第十四話 御曹司は量産機を語る
社会適応研究会の活動を終え、昇降口へ向かった頃には、すでに陽が傾き始めていた。
御影は家の用事があると言って、活動が終わるなり先に帰っている。小鳥遊に至っては、どうしても外せないオンラインイベントがあるらしく、今日は学校そのものを休んでいた。
朝、部屋から連れ出そうとしたものの、ノートパソコンの前へ座り込んだ小鳥遊は、押しても引いても動かない据え石のようになっていた。期間限定のイベントだから今日だけは譲れない、と画面越しに訴えられ、最終的には出席よりもイベントを選んだらしい。
その代わり、掃除と洗濯は自分で行うという条件をつけたが、帰宅したときにどこまで実行されているかは怪しかった。
そんなわけで、今日は珍しく一人で帰れる。
靴を履き替えていると、少し離れた下駄箱の前に東条の姿があった。
転校から日が浅いというのに、東条の下駄箱には他の(おそらく女子)生徒から渡されたらしい菓子や手紙がいくつも入っている。本人はそれらを雑に鞄へ押し込むこともせず、一つずつ形を崩さないよう丁寧に収めていた。
「東条も今から帰るのか」
声をかけると、東条が振り返った。
「高槻君。ちょうどよかった」
「何が?」
「よければ、途中まで一緒に帰らないか」
爽やかな笑顔で誘われ、返答に詰まる。
東条とは、まだ教室で何度か言葉を交わした程度だ。二人きりで帰るほど親しい間柄ではないし、御影を巡る事情を考えれば、多少の居心地の悪さもある。
「僕と二人では、何か都合が悪いかな」
「いや、そういうわけじゃない。何を話せばいいのかと思っただけだ」
東条は一瞬目を丸くしたあと、可笑しそうに笑った。
「そうやってハッキリ言ってくれるのも高槻くんの良いところだね。まあ話題なら、歩いているうちに見つかるさ」
結局俺は断る理由まで思いつかず、東条と並んで昇降口を出た。
◇◆◇◆◇
東条は、こちらが身構えていたことを忘れさせるほど自然に話した。
想像も及ばないほど裕福な家で育ったはずなのに、会話からそれを誇示する様子はない。高価な品や特別な体験を引き合いに出すこともなく、こちらの話を遮らず、分からないことは素直に尋ねる。
それでも、ふとした言葉の選び方や、すれ違う人へ道を譲る仕草、相手の歩調へさりげなく合わせる様子からは、育ちの良さがひしひしと伝わってきた。家柄を感じさせない親しみやすさと、隠そうとしても滲み出る品の良さ。その両方が、東条という人間の魅力をさらに何段も引き上げている。
転校してから気づいたウチの学校の変な風習や、授業中に教師が繰り返す口癖について話しているうちに、会話は途切れることなく続いていった。
「梶先生は、説明に困ると必ず『要するにだ』と言うよね」
「しかも、そのあとの説明の方が長い」
「今日の授業では四回数えたよ」
「暇なのか?」
「一度気づくと、気になってしまってね」
東条が声を立てて笑った。
教室で浮かべている穏やかな微笑とは違う、年相応の笑い方だった。
校門を出てしばらく歩いたところで、東条が俺の鞄へ目を向けた。
「高槻君。そのキーホルダーは、もしかして辺境連合軍第七艦隊の部隊章か?」
思わず足が止まった。
鞄の端には、黒地に銀色の翼と三本の槍が描かれた、小さなラバーキーホルダーが一つだけついている。
十年ほど前に深夜放送されていたロボットアニメ、『星海機装ヴェルクハイト』。作中に登場する辺境連合軍、その第七艦隊が使用していた部隊章を模したものだ。
主人公が所属する部隊ですらない。物語の中盤で共闘する一艦隊の軍章で、作品を最後まで見た人間でも、これだけで判別できる者は結構コアなファンといえるだろう。
「……知ってるのか?」
「もちろん。第七艦隊といえば、《ベルガ・レム》を最後まで主力として運用していた部隊だろう?」
東条は当然のように答えた。
「分かってるじゃないか! そうなんだよ! 装甲も出力も後半の機体には劣るが、宇宙と地上の両方で運用できて、整備性まで考えれば作中で一番完成度が高い!」
