ」


 小鳥遊は小さく頷いた。


「できるまで待っていろ。今日は何もしなくていい」


『手伝わなくていいんですか』


「何ができる?」


 返事が止まった。


『見ています』


「それは手伝いではないな」


 それでも小鳥遊はノートパソコンを閉じ、キッチンまでついてきた。


   ◇◆◇◆◇


 鶏肉と野菜を切り、鍋で炒める。


 小鳥遊はキッチンの入口に立ったまま、俺の手元を見つめていた。


 フードはまだ被ったままで、丸い眼鏡の奥にある目だけが、包丁の動きを追っている。


「座って待っていてもいいぞ」


 小鳥遊は首を横へ振った。


「料理に興味があるのか?」


 今度は少し考えてから、スマートフォンを操作する。


『どうして、レシピを見ないんですか』


「何度も作っているから覚えている」


『材料の量は?』


「だいたいでいい」


『だいたい』


「ああ」


『再現性がありません』


「御影と同じことを言うな」


 鍋へ水を加えると、小鳥遊はまた画面へ文字を打ち込んだ。


『御影さんにも料理を教えているんですか』


「あいつは今、米と味噌汁を覚えているところだ」


『御影さんの家で?』


「ああ」


『二人きりで?』


「料理教室に人数は関係ないだろ」


 小鳥遊は返事をしなかった。


 しかし、スマートフォンを持つ指だけが動いている。文章を書いては消しているらしい。


「何だ」


『何でもありません』


「そうか」


 ルーを入れ、弱火で煮込む。待っている間にサラダを用意し、二人分の皿とスプーンを並べた。


 小鳥遊は最初から最後まで、その場を動かなかった。


「おいおい覚えていけばいい」


 声をかけると、小鳥遊が顔を上げた。


「今日は移動もあったし、疲れているだろ。ただこの家にいる間、食事を忘れることだけは俺が認めない」


『高槻さんが作るんですか』


「当面はな」


『毎日?』


「お前の滞在期間による」


『分かりません』


「何が」


『いつまでいるのか、聞いていません』


 父親だけでなく、本人にも期間が伝えられていないらしい。


「両親には連絡できるか?」


『仕事中は難しいです』


「二人とも?」


『はい』


「どんな仕事なんだ」


『システム障害の対応です。しばらく帰れないと言われました』


 何のシステムかまでは書かれなかった。父親が世話になっているエンジニアという話から考えれば、簡単に仕事を離れられない状況なのだろう。


 だからといって、娘の滞在期間くらいは決めておいてほしい。


「あとで親父に確認する。とりあえず食べよう」


 完成したカレーをローテーブルへ運ぶ。


 小鳥遊は椅子ではなく、床に座ったまま皿を見つめていた。


「冷めるぞ」


 スプーンを持ち、慎重に一口食べる。


 咀嚼し、飲み込み、また皿を見る。


「辛いか?」


 首を横へ振る。


「口に合わなかったか?」


 今度は強く首を横へ振った。


 スマートフォンが震える。


『おいしいです』


「なら、そういう顔をしてくれ」


『しています』


「分かりづらい」


 小鳥遊はもう一口食べた。


 先ほどよりも少しだけ大きかった。


   ◇◆◇◆◇


 食事を終え、小鳥遊の皿まで洗ったあと、次は風呂へ入るよう促した。


「浴室は廊下の右側。シャンプーとボディソープは置いてあるものを使っていい」


 小鳥遊はリュックからノートパソコンを取り出そうとした。


「風呂にパソコンは持っていくな」


『待ち時間があります』


「湯船の中でも作業するつもりか?」


『防水ケースがあります』


「ない。少なくとも、この家では認めない」


 小鳥遊は名残惜しそうにノートパソコンを置いた。


「着替えとタオルを持っていけよ」


 小さく頷き、リビングを出ていく。


 しばらくして、浴室の扉が閉まる音がした。


 俺はその間に、小鳥遊が持ってきた荷物を確認することにした。


 玄関に置かれたキャリーケースとリュック以外、荷物はない。長く滞在するにしては少なく、一泊だけなら多すぎる。本人が期間を知らない以上、何を持ってくればいいのか判断できなかったのだろう。


