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▼第六十七話「起工式と心魔」




 ぱん、ぱん、と手を二回打ち鳴らし、若き日の姿のラーとアヌビスが、眼を瞑って手を合わせた。


 闇に満ちている空間の中、かがり火が四方に設置され、中央に巨大な闇のチャクラが祀られている。樹齢数百年の杉の木ほども大きく、見上げるばかりの威容である。それは卵のような形状をしていて、楕円形だった。その表面には闇が蠕動しており、太陽の表面を吹き荒れる炎の腕のように、常に暗黒の腕が蠢いていた。そして、黒い鉄のようなもので作られた鎖が、そのチャクラ全体にまばらに巻きついている。

 そしてさらにその上から、まるで鉢巻を巻くように、パピルスを編んだ縄が上部に巻いてあった。これはラーが創意した、古代エジプトのしめ縄である。


 その飾り立てられた巨大な闇の卵に対して、二人は手を合わせている。


 ここはアヌビスの心象空間であり、内面の世界であった。


 かがり火で照らされる闇の塊と二人の間には、赤く塗装された台があり、その上には捧げものとして、酒の入った(かめ)と小麦の穂束、(ます)に盛られた塩が積まれている。

 

「チャクラの再建に伴い、起工式を行う」とラーが言い出したとき、アヌビスはえらい大仰な、と内心驚き呆れた。が、いざやってみると、非日常を味わえたことで気分が昂った。


 眼を閉じたまま、ラーが神妙な顔つきで口上を述べる。


「掛けまくも(かしこ)き我が祖霊たち、並びに天の時、地の時、人の時よ。子孫アヌビスのチャクラを再建するにあたり、祖霊と天時機に対し、謹んでご報告申し上げる! 祖霊よ、我らの勇姿を目に焼き付け、楽しみたまえ! そなたらの血が、受け継がれ、熱く輝き、生を十二分に謳歌するさまを、ご照覧あれ! 天時機よ、我らの運命を試したまえ! 我らが最善を尽くすのを、ご照覧あれ! それでは、これよりチャクラ再建を開始する!!」


 その姿は、美の神と(うた)われただけのことはあり、実に見事だった。炎の勢いが増し、大炎が各所で吹き上がった。



 その日の朝、ディラが神器と財宝類、月神天丹とを配ると、アヌビスらは沸き立った。すぐに飲みたいところだったが、まだメンネフェルの領域にあったため、砂漠を南下する必要があった。

 一行は西南に進路を取り、オアシスの街ファイユームへと向かった。ファイユームとは、ハラサとウプウアウトがセトの追手から逃れるために潜入した、あの農業都市である。この地理的条件が、ナイルの後ろ暗い者どもを引き寄せる。


 レンシュドラは太陽を見て方角を判別する術に長けていた。砂漠の真ん中にいても、方向感覚を失うことがない。幼いころから英才教育を受けてきた部族の御曹司にとって、この程度のことはなんでもない。


 彼らは内功をコントロールしながら、砂の上を巧妙に走った。それは、内功の精妙な操作が求められる、極上の修練でもあった。アヌビスは、奇縁によって第三位階へと成長した新たな力を、早くも手の内に入れた。


 そして黄昏どきになってようやく、メジェドが歓声をあげた。そこには、傾きつつある日光を反射する湖と、街の影があった。弓の名手だけあって、彼はこれほどの遠距離でも見逃さなかった。


 昨日今日で総行程・百キロメートル、しかも砂の上を駆け抜けた一同は、さすがに疲労困憊だった。しかし、すぐに街に飛び込むわけにはいかない。

 彼らは一旦変装を施してから、今度は武功を使わずに、ひたすら歩いた。武功があると知られるのは、面倒ごとになりやすいからだ。



 そしてファイユームの片隅にある、古くて寂れた神殿に宿を求めた。この時代、宿屋はまだ存在していない。その神殿はよほど流行っていないとみえて、人影はまばらだった。神殿側面に描かれている壁画は、色が褪せ、剥げている。


 門前の神官は、険しい顔で一同を睨んだ。


 が、しかし、ディラが小金を握らせると何も詮索せず神殿のなかに招き入れてくれた。金の効果的な使い方を、子供たちは実地で見聞した。


 そうして潜り込んだ神殿の一隅で、子供たちは円になって座禅を組んでいた。そして遠方にある松明によって仄明るく照らされながら、分け与えられた霊薬【月神天丹(げつしんてんたん)】を一斉に口に入れた。