「しかも第十七話では、旧式の推進装置を現地改修して新型機を追い詰めた。操縦士の技量を差し引いても、機体設計の余裕がなければ不可能だ」
「いや、間違いない。それにしても東条がまさかあの作品を知っているとはな」
「むしろ、なぜあれほど面白い作品が知られていないのか不思議だよ。序盤の展開が遅いとは言われていたけれど、植民惑星同士の政治対立を描くには必要な積み重ねだった」
「そう! 最初の六話を乗り越えれば面白いって勧めても、誰も見てくれないんだよ!」
「乗り越えるという表現は、作品を勧める言葉として正しいのかな」
「そこは否定できない」
二人で笑い合う。
これまで、この軍章に気づいた人は一人もいなかった。『星海機装ヴェルクハイト』を知っているだけでなく、辺境連合軍第七艦隊の部隊章まで一目で見抜くクラスメイトなど、絶対に現れないと思っていた。
「東条は、どの機体が好きなんだ?」
「僕は《ラグナ・ヴァイス》だね」
「主人公の後継機か。意外と王道だな」
「見た目だけで選んだわけではないよ。あの機体は単純な強化型ではなく、主人公が失ったものを埋めるための装備ばかり追加されている。強くなるほど、彼が一人では戦えなくなっていることを示す設計が素晴らしい」
「……そこまで話せるやつ、初めて見た」
「僕もだよ」
東条グループの御曹司という肩書も、非の打ち所のない容姿も関係ない。ただ好きな作品について語れる同級生として、東条雅臣という人間をかなり気に入り始めていた。
「ところで、東条」
「何かな」
「話は変わるんだが、お前ほどの家柄なら、帰りは車で迎えが来るんじゃないのか?」
「ああ、以前の学校ではそうだったよ。けれど、こちらでは特別な事情がない限り、迎えは断っている」
「どうして」
「せっかくの高校生活だからね。できる限り、皆と同じ条件で過ごしてみたいんだ」
東条は行き交う生徒たちへ視線を向けた。
「決まった時間に起きて、電車で学校へ行き、帰り道に友人と寄り道をする。僕にとっては、意識して選ばなければ経験できないことなんだよ」
「東条家の後継者も大変なんだな」
「恵まれていることは理解しているよ。ただ、用意された環境だけで生きていては、知ることができないことがあまりにも多すぎる。将来、人の生活そのものに関わる仕事をするなら、なおさらね」
口だけではないのだろう。
東条は転入早々、男女や立場を問わず多くの生徒と関わっている。一般の高校へ入ってきたことも、御影だけが理由ではないのかもしれない。
「それなら、少し遠回りしていかないか」
「どこへ?」
「美味いアイスコーヒーを飲ませる店がある」
東条の目が、僅かに輝いた。
「ぜひ連れていってほしい」
◇◆◇◆◇
駅へ続く道から一本外れ、川沿いの小さな公園へ向かう。
その一角には、赤い車体のキッチンカーが止まっていた。看板に大きく書かれているのは『権藤フランク』の文字で、香辛料と焼けた肉の匂いが辺りに漂っている。
「おっちゃん、まだコーヒーあるか?」
車内へ声をかけると、タオルを頭に巻いた店主が顔を出した。
「おう、久しぶりやな、厳つい兄ちゃん。しばらく見んうちに、また顔が怖くなったんやないか?」
「久しぶりに来た客へ最初に言うことがそれかよ」
「褒めとるんや。前より強そうやぞ」
「どこで役に立つんだ、その成長」
店主は豪快に笑い、俺の隣にいる東条へ目を向けた。
「今日はまた、えらい男前を連れてきたな。そっちは俳優か何かか?」
「同じクラスの東条だ」
「初めまして。東条雅臣です」
東条が丁寧に頭を下げると、店主も慌ててタオルを外しかけた。
「そんな丁寧にせんでええ。こいつの知り合いなら、普通でええぞ」
「こいつ扱いするな」
メニューを眺める東条へ、アイスコーヒーを指さす。
「ここはフランクフルト屋なんだが、肝心のフランクフルトよりアイスコーヒーの方が美味い」
