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▼第六十六話「幻化潮流一世浮」




 めいめいが戦利品の前でめぼしいものがないか物色しているなか、アヌビスはラーの指し示した木箱を開けた。


 その古びた木箱の中には、やわらかな布で包まれた長さ五十センチほどの杖が入っていた。金属の棒に、二匹の蛇が絡み付いている意匠である。

 長い風雪を経て、外面はやや古びてはいるが、その杖の芯に秘められた威厳、威光をアヌビスはすぐさま感じ取った。


 しかし、「あれは俺の剣だ」というラーの言葉が念頭にあっただけに、頭が混乱した。


「なあ、これが剣なのか? ただの杖に見えるけど?」

「まあそうだろう。この剣は、資格がなければその姿を解放することすら叶わないからな。だがアヌビス、お前にはその資格がある」


 アヌビスは半信半疑でその杖を手に取った。それは、不思議と手によく馴染んだ。


「さあ、神炎錬魄訣(しんえんれんぱくけつ)の口訣を唱え、真気を注ぎ込んでみろ!」


 銀髪を風になびかせながら目を閉じ、アヌビスは口訣を唱え始めた。



  炎身機遇(えんしんきぐう)重重現(ちょうちょうげん)  炎中有象(えんちゅうゆうしょう)象中炎(しょうちゅうえん)

  形朽魂炎(けいきゅうこんえん)不滅形(ふめつけい)  燃尽世間(ねんじんせけん)成悟境(せいごきょう)

  夢中暫得(むちゅうざんとく)此身軀(ししんく)  幻化潮流(げんかちょうりゅう)一世浮(いっせいふ)

  生滅刹間(しょうめつせつかん)泡沫夢(ほうまつむ)  燃盛生然(ねんせいせいぜん)盡天命(じんてんめい)


  (ほむら)の身、必然と偶然の機が重なる場所に現れ出ずる

  炎の中に万象あり、万象の中に炎あり

  

  身が朽ち果てようとも、魂の炎は尽きることなく形を変えるのみ

  その炎は、世界から得られるものすべてを燃やし、己の悟りとする


  我、この夢の一瞬の間に、身体を得る

  我、幻の如き潮流の中に、生を得る


  生ずるも一瞬、消えるも一瞬、すべては泡沫の夢也

  燃え盛るは生の本然、限りなく熱く命を全うせよ



 アヌビスが口訣を唱えるごとに、杖から光が放たれ、強まった。そして、杖の先にある二匹の蛇が命を持ったかのように起き上がり、その身体を伸ばした。

 そして、口訣を唱え終わるのと同時に、杖は眩いばかりの大量の光を放った。


 その強烈な光が、辺りの闇を裂き、払う。


「なんだこれ!! 眩しッッ!!!! 先に言えよ!!!!」アヌビスは怒鳴りながら、左手で目を覆った。


 ディラや子供たちも、アヌビスの発する光に驚き、彼を見た。


「まったくうるさい奴だ!! さあ、光を収束させろ!! 光の波動を感知し、剣にするのだ!!」

「ったく、わかったよ!!」


 夜中に出現した太陽のごとき暴光は、アヌビスが意識を集中した途端、急速に一点に集中した。光を念でコントロールするという難事も、天才少年にとっては赤子の手を捻るようなものだった。光は凝縮され、小型の太陽ほどにも思われる膨大なエネルギーを、剣身へと変えた。さしものアヌビスも、漏れ出す力の気配を捉え、思わず仰け反った。


 光の剣が、その真の姿を現した。


 それは白い光を放ってはいるが、眩し過ぎることはなかった。剣身は光のはずだったが、先端の方に重心があり、重みも感じる。

 アヌビスはその不思議な神物(しんもつ)を顔に引き寄せ、口が開いたまま、まじまじと見た。剣から漏れ出る光がアヌビスの濃い肌を照らし、宝玉のような瞳にハイライトを入れる。表面は光の粒子が絶えず流動していて、思わず見入ってしまう。


 おもむろに軽く剣を振り、いくつかの招式を軽くこなしてみる。剣は、手によく馴染むし、重量も軽過ぎず、使いやすい。そして何より、めちゃくちゃかっこいい!!