 運気調息中の警護<護法>はディラが務めた。すっかり師匠の気分である。私が護法をするゆえ、運気に集中せよ、などと殊勝なことまで言った。情愛に目覚めたディラには、子供たちが可愛く見えて仕方がなかったのだ。


 薬効を最大限に高めるために、朝から絶食していた彼らだったが、いざ口に入れてみると、その苦味、まずさには閉口した。噛むたびに、口の中にろくでもない饐えた味が広がっていく。強烈な刺激臭がし、吐き気が抑えられない。それでも我慢しなければならない。何度も噛んで、胃の中で溶けやすくする必要があるからだ。アヌビスはえずきながら、十五分も咀嚼してから飲み込んだ。


 そして、運気調息(うんきちょうそく)を行う。鼻から息をゆっくりと深く吸い込み、全身に行き渡らせ、口から吐き出す。その際に、大地のエネルギー、空間の気を吸引するイメージを行う。全身に行き渡らせたのち、丹田のチャクラに誘導し、そこに導引する。これを繰り返す中で、薬効成分をも丹田のチャクラに送り込むことで、内功が増えてゆく。

 


 しかし、アヌビスとラーの狙いはそれだけではない。チャクラ再建手術という、一大難事があった。


 アヌビスは第三位階になったことで、念話を習得した。

 目を瞑りながら、表情を細かく変えつつラーと会話する。


「なあ、チャクラが増えるって危なくないか? 気が中でぐちゃぐちゃに混線したりしないの?」

「その辺はわからん」


 幼児姿のラーが自信満々に胸を張りながら答え、アヌビスは思わず座禅の姿勢を崩しそうになった。


「無責任すぎるだろ!!」

「はっはっは、なんせお前のような身体は前例がない。最悪は気が暴走して走火入魔(そうかにゅうま)に陥る可能性もあるな」

「おい!! 廃人になったり、自我を失ったりするってか?!」

「可能性の話だ。リスクはあるが、試す価値はある。険しく高い道と、安逸で低い道、どちらかを選べ」

「おいっ!! そんな聞き方ずるいぞ!! セトに命を狙われてるんだから、強くなる方に賭けるしかねえじゃん!!」

「案ずるな、俺とお前ならうまくいく。俺を信じろ」

「そうなることを願ってるよ!」



 アヌビスは目を瞑り、チャクラに意識を集中した。


 広大な意識空間のなかに、三つのチャクラが並んでいる。真ん中に赤い炎の如きチャクラ、左には禍々しい気を放つ闇のチャクラ、そして右側には半透明でほとんど実体のないチャクラがあった。


「今回は、この闇の鎖で封印されたチャクラを錬成しよう」意識空間下で、青年の姿となったラーが言った。

「なんでこっちから先にやるんだ? どう見ても不穏だけど……」

「半透明な方は、まだ足りないピースがある。だからまだ実体化できないんだ」

「足りないピース?」

「お前がもう少し大人になる必要があるってことだ」


 アヌビスはラーの指示に従い、黒いチャクラのみを意識の俎上に載せた。


 以前には、そこにフォーカスしただけで精神汚染が始まるほど、それは強い力を持っていた。が、今は不思議とそこまでの影響を受けぬのだった。

 それは、第三位階になったということもあるが、愛というものを直接的・間接的に見知ったことも影響していた。さらに、セトの闇の呪術を二度も体験したことで、耐性を得ていたのだ。



——そして冒頭の起工式を終えた二人は、炉を造る工程に移った。


 チャクラを精錬するためには、巨木のごとき闇のチャクラを、炉で完全に覆う必要がある。


 アヌビスはラーにやり方を教わりながら、月神天丹の緑色のエネルギーを抽出し、神炎錬魄訣の赤い気と混ぜた。すると、赤と緑の気が混ざり、黄金色に輝く気の塊が生まれた。アヌビスの胴くらいの大きさはある、かなりの塊である。

 そこに、月神天丹の気と自身の気を、さらに送り込んだ。すると、それは強烈な光を放ちながら、急激に体積を膨張させた。みるみるうちに大きくなってゆき、最終的に、闇のチャクラよりも大きな塊となった。


 次に、手に剣気を出現させ、膨らんだ気粘土をアヌビスが手早く切り分けていく。豆腐を切るように、四トントラック程度の塊を手際よく生産していく。まるで踊っているかのような華麗さだ。


 切り分けた塊は、武功の炎で炙った。全体が乾いたら、五山燎火剣功・第一招式<火神舞曲剣(かしんぶきょくけん)>を用いて、いっぺんに気煉瓦を焼く。乾かしてから焼くのがコツだ、とラーが言った。


