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空いた穴の記憶

 大学からの帰り道。

 アパートが見えてきたあたりで、無意識に歩調が落ちた。


 ――いるかもしれない。


 朝の銀髪の少女。

 自称天使を名乗る謎の不審者。


 角を曲がる前に、ほんの一瞬だけ呼吸を整える。

 あの妙な宗教勧誘が待ち伏せしていたらどうするか。


 無視か。通報か。それとも全力疾走か。

 

 (まぁ、家の中までは入ってこないだろ)


 覚悟を決めて曲がる。

 ……誰もいない。


「……杞憂か」


 小さく呟き、肩の力を抜く。

 玄関の鍵を開け、家に入る。


 昨日と同じ匂い。昨日と同じ散らかり具合。

 ふと思い出し、胸に手を当てる。


 痛みはない。

 あるのは、服に空いた穴の記憶だけだ。


「……気にしすぎか」


 バッグを無造作に床に置き、一息つく。

 椅子に腰掛けると同時にテレビを点けるも特に観るものがあるわけではない。


 夕方のニュース番組では、あまり知らない芸能人の不倫だかの特集をやっていた。

 昔流行ったお笑い芸人が難しい顔をし、意見を言う。

 常識的に考えて、倫理的には、から始まり。わたし的にはそうなんじゃないかと思います、と結ぶ。


 くだらない。

 結局何が言いたいのかわからないこの芸人も、それを聞いてしたり顔で頷く司会者も。


 そして、そんな事を考えながら無為に時間を浪費している自分自身が一番くだらない。


 (駄目だな、何もしていないといつもこうだ)

 

 気を取り直し、テレビを消す。

 ふと、棚の上のDVDケースが目に入った。


「あぁ、忘れてたな」


 バイト先で借りていた映画。

 期限は今日まで。


 ケースを開け、中身を確認し、ボディバッグに放り込む。


 返却のついでに夕飯の買い出しにでも行こう。

 靴を履き、家を出る。


 ゆっくりとした足取りで駅前へと歩き出す。

 外は先ほどより気温が下がり、空を赤く染めあげた太陽が、山の向こうへと別れを告げようとしていた。


「さむ⋯⋯」


 思わず手を上着のポケットに突っ込む。


 今はまた11月。

 今年はこれからどれだけ寒くなるのだろうか。


 駅前の裏路地を入った所に御言のバイト先はあった。


 レンタルビデオショップ《ライズアップ》。

 色あせた看板と、どこか懐かしい匂いのする店だ。


 自動ドアが開き、軽い電子音が鳴る。


「あっ、神代さん。今日はどうしたんですか?」


 カウンター越しに声をかけてきたのは、伊東陽菜。(いとうひな)