 客室として使っている六畳の部屋へ、キャリーケースを運ぶ。


 ベッドには布団を敷いてある。普段は殆ど使っていないが、掃除だけは定期的にしていたため、今夜からでも眠れる状態だった。


 ここまでは問題ない。


 問題が発覚したのは、浴室からメッセージが届いたときだった。


『高槻さん』


「どうした」


『タオルがありません』


 持っていけと言ったはずだった。


「脱衣所の棚にある」


『ありません』


 そういえば確かに棚は空だったことを思い出した。洗濯したタオルを丁度整理しようと思い、自室へ置いたままにしている。


「今持ってくる。扉は開けるなよ」


 新しいバスタオルを一枚取り、脱衣所へ置く。


「置いたぞ」


『ありがとうございます』


 リビングへ戻ろうとすると、再びスマートフォンが震えた。


『着替えもありません』


 足が止まった。


「持っていけと言っただろ」


『忘れました』


「今、自分で取りに来られるか?」


 返信はない。


 浴室の扉の向こうで、シャワーが止まっている。


『無理です』


 当然だった。


「着替えはキャリーケースか?」


『はい』


「どこに入っている」


『分かりません』


「自分の荷物だろ」


『母が用意しました』


 思春期の男子高校生が、同い年の女子生徒のキャリーケースを開き、着替えを探す。


 できることなら避けたかった。


 しかし、濡れたまま浴室へ閉じ込めておくわけにもいかない。


「勝手に開けるぞ」


『お願いします』


 客室へ戻り、キャリーケースを開く。


 中身は複数の収納袋へ分けられていた。衣類、学校用品、洗面用具。それぞれに小さなラベルが付いている。荷造りをした母親は、娘がどこに何を入れたか把握できないことまで予測していたらしい。


 部屋着と書かれた袋から、長袖のシャツと柔らかな素材のズボンを取り出す。


 その隣には、下着と書かれた小さな袋があった。


 見なかったことにしたかった。


 しかし、必要なのも事実だった。


 袋そのものは中身が見えないようになっている。俺は視線を逸らしたまま一つだけ取り出そうとしたが、どれが何なのか分からない。


 結局、袋ごと持っていくことにした。


「着替えと、その……必要なものを袋ごと置くから、自分で取ってくれ」


『必要なもの?』


「言わせるな」


 返事が来ない。


 脱衣所の籠へ部屋着と袋を置き、早足でその場を離れた。耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。