「うおおおおおおおッッ!!!! なんだこれ、かっけえええええッッ!!!!」アヌビスは興奮し、思わず叫んだ。歓喜に眼がきらきらと輝き、感情が爆発してしまう。

「扱いに気を付けろ!! その剣は、だいたいなんでも斬れるんだぞ!!」ラーが叱った。

「わかってるって!!」


 アヌビスは欣欣痛快、気息充実、雨あられ。ラーの神器、光が束ねられた剣の美しさに惚れ惚れしながら、五山燎火剣功の招式を演舞する。


 光の残像が、闇のなかに浮かび上がる。

 直線や円など剣筋に沿って光線が描かれてゆき、折り重なっていく。


 まるで光の芸術のようだ、と全員が目を奪われた。

 華奢なアヌビスは、光の幕のなかで、美の精霊にしか見えぬのだった。


 そのとき、メジェドが目を丸くしながら叫んだ。


「ねえ!! それってラー様の神器、【禁剣カドゥケウス】だよね!? なんでアヌビスくんが使えるの!?」

「カドゥケウス? そんな名前だったのか、これ」アヌビスは剣を止め、呟いた。

「オシリス様やセトでさえその剣を光らせられなかったのに!! どうして!?」

「さあな。剣にも好みがあるんじゃないのか?」


 イチから説明するのが面倒くさい、という理由で、ラーの独門心法・神炎錬魄訣のことは伏せて誤魔化した。

 メジェドとしては、剣の好みとはなんなのか、とあれこれ考えるほかない。



 アヌビスは、禁剣カドゥケウスを構え、またしても武功の型を軽く演じた。

 剣が光の軌跡を夜の浄闇に残し、アヌビスの美しくも凛とした顔を照らした。


 その姿を見て、インプトが思わずため息を漏らした。心臓に甘い痛みが走るかのようだった。

 そして、彼の舞う姿が見たい、と強く強く心臓が訴えた。


 インプトは一瞬躊躇したが、それでも声を出すのを止められなかった。


「ねえアヌビス! せっかくだから、その光る剣で剣舞を演ってくれない?」


 アヌビスはあからさまに眉をひそめて嫌そうな顔をした。「はあ? もうくたくただっての。そんな元気ないって」それもそのはず、廃墟と化したメンネフェル大神殿から、数時間も走ってようやくここまで来たのだ。体力はすでにない。


 しかしそのときインプトに加勢する者が現れた。


「ボクも見たいわあ~。アヌビスくん、頼むわ。生き残ったお祝いに、ひとさし舞ってくれへんやろか」

「伝説をつくった【神舞幻手】の舞いを見せて貰おうか」とディラも調子を合わせる。


 アヌビスはため息をついた。


「やれやれ。お前ら、いったい俺をどれだけ働かす気なんだ?」

「お願い、アヌビス!!」とインプトが熱のこもった眼で訴える。

「しょうがねえなあ」


 アヌビスは、光剣を天にかざした。その瞬間、アヌビスの姿は、闇夜に浮かび上がる白い閃光と化した。


 そして、朗々とした音声(おんじょう)で節を取り始めた。



  悠久の蒼流(ナイル)

  神代かみよより生命を育む


  大いなる氾濫 大いなる恵み

  ともに分かちがたき表裏(ひょうり)


  波滔々(とうとう)と 魚あふれ 鳥あふれ

  波荒々と 水あふれ 泥あふれ


  一切合切 水に流されゆく

  そののちに 生命芽吹く


  天は移ろい 人もまた消えゆく

  あらたなる命が 舞台に立つ


  人間(じんかん)の栄耀栄華 蒼流は知らず

  なべて儚き人の世を 蒼流は知らず


  

 月明かりの下でのアヌビスの剣舞は、神話の世界から舞い降りたかのようだった。

 剣が弧を描くたびに、光が奔り、夜空に星屑を散らす。剣はまるで生きているかのように、自由自在に夜空に光の軌跡を描いた。


 アヌビスは陶酔し、舞いの世界に没頭した。

 無我の境地に達し、光剣を振るだけで、幻想の世界をその場に現出せしめた。


 一同は息を呑んだ。それは、夜と光という舞台効果も相まって、メンネフェル美少女大賞のときよりも、さらに迫力があったからだ。


 アヌビスは恍惚とした表情で、その魂が感じるすべてを、剣と舞いと唄で描き出した。


 インプトは、その一挙一動のすべてに感動し、胸の中で称賛を惜しむことができなかった。荒々しい感情の波が、高鳴る心臓とともに、インプトを揺らした。



 アヌビスは舞を終えた。それは、生還を祝うにはこれ以上ないほどの舞いであった。


 上機嫌になったディラは、舞を終えた美しい愛弟子に賛辞を述べた。「【神舞幻手】の名に恥じぬ、素晴らしい舞いだった。ふふふ、私は師匠として鼻が高いぞ」


 アヌビスは、その師匠という言葉を、すんなりと受け入れた。短い期間ではあったが、武功や舞い、語学などの師になってくれたのは、彼女だった。


「ここまで上達したのは、ディラが教えてくれたおかげだよ。ありがとな」


 弟子が頭を下げるのを見て、師匠は思わず胸が熱くなるのだった。これまで孤独な人生を歩んでいた彼女にとって、ここまで信頼し合える関係をつくったのは、父が死んで以来、初めてのことだった。