 高校生とは思えない落ち着いた物腰だが、時々年相応に騒がしくなる。特にアニメの話になると止まらなくなる。

 奏汰と苗字の読みが同じなせいで、二人まとめて「伊藤兄妹」と呼ばれている。


「伊東さん、お疲れ。ちょっとこれを返却しに来ただけだよ」


 カウンターにDVDを置く。


「はーい、かしこまりました!」


 バーコードを読み取る軽快な音。


「奏汰は? サボり?」


 店内を見回すが、あの陽気な顔は見当たらない。


「奏汰さんは店長に呼ばれて事務所の奥に居ますよ?」


 伊東さんが小さく笑う。


「またか」


 呆れたように小さく呟く。


「ええ、またですねぇ⋯⋯」


 どうせ、またエプロンをつけたまま外の灰皿でタバコを吸っていたのだろう。

 サボるにしても、せめてエプロンくらい外せと何度言われたことか。


「神代さん、今日はシフトじゃないですよね?」


先ほどのDVDを清掃しながら伊東さんが問いかける。


「今日は返却だけだね。期日はまだあるけど、もう見終わったしさ」


手を差し出し、伊東さんが拭き終わったDVDをすぐ近くにある新作コーナーへと返す。


「真面目ですねー」


「奏汰が不真面目なだけだろ」


 二人で軽く笑う。


 店内は静かだ。

 平日の夕方、客はまばら。

 棚に並ぶ古い映画の背表紙を眺める。


 変わらない光景。

 変わらないはずの空気。


 ――けれど。

 一瞬だけ、店内の照明が、ちらついた。


 ほんの一瞬。


「――っ!」


 先ほどまで微笑んでいたはずの伊東さんの顔が一瞬引きつったように歪む。


「どうした?」


「いや、今……」


 そう言った伊東さんの顔は少し青ざめているようにも見えた。


 気のせい。

 蛍光灯の寿命かもしれない。

 そんなことを伊東さんは小声で呟いていた。


「伊東さん――」


 その様子が気になり伊東さんに声をかけようとした時、事務所の扉が勢いよく開いた。


「神代!」


 奏汰が顔を出す。


「ちょうどいいとこに!」


 嬉しそうに笑顔を向ける奏汰。

 嫌な予感がするどころの話ではない。


「怒られてたんじゃないのか」


「それはそれ!」


 まったく反省の色がない。


「店長がさ、今夜会議があるらしくてさ。だから閉店作業、俺らに任せるってよ」


「は?」


 あまりの意味のわからなさに思わず声が出る。


「だから、閉店作業だって」


 そこじゃない。

 いや、奏汰は知らないかも知れない可能性もある。


「奏汰」


「おう」


 いい笑顔だ。

 親指を立てている。少しイラッとする。


「俺は休みだ」


「おう」


 なんだこいつ。

 思わず手が出そうになる。


「黒崎店長! ちょっといいですか?」


 埒が明かないと思い、奥に居るであろう店長に声をかける。


 「なんだ⋯⋯あぁ、神代か。休みの日に何しに来てんだ? 大学生ってのはそんなに暇なのか?」


 不機嫌そうに奥の事務所からスーツを来た女性が顔を出す。彼女の名前は黒崎葵くろさきあおい、この店の店長であり社畜だ。

 目の下にはクマができ、髪もボサボサ。それでも何故か美人という訳のわからないスペックの持ち主でもある。


「おい、奏汰。さっきのをもう一度」


 奏汰の方に向き直り、ジェスチャーで促す。


「店長がさ、今夜会議があるらしくてさ。だから閉店作業、俺らに任せるってよ」


 自信満々に言って親指を立てる奏汰。

 次の瞬間、奏汰の眉間に黒崎店長の指がめり込む。いわゆるアイアンクローだ。


「伊藤奏汰。お前はバカなのか⋯⋯? 休みの神代がいきなり出勤してみろ、私の事務作業が増えるだろうが!」


 そう言いながら黒崎店長は奏汰を締め付ける。


「あ、そこなんだ⋯⋯」


 ぽつり、と伊東さんが呟く。


「いだだだだだ! 割れる! 頭割れる!」


 奏汰の悲鳴が店内に響く。


「安心しろ、そんなに締まってない」


 黒崎店長は冷ややかに言い放つ。


「決めた。会議はオンラインで参加する。閉店後に説教だ、逃げ場はないと思え」


「ブラック企業だぁぁ!」


「私が一番よく知っている!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見て、御言は思わず笑った。


 ――変わらない。


 この空気。

 この距離感。


 この、どうでもいい会話。

 それが妙に、愛おしく思えた。


「じゃあ俺、帰るな。返却だけだったし」


「おう、またなー」


 奏汰はまだ店長の手に捕まったまま、ひらひらと手を振る。


 御言も軽く手を振り返し、出入口へ向かう。

 自動ドアの前で、ふと足が止まった。


 ガラスに映る、自分の姿。

 そして胸元。そこにあるはずのない穴。


 瞬きをする。

 消えている。


「……気のせい、だよな」


 自動ドアが開く。

 外の空気は冷たい。太陽はすっかり見えなくなり、街灯が代わりに街を照らし出していた。


「悪い夢だ」


 そう呟いて、歩き出す。


 だが。

 背後で、店内の照明が再び一瞬だけ――

 ぱちん、と音を立てて、明滅した。


 御言は振り返る。

 ガラス越しの店内。


 そこに映った自分の姿は――


 一瞬だけ。

 胸を押さえ、血に染まっていた。


「……っ!」


 次の瞬間には、何もない。

 いつもの店。いつもの蛍光灯。いつもの日常。

 けれど、確かに見た。


 自分は――

 また、あの“夢”の中に来てしまったのか?


 夕焼けの下で立ち尽くす御言を、誰かが、遠くから見ている気がした。


 その視線に、御言はまだ気づかない。

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