 数分後、浴室の扉が開く音がした。


 俺はリビングで何も聞こえなかったふりをして、食器を拭き続けた。


   ◇◆◇◆◇


 風呂から上がった小鳥遊は、母親が用意した部屋着を着ていた。


 フードを被っていない姿を見るのは初めてだった。


 癖の少ない黒髪が肩甲骨の辺りまで伸び、濡れた毛先から水滴が落ちている。


「待て」


 小鳥遊の手が止まる。


「髪を乾かせ」


『自然に乾きます』


「床も服も濡れる。風邪も引く」


『作業をしている間に乾きます』


「駄目だ」


 ドライヤーを渡す。


 小鳥遊は受け取ったものの、スイッチを何度か触り、困ったようにこちらを見た。


「使ったことがないのか?」


 首を横へ振る。


『音が苦手なので、いつも母にしてもらっています』


「どうして音が苦手なのに、人にやらせるんだ」


『自分で持つより遠いです』


 理屈としては分からなくもないが、納得はしづらい。


「今日は俺がやる。次から少しずつ自分で覚えろ」


 小鳥遊をソファの前へ座らせ、少し離れた位置から温風を当てる。驚かせないよう、最初は弱い風にした。


 濡れた髪を手櫛で分けながら、根元から乾かしていく。


 同級生の女子の髪へ触れるという行為に、意識を向けないようにした。これは生活上必要な介助であり、本人はドライヤーの音が苦手で、ほかに方法がない。それだけだ。


 そう考えるほど、余計に意識してしまう。


 御影の髪は光を受けるたびに色の変わるアッシュグレーだったが、小鳥遊の髪は深い黒色をしていた。


 小鳥遊は膝の上にノートパソコンを置こうとした。


「今は作業するな」


『時間がもったいないです』


「パソコンで作業をするというなら、俺はお前の髪を乾かすことができない」


 小鳥遊は渋々、ノートパソコンをテーブルへ戻した。


 しばらくすると、温風に眠くなったのか、頭が少しずつ前へ傾き始める。


「寝るなよ」


『寝ていません』


「今、目を閉じていただろ」


『いま眼鏡を外しているので、開けていても見えません』


「それと目を閉じることは別だ」


 返事はなかった。


 髪が乾く頃には、小鳥遊の体からほとんど力が抜けていた。


 ドライヤーを止める。


 急に静かになった部屋で、小鳥遊が顔を上げた。


『終わりましたか』


「ああ」


『ありがとうございます』


「明日からは、自分でできる範囲を増やそう」


 小鳥遊は少し考えたあと、曖昧に頷いた。


   ◇◆◇◆◇


 風呂の次は、荷物の整理だった。


 制服はクローゼットへ掛け、部屋着や普段着は棚へ入れる。学校用品は机の横、洗面用具は脱衣所へ運ぶ。


 小鳥遊は俺の後ろをついて歩き、指示されたものを渡す程度だった。


「自分の部屋では、どうしていたんだ?」


『母が片づけます』


「母親がいないと?」


『片づきません』


「潔いな」


 キャリーケースの底から、充電器が七本出てきた。


「同じものが多すぎないか?」


『使う場所ごとに必要です』


「ノートパソコン用が三本あるぞ」


『自室、リビング、持ち運び用です』


「移動させれば一本で済むだろ」


『忘れます』


「忘れない仕組みを、プログラム以外でも考えてくれ」


 荷物をすべて収める頃には、午後十時を過ぎていた。


 小鳥遊の持ち物は少なかった。ただ、本人がどこに何を置いたか覚えられないため、棚や引き出しへ簡単なラベルを貼る必要があった。


 着替え。


 学校用品。


 充電器。


 本人は文字があれば迷わないらしい。


 一通りの整理を終え、客室を見回す。


 ベッド、机、衣類、学校用品。少なくとも、今夜を過ごす準備はできた。


「いつまでここにいるんだ?」


『分かりません』


「一週間か、一か月かも?」


『聞いていません』


「お前は不安じゃないのか」


 小鳥遊は少し考えた。


『インターネットがあれば、場所はあまり関係ありません』


「食事と風呂と洗濯は?」


『誰かがします』


「今までの話か?」


『はい』


「これからは自分でも覚えてくれ」


『努力します』


 返事だけは素直だった。


 食事を忘れ、風呂へ着替えもタオルも持っていかず、髪を乾かすこともできない。荷物の場所はラベルがなければ覚えられない。


 これは確かに、保護者がいなければ危ない。


 父親の強引な頼み方には腹が立つが、小鳥遊を一人で家へ残さなかった判断だけは、間違いではなかったのかもしれない。


   ◇◆◇◆◇


 小鳥遊を客室へ送り届けたあと、俺はリビングでノートパソコンを開いた。


 時計は午後十時半を過ぎている。


 本当なら夕食後に始める予定だったウェブサイトの修正作業が、すべて後ろへずれていた。睡眠時間を確保するには、集中して終わらせなければならない。


 依頼内容は、小規模な企業サイトの改修だった。


 スマートフォンで表示した際のレイアウト調整、問い合わせフォームの修正、既存ページの読み込み速度改善。難しい仕事ではないが、古い部分へ手を加えるため、影響範囲を一つずつ確認する必要がある。