「お前、相変わらず失礼なやつやな! うちはフランクフルトが本業ぞ!」
「コーヒーだけ二つ」
「しかもフランクフルトを買わんのか!」
東条が堪えきれずに吹き出した。
「では、僕はフランクフルトもいただきます」
「兄ちゃん、顔だけやなくて性格までええな。こいつとは大違いや」
「俺も昔は散々買っただろ」
「最近来とらんから時効や」
店主は口では文句を言いながら、手際よくアイスコーヒーを用意した。透明なカップの中へ氷を入れ、濃い色のコーヒーを注ぐ。
東条が代金をまとめて払おうとしたため、自分の分は自分で出した。僅かに残念そうな顔をされたが、そこまで世話になる理由はない。
公園の端にあるベンチへ並んで座り、カップへ口をつける。
東条の目が見開かれた。
「……これは驚いた」
「美味いだろ」
「ああ。香りは深いのに、後味が妙に軽い。苦味も強すぎない。一体、何の豆を使っているんだろう」
東条はカップを光へ透かし、真剣な表情で中身を眺めた。
「彼に聞き出さなければ」
「企業秘密じゃないか?」
「そこを何とか教えてもらえないだろうか」
「東条グループの力で店ごと買収したらどうだ」
「さすがに、豆を知るためだけに買収はしないよ」
東条は笑ったあと、もう一口ゆっくりと味わった。
キッチンカーからは、店主がフランクフルトを焼く音が聞こえてくる。学校の話も家の話もせず、ただ好きな作品と美味いコーヒーについて語っていると、東条が御影を追って転校してきた御曹司であることを忘れそうになった。
「なあ、東条」
「何かな」
「どうして、そこまで御影に執着するんだ?」
東条がカップから口を離した。
「随分と直接的だね」
「悪い。ただ、気になってた」
「いや。君になら聞かれるかもしれないと思っていたよ」
「確かに御影の見た目は、現実離れしてるくらい整ってる。家柄もお前とは釣り合うんだろう。でも、お前なら言い寄ってくる女子はいくらでもいる。わざわざ転校してきて、あれだけ拒絶されても追い続けるほどなのかと思ってな」
東条は困ったように微笑んだ。
「僕を高く評価しすぎだよ。それに、玲奈さんの代わりになる人はいない」
「そんなものか?」
「そんなものだよ」
東条はベンチへ深く腰掛け、川面へ視線を向けた。
「玲奈さんには昔、ちょっとした恩があってね」
「御影に?」
「ああ。まだ僕たちが今より幼かった頃、両家が出席する催しでね。僕は東条家の後継者として、大勢の前へ立たなければならなかった」
東条の指が、アイスコーヒーのカップをゆっくりとなぞる。
「こうみえても僕は結構なあがり症でね。で、僕が気負っていることに、周囲の大人たちは大半が気づいていたと思う。それでも誰も声をかけなかった。東条家の跡取りなら、その程度は自分で乗り越えるべきだと考えていたのかもしれない」
「そこに御影がいたのか」
「玲奈さん本人は、助けたつもりはなかっただろうけれどね。家同士の関係も、周囲の思惑も気にせず、ただ僕を一人の人間として扱ってくれた。あのとき手を差し伸べてくれたのは、玲奈さんだけだった」
詳しい内容までは話さなかった。
それでも、東条の表情を見れば、その出来事が今も本人の中へ強く残っていることは分かる。
「その頃から、ずっと好きなのか」
「ああ」
「……なるほどな」
ようやく少し納得できた。
容姿や家柄だけに惹かれたのではない。東条にとって御影は、周囲が自分を東条家の後継者としてしか見なかったとき、初めて一人の人間として接してくれた相手なのだろう。
それなら、簡単に諦められない気持ちも理解できた。
「高槻君」
東条がこちらへ向き直る。
先ほどまでの柔らかな表情とは違い、その目は真剣だった。
「君に一つ、頼みがある」
「何だ?」
「玲奈さんとのことを、僕に協力してくれないか」
風が川面を揺らし、手にしたカップの氷が小さく鳴った。
俺がその頼みに何と答えたのか。
このときはまだ、自分でもよく分かっていなかった。