 煉瓦が完成したら、つぎはいよいよ炉の形成に入る。


 気のブロックだから重さは感じない。しかし、チャクラの操作に集中力が必要であり、けっして楽な作業ではない。

 それでもアヌビスは、黙々と作業をこなした。気煉瓦はみるみるうちに積み上がっていく。ちなみに、つなぎには乾燥していない気粘土を使用している。


 ラーも虚空摂物を使い、ブロックを持ち上げて運搬を手伝った。だが、すべてを自分がやることはしなかった。それは、アヌビスに一連の作業を体験させてやりたかったからである。やってみてこそ覚えられる、とラーは信じていた。……半分は、自分が楽をしたかったというのもある。


 そしてその炉の隣に、さらに高い位置から燃料を注ぎ入れられるよう、高い足場が必要だった。それは、細長い棒状の気粘土を焼いて固めたものを使うことにした。側面には凹凸があり、上り下りに使う。ただそれだけで、柵も手すりもない。高所恐怖症には不親切な構造物である。しかし身軽なアヌビスは、恐れ知らずに上り下りしてみせた。



 そしてついに、気煉瓦の炉と足場が完成した。


 それは黄金色に輝く、高層建築の(ぐん)であった。


 出来上がった炉は、高さ五十メートルを優に超える、超巨大建築物であった。じつに堂々としたつくりである。高さだけで言えば、メンネフェル大神殿を凌駕する。

 見た目は煙突のように細長く、炉の根元に送風口の孔が開いていて、管を通してある。ここからラーが風や炎を入れて、火力を調整する役割を担う。

 炉の中には、月神天丹の気で作った燃料が敷き詰められていた。


「さあ、火を(おこ)せ!!」

「どうなるか、賭けだ!! <神炎錬魄訣(しんえんれんぱくけつ)幻化潮流一世浮げんかちょうりゅういっせいふ>ッッ!!」


 はたして炎は巻き起こり、心火が燃え上がった。ぼうぼうと炎が炉の先端から吹き出す。炎の勢いは増していく一方で、早くも気粘土の色が白く変わりつつある。この高温は、月神天丹の燃料がいかに優れているかを示している。通常の霊薬とは比べ物にならない。


 ここからは二手に分かれて作業する。風を起こす作業をラーが下で行い、上ではアヌビスが燃料を上から一定の間隔で投げ入れる。


 さらに、身体に残っていたサラマンダの血肉の気精も、上から注いだ。あとで不純物をノロ(熱いどろどろのごみ)として、炉から排出するために必要な手順だそうだ。炎はサラマンダの気精を吸って色を青に変えた。


 炉は、真珠のような色に変わり、きらめきが増していく。


 そしてアヌビスは、追加分の月神天丹のエネルギーを、思い切り振り入れた。


 そのとき、チャクラに絡み付いていた黒い鎖が、最後の断末魔の叫びをあげた。地の底から、震えるような声が響き渡る。瞬間的に、心象空間が血の波動に染まり、赤黒く染まっていく。


 そして、その空間全体に、ひびが入るような音がした。それは実際にひびが入ったのだ、とアヌビスは直感した。


 心の均衡が、崩されかけている。


 頭の中で警報が鳴り止まない。

 絶対的な恐怖が背筋を這い回る。


 赤い光が乱舞した。


 血を思わせる燿光が、視界を奪った。ラーの姿も見えない。



 そのとき、赤い赤い視界のなかで、黒い人影が立ちのぼった。黒い人影は、どうやら女らしい。その脇に、別の女もいる。


 そこは夜の闇で、田舎も田舎、辺境の葦藪だ。ここは知っている、そう、——俺の故郷、ジャウティだ。

 女は、赤子を抱いている。暗闇で、顔は見えないが、シルエットでそれがわかる。隣にいる高貴そうな女の影からは、とても強い感情を感じる。みずからを戒める、覚悟の圧だ。


 やがて、二人は口論のようなものをした。会話が、おぼろげながら聞こえてくる。


 イシュタル


 という名を耳にし、心臓に針が刺さったかのような戦慄を覚えた。


 それは、何度も何度も耳にしてきた名前だった。


(幻影を見るにしても、なぜイシュタルが出てくるんだ……?)


 戸惑うアヌビスをよそに、女は封印の口訣を唱え始めた。

 手が発光し、赤子と母の顔が照らされた。

 

 その顔を見て、心臓が止まりかけた。


 思考と時間とが、凍る。


 それはまさしく、自分と瓜二つの顔だったからだ。


(つづく)

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