 一時間ほど作業していると、廊下から小さな足音が聞こえた。


 トコトコというより、のそのそと床を擦るような音だった。


 顔を上げる。


 客室の扉から、小鳥遊が半分だけ顔を出している。眼鏡は掛け直していたが、フードの代わりに毛布を頭から被っていた。


「どうした。眠れないのか」


 小鳥遊は答えず、ゆっくりこちらへ近づいてきた。


 俺の隣へ座り、ノートパソコンの画面を覗き込む。


 スマートフォンが震えた。


『Webサイトの改修ですか』


「ああ」


『何を作っていますか』


「企業サイトの修正。今は問い合わせフォームを直している」


 小鳥遊は画面を見つめた。


 先ほどまで眠そうだった目が、急に鮮明になる。


『遠回りです』


「何が」


『修正方法』


「既存部分への影響を抑えるためだ。全部作り直せるなら、もっと早い」


『影響を抑えたまま、もっと効率的にできます』


 俺は手を止めた。


「できるのか?」


 小鳥遊が小さく頷く。


『やりますか』


「今から?」


『はい』


「もう寝る時間だぞ」


『眠くありません』


「さっきまで眠そうだっただろ」


『これは別です』


 プログラムを前にした途端、別の人間になったようだった。


「ただし、仕事の資料をそのまま見せることはできない。依頼主の情報が入っている」


『消してください』


 俺は仕様書から会社名、担当者名、連絡先などを伏せた。守秘義務に関わる部分が残っていないことを確認し、修正対象だけをまとめた資料を小鳥遊へ見せる。


「作業するなら、複製した環境だけだ。実際のサイトには触るな」


『分かりました』


「それから、勝手に仕様を変えないこと。依頼された範囲を超える変更は、相手の確認が必要だ」


『非効率でも?』


「非効率でもだ。仕事は自分の正解を押しつけるものじゃない」


 小鳥遊は少しだけ不満そうに画面を見たが、頷いた。


 俺が席を譲る。


 小鳥遊は毛布を被ったまま椅子へ座り、キーボードへ両手を置いた。


 次の瞬間、空気が変わった。


 細い指が、迷いなくキーを叩き始める。


 表示されている処理を読み、既存の構成を確認し、修正箇所を切り分ける。その手順に止まる時間がほとんどない。


 俺なら一つ変更するたびに動作を確認し、問題がなければ次へ進む。小鳥遊は最初に全体の関係を把握すると、複数の修正をまとめて行い、最後に一度で確認していった。


「待て。今、何をした?」


 小鳥遊は手を止めず、俺のスマートフォンへ説明を送った。


『同じ処理が三か所に分かれていたので、一つにまとめました』


「既存ページへの影響は?」


『ありません。確認用の処理も追加しました』


 画面を確認する。


 確かに、俺が懸念していた箇所は避けられている。それどころか、今後同じ部分を修正する際には、一か所だけ変更すれば全体へ反映される構造になっていた。


 小鳥遊はそのまま、スマートフォン表示の崩れを直し、問い合わせフォームの入力ミスを分かりやすく表示するよう整えた。さらに、依頼内容にはなかった操作性の改善案まで、実装せず別資料としてまとめている。


「これは頼まれていないぞ」


『勝手に変えてはいけないと言われたので、提案書にしました』


「そこまで理解するのは早いな」


『仕事は、自分の正解を押しつけるものではないので』


「さっきの言葉をすぐ使うな」


 一時間を予定していた残りの作業が、二十分ほどで終わった。


 しかも速いだけではない。


 完成度は、俺が一人で仕上げた場合より明らかに高かった。依頼された条件はすべて満たし、必要のない変更は避け、将来の修正まで考えられている。


 俺は画面と小鳥遊を交互に見た。


「お前、本当に高校生か?」


 小鳥遊の指が止まる。


『高槻さんも高校生です』


「そういう意味じゃない。どこで覚えたんだ」


『自分で』


「全部?」


『分からないことを調べていたら、できるようになりました』


 料理も片づけも、ドライヤーの使い方さえ知らない少女が、俺には見えていなかった問題を数分で見つけ、より良い形へ直してしまった。


 生活に必要なことは、何一つまともにできない。


 その代わり、パソコンの前へ座った瞬間、ほとんどの高校生が届かない場所へ行く。


 小鳥遊琴葉は、できない人間ではなかった。


 できることと、できないことの差が、あまりにも極端なのだ。


「小鳥遊」


『はい』


「すごいな」


 小鳥遊の手が止まった。


 眼鏡の奥で目がわずかに開く。


「俺もそれなりに勉強したつもりだった。でも、これは俺よりずっと上だ」


 返信はしばらく来なかった。


 やがて、小鳥遊は毛布の中へ顔を半分ほど隠し、ゆっくり文字を打った。


『高槻さんも、すごいです』


「どこが」


『ご飯を作れます。お風呂の介助ができます。髪も乾かせます。仕事もできます』


「最初の三つは、普通の生活だ」


『私にはできません』


 画面へ、次の文章が表示される。


『高槻さんにできないことを、私はできます』


 少し間を置いて、もう一行。


『私にできないことを、高槻さんはできます』


 互いに不足している部分を補えばいい。


 小鳥遊が言いたいのは、そういうことなのだろう。


 俺は完成したウェブサイトの確認画面を見た。


 今日一日で、小鳥遊の食事を作り、風呂へ入らせ、髪を乾かし、荷物を片づけた。その代わりに、彼女は俺が何日も何時間もかけて身につけてきた技術を、簡単に追い越してみせた。


「小鳥遊、本当に助かった。ありがとう」


『役に立ちましたか』


「ああ。俺一人でやるより、ずっと早くて完成度も高い。ただ、今日手伝ってくれたからといって、これからも無理に手伝う必要はないからな」


『はい』


「それから、手伝ってもらった分の金も払う」


『いりません』


「仕事には対価が必要だ」


『では』


 小鳥遊は少し考えてから、文字を打った。


『明日も髪を乾かしてください』


「それとこれでは釣り合わない」


『私には釣り合います』


「自分の価値を安く見積もるな」


 以前、同じようなことを御影から言われた気がした。


「報酬については、あとで決める。今日はもう寝ろ」


『高槻さんは?』


「修正内容を確認してから寝る」


『終わっています』


「自分でも確認しなければ仕事にならない」


 小鳥遊は納得したように頷き、椅子から立ち上がった。


 毛布を引きずりながら、客室へ戻っていく。


 その途中で足を止め、こちらを振り返った。


「……おやすみなさい」


 小さく、消え入りそうな声だった。


 俺が聞き返すより先に、小鳥遊は客室へ逃げ込んだ。


 閉じられた扉をしばらく見つめる。


 対面ではほとんど声を出せない少女が、今日初めて、自分から言葉を口にした。


「おやすみ、小鳥遊」


 聞こえているかは分からなかった。


 ただ、その直後、スマートフォンへ一件のメッセージが届いた。


『明日の朝ご飯は何ですか』


 余韻を返してほしいと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