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宵闇の申し子

 二人の再会を包むのは、あまりにも平穏で、どこか作り物めいた夜の景色だ。

 並んだ街灯が、アスファルトの上に冷淡なオレンジ色の円を描いている。


 普段なら聞こえる車の走行音や、誰かの家のエアコンが唸る室外機の音さえも、今の世界には存在しない。


 ただ、少女が歩くたびにコツン、コツンと響くヒールの音だけが、耳障りなほど鮮明に鼓膜を叩く。


 住宅の窓からは生活の灯りが漏れているが、その中に住む人間が、今の自分たちを認識できているとは到底思えなかった。


 まるで、世界の表面に一枚だけ透明な膜を張り、そこだけを隔離してしまったような、奇妙な疎外感。


 背後に隠れる陽菜の、震える吐息だけが現実のものとして伝わってくる。


「思い出した?」


 少女の赤い瞳が、月明かりを吸い込んで妖しく燃えた。

 闇を塗り固めたような漆黒のスカートが、風もないのに小さく揺れる。


「ウガツヒ」


 その言葉が落ちた瞬間、住宅街の冷え切った空気が、一気に彼女を中心とした重圧に書き換えられた。


「御言、下がってください」


 ルトが庇うように前に出る。

 その声にはどこか嫌悪感が入り混じっているようにも思える。


「神代さん、あの子何者なんですか⋯⋯?」


 恐る恐ると言った口調で陽菜が訪ねてくる。


「陽菜、あれは人ではありません」


 ルトの声が低くなる。


「だったら――」


「吸血鬼」


 なんなんだ、御言の言葉を吐き出す前に目の前の少女が言葉をかぶせる。


「知らないの? この国でも有名って聞いたんだけど⋯⋯」


  少女は面白そうに首を傾げる。

 その赤い瞳に映る自分たちが、まるで上等な酒のラベルを品定めされているかのように思え、御言は無意識に拳を握りしめた。


「ウガツヒって、なんだ」


 御言が、吸血鬼と名乗った少女に問い返す。

 聞き慣れないその単語は、かつて心臓を握られた瞬間の熱のように、不快な違和感を伴って鼓膜に残った。


「あなたのことよ。知らないの?」


 少女は心底意外だと言わんばかりに、大袈裟に首を傾げてみせる。

 その赤い瞳に宿る嘲笑の色が、一段と深まった。


「そこのボディガードに、詳しく聞いてみたらどうかしら?」


 あからさまなルトへの挑発。

 その視線には、神の使いを路傍の石ころ程度にしか見ていない不遜さが宿っている。


「……私は主の右腕であり、彼の復讐の道具である」


 ルトが低く、呪文を紡ぐように呟いた。


 直後、彼女の背後に光の粒子が猛烈な渦となって立ち昇り、闇を裂く純白の羽根を形作っていく。


 夜の住宅街を侵食する、暴力的なまでの神気。


「あら。怒ったの? ……でも、そうね。ここでは少々、分が悪そうかしら」


 少女はルトの威圧を意にも介さずに受け流すと、優雅にスカートの端を摘んだ。 

 彼女の身体が、足元から夜の闇に溶けるように霧散していく。


「アリア。私の名前よ、覚えていて頂戴。――御言」


 最後に耳を打つ甘い声だけを残し、少女は完全に消失した。


 直後、ダムが決壊したように、世界に「雑音」が雪崩れ込む。

 遠くを走る車のエンジン音。生活の灯りが漏れる窓から聞こえる、誰かの笑い声。

 

 何事もなかったかのように、日常という仮面が再び街を覆い隠した。


「ルト、あれは……?」


 完全に気配が消えたことを確認し、御言が重い口を開いた。


「人ならざるもの。……”宵闇の申し子”とも呼ばれる、極めて危険な獣です」


 ルトが警戒を解くと同時に、背後の羽根が淡い光の粒となって、夜の闇に吸い込まれていく。


「ウガツヒってなんだ。あいつ、俺のことをそう呼んだよな」


 先ほどから頭にこびりついて離れないその名を投げかける。


「すみません。私にも見当がつきませんが……。おそらくは、あなたに宿る神の権能に深く関わる呼称ではないかと推測します」


 ルトは真っ直ぐに御言を見つめて答えた。

 そこに隠し事や嘘があるようには見えなかったが、逆にそれが事態の底知れなさを強調しているようでもあった。


「あのー……神代さん。今のこれって、目撃した私は大丈夫なんでしょうか?」


 おずおずと、陽菜が小さく手を挙げながら割り込んでくる。

 その顔はまだ少し青いが、好奇心と不安が入り混じった複雑な表情をしていた。


「こういうのって、アニメとかだと……秘密を知った一般人は消されるっていうのがセオリーなんじゃ……。」


 物騒な想像を膨らませる陽菜を前に、御言とルトは思わず顔を見合わせる。


「あー……。まあ、なんだ。これはアニメじゃないしな?」


 後頭部をがしがしと掻きながら、御言は努めて投げやりに答えた。


 だが、先ほどアリアと名乗った吸血鬼の口ぶりを思い出す。

 陽菜に「影が戻った」と言ったあの女の視線。あれは間違いなく、陽菜が何らかの「標的」であったことを示唆していた。

 

 ただ、今の彼女にそれを伝えて、これ以上怯えさせる必要もない。

 守るべきなのは、ようやく取り戻した彼女の日常だ。


「二度は無いだろうから安心しろ。……たぶん」


「たぶんですか!?」


 食い気味に突っ込む陽菜の声に、御言は苦笑を隠して歩き出す。


「お前を消すより、奏汰がマニュアル通りにDVDを並べるほうがよっぽど難しいよ。ほら、行くぞ」


「ちょっと、それどういう意味ですかー!」


 怒りながら後を追ってくる陽菜の足音を聞きながら、御言は確信していた。

 少なくとも今、この瞬間の彼女に”死にたい”と言う感情は見当たらない。


 背後に控えるルトは、何も言わずにその様子を見守っていた。

 彼女の無機質な眼差しが、どこか柔らかく揺れたような気がしたのは、街灯の悪戯だろうか。

 

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