 ほかの三人もアヌビスに並ぶようにやってきて、ディラに頭を下げた。そして、俺たちを鍛えてくれてありがとうございます、と口々に言った。

 ディラからすれば、命を獲ろうとした彼らに、嫌われたり罵られたりすることも仕方ないと思っていたところ、逆に感謝されて、驚くばかりである。


「やめろ、こんな犯罪者に、頭など下げるな!」黒曜石の仮面の下から、真っ赤な肌が覗いている。

「たしかに」とアヌビスは笑った。「でも、いろんなことを教えてくれたのは確かだ」

「私はディラのおかげで、いろんな気付きがあったよ。女として、いろんなことを学ばせてもらった」とインプトが言った。

「せやせや。必要な銭も稼げたわけやし、結果オーライやろ。それに、ずいぶん面白い経験させてもろたしやなあ」刺青だらけの腕を後ろ手に組みながら、レンシュドラが言った。


 あれほどの大事件もレンシュドラにとってはただ面白い経験なのか、とメジェドは呆れた目をした。


「ええい、もう何も言うな、このバカ者どもが!!」


 仮面の下から、涙がこぼれた。


 ああ。凍り付き、時間を止めていた私の人生は、いま、再び時を刻み始めたのだ。


 それは雪解けの水であった。ディラのなかに、閉じ込められていた人間性が、再び息を吹き返した。

 子供たちを見て、可愛い、守ってあげたい、という気持ちが、胸からこみ上げてくる。

 それは、初めて感じる母性であった。


 押し込めていた女性性が、否定しようもなく、心にあふれかえっていた。


 ディラは、涙を見せまいと顔を背けた。


「さあ、お前たちはもう寝ろ!! さっさと寝てしまえ!!!!」

「わかったわかった!!」


 子供たちは、笑いながらディラの強がりを受け入れた。



 夢の中で、アヌビスは日課である修練をした。大変な一日であったが、しかしその修練の内容は、普段よりもむしろ白熱したものだった。アヌビスは必死の形相で【至尊】ラーと剣を交わし、腕を磨く。

 セトとの一戦で、為す術もなく捕えられた経験が、アヌビスの危機感に再び火を点けた。このままではいけない。もっと強くならなければ死ぬ、という根源的な動機が少年を衝き動かした。


 ラーはアヌビスの気持ちを理解したうえで、アヌビスを何度も何度も斬り伏せた。


「その剣路は勢い任せ過ぎる、もっと相手の態勢をよく見ろ」

「そこで直情的に攻めるな! 一拍置いて、相手の呼吸をずらすのだ」

「相手を見据えつつ、広い視野を意識しろ! 顔で見るのではなく、後頭部から見るという意識を持て!」


 アヌビスは必死に食らいつき、史上最強の剣士から教えを受けた。ラーの言葉ひとつひとつを、これ以上なく貴重なものと認識し、吸収していく。



 翌朝、ディラは子供たちに宝を分配した。各自、金のインゴットや宝石類、そして神器をひとつずつ、報酬として得た。

 アヌビスは当然【禁剣カドゥケウス】を。レンシュドラは【地母神環(ちぼしんかん)】、メジェドは【光績矢筒(こうせきやづつ)】、そしてインプトは【獄毒腐(ごくどくふ)】を、それぞれ選んだ。


 しかし、子供たちの喜びようといったらなかった。

 なにしろ、彼・彼女らの人生を左右するのは、目下、金だったからだ。


 インプトは思わず涙をこぼした。それは、ようやく開けた自分の前途に対する激情であった。ナイルの黒真珠と評判の、世にも稀なる美貌の少女は、その気高い顔に、強い決意をはっきりと浮かべた。腹の底から震えるような活気、負けん気が突き上げてくるのを感じ、眼を燃やした。


(これからは、親や金に束縛されない人生が歩める!! やってやる!! 私の人生は、まだ終わってない!! いま、始まったんだ!!!!)


 レンシュドラも、これで未来が開けた、と胸を撫でおろした。元はと言えば、マスダルの教師・【地烈黒羊】バナデジェドに弟子入りの際に金を要求されたことがすべての発端であった。おかげで、ラーの秘庫やメンネフェル大神殿など、命がいくつあっても足りないような危険に首を突っ込まねばならなかった。しかし、すべては終わった。


「いや、ほんまよかったわ!! これで未来の族長に向けて視界良好や!!」

「族長?」とアヌビスが聞き返した。

「せやで。ボクはそのためにマスダルに入ったんよ。将来、ドゥマ一族を率いるんがボクの使命や」

「そりゃいいな。お前ならきっと最高の族長になれる」


 お世辞ではない。いつも明るく、しかも勇気もある。人の話を聞き入れる柔軟性も持っている。きっといいリーダーになるだろう、とアヌビスは心から思った。


 そして、ディラは霊薬をも配った。

 それは、ウプウアウトにも渡した、あのセトの秘蔵していた最高級の霊薬、月神天丹である。


「しめた!! これがあったか!!」と幼児姿のラーが興奮して叫ぶ。もちもちの頬が紅潮する。

「これがどうしたんだ?」

「これほどの力があれば、お前の第二のチャクラを復活させられる!!」

「な、なんだって!?」


(つづく)

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久々にアヌビス更新されてて嬉しい! ディラ様の母性かわいい(*^^*)
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