29-5
オリヴィアの怪我は順調に回復していく。
一週間ほどで痛みは、なくなった。
ぼくの心も、彼女の元気な姿を見るたびに、安堵で満たされていった。
今、館の上空(高い高度ではない)を、彼女は気持ちよさそうに飛んでいる。
真っ白な翼が陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
「良かったですね。翼に問題がなくて」
ソニアは、見上げながらそう話す。
「ああ」
見上げているのは、ソニアとぼくだけではない。
シュナイツのほぼ全員が、オリヴィアを見上げているだろう。
白い翼を広げ、優雅に旋回している彼女の姿は、まるで絵画のようだ。
「美しいな…」
ぼくは思わず呟いた。
自分以外の翼人族が飛ぶ所は何度も見ているが、美しいと思ったのは、今回が初めてだ。
ぼくの翼はもうない。だが、その失われた記憶の中で、ぼくもこうして空を飛んでいたのだろうかと、ふと感傷的な気持ちになった。
「何を言ってるんです。ライア隊長だって…」
ハンスは、そう言いかけて、口を手で塞ぐ。
「バカ!」
ソニアがハンスの腕を殴っている。
「どうした?」
「すみません!」
ぼくの問いに、ハンスは恐縮したように頭を下げた。
「隊長に翼の話をしてしまって…」
「あー…別に謝るほどの事じゃない」
「はい…」
「無神経過ぎる…」
ソニアがまだ怒ってる。
「もういいじゃないか、ソニア」
「すみません。本当に…」
「ぼくは怒ってない」
翼を失ったのは自己責任だ。
ぼくの大きな過失。
他人を咎めたりなんか絶対にしない。
ぼくの心は、もうその事実を受け入れている。
「ぼくもあんな風に飛んでいたんだなって…」
「ライアはネ~、もっとキレイだったヨ」
ぼくの独り言に、兵舎の屋根に寝そべっていたミャンが、ひょっこりと顔を出した。
「降りて来たら、いきなり君に襲われた」
「ニャハハ!懐かしいネ~」
確かに懐かしい。
「ライア、ちょっといい?」
「ヴァネッサ?ああ、構わないが」
ヴァネッサがそばにくる。その声は、いつもより少しだけ真剣だった。
「彼女、どうするの?」
ヴァネッサも、オリヴィアを見上げながら話す。
「どうとは?」
「帰るんでしょ?」
「もちろん。帰るだろう。帰る所があるのだから」
当たり前の事を聞いてくるヴァネッサを見る。
「一人で帰すの?」
「え…あー…そうだな…」
ぼくの返事に、ヴァネッサは厳しい表情になった。
「帰りに襲撃されない保証はないよ」
彼女の言う通りだ。
オリヴィアは一度、賊に襲われている。再び襲撃される可能性は、決して低くない。
「それは…マズいな」
オリヴィアの傷はほぼ治ったが、長時間飛べるかといったら、無理だろうな。
若いし、持久力がなさそうだ。
賊に襲われれば、ひとたまりもないだろう。
「ついて行ったほうがいいんじゃない?」
「ぼくに翼があればそうしてる」
「馬で行くしかないね」
「彼女を馬で運ぶのか?」
ぼくの言葉に、彼女は少しだけ考え込む。
「安全に送っていくにはそれしかないでしょ」
ぼくは春になってから、乗馬を始めた。
それなりに乗れるようにはなった。
一人で乗る分には問題ない。しかし、オリヴィアを乗せてとなると自信はないな…
「なあ、ヴァネッサ…」
「なに?」
ぼくは、意を決して彼女に尋ねた。
「竜騎士を、出してくれないか?」
ヴァネッサの顔を伺うように見る。
彼女の表情は、困惑と、わずかな苦悩に満ちていた。
「出してあげたいんだけど…」
彼女の歯切れは悪い。
「イースタニアでしょ?…竜で乗り込むってのは、さすがにさ…」
「確かに、そうだな…」
イースタニアとは、あくまで、停戦状態で戦争が終わったわけではない。
竜に乗って入国すれば、それが新たな戦争の火種になりかねない。
「あたしは、送ってあげたい気持ちで、いっぱいなんだけどね…」
彼女は、飛んでいるオリヴィアを見上げながらそう話す。
その声には、オリヴィアへの温かい思いと、無力感が混じり合っていた。
「ああ。ありがとう」
ヴァネッサが、そう言ってくれるのは、ありがたい事だ。
なかなか、難しい問題が持ち上がったな…。
オリヴィアがふわりとぼくの前に降り立つ。
その着地は、まるで花びらが舞い降りるようだった。
「ライア様!見ててくれました?」
彼女は笑顔でぼくの腕に掴まる。その弾けるような笑顔に、ぼくの心は癒された。
「ああ。キレイに飛べていたよ」
「ふふ。ありがとうございます!」
もうすっかり元気になったな。
「痛みは?」
「もうありません」
「そうか。しかし、長時間は飛べないだろう?」
ぼくの言葉に、彼女は少しだけ顔を曇らせた。
「ええ…。元々、長時間飛ぶのは苦手なんです…」
「そうか」
気流を読み、それにうまく乗れば体力の消耗を減らせるが、経験を積んでコツを掴むには時間が必要だ。
偉そうな事を言っているが、ぼくも自信はない。
翼を失い、ぼくが教える事もできなくなってしまった。
オリヴィアを、できるだけ早く翼人族の村に帰したいが、いい方法が思い浮かばない。
「エレナの転移魔法があるじゃない」
リアン様が、昼食時にそう話す。
それは真っ先に浮かんだ案だ。しかし…。
「それは難しいです」
「どうして?」
「転移魔法は一度立ち寄った所にしか、行けないからです」
行った事のない所には、行けないという。
「転移先の決定には、そこに残された自分の残留魔法力を感じ取り決めるのです」
「へえ」
「あんたの所には、イースタニアから来たのが、いるでしょ?」
「ええ。エデルとウェインがいる。しかし、彼らには転移魔法は扱えない」
今の彼らには転移魔法はかなり難しいそうだ。
「自分一人だけなら、ギリギリでできるかもしれない。しかし、彼らにとっては相当な魔法力を使うので、相当厳しい」
「そうか…」
ウィル様が、残念そうに呟く。
「少ない魔法力で使えるように、改良は考えてはいますが、今すぐは無理です」
便利だとしても、一長一短があるか。
「翼人族を送り届ける、っていう大義名分があるんだ。堂々と入国すればいいんじゃない?」
「それは、こっちの言い分でしょ?向こうが、どう思うか…」
ウィル様の問いにヴァネッサが答える。
話の中心であるオリヴィアは多目的室にはいない。
ソニアと魔法士女子組とで食事中である。
「許可はもらえないものか」
ぼくがそう呟くと、ヴァネッサが真剣な表情になった。
「許可?」
「ああ。竜でイースタニアに入国できる許可だ。許可があれば、堂々と竜で行ける」
「許可ね…」
ヴァネッサは天井を見ながら考えている。
「確か…イースタニアとの連絡、意思疎通に外交官がいたはず」
「そんな者がいるのか」
ぼくの驚きに、ヴァネッサは頷いた。
セレスティア王国もイースタニア帝国も、お互いに外交官を送っているという。
「表向きは外交窓口だけど、ある意味、人質みたいなもんさ」
「嫌な言い方だな…」
「それで戦争抑止できてるんだから…あ、これは、あたしの個人的見解ね」
ヴァネッサが苦笑いを浮かべる。
間違ってはいないんだろうな。それで停戦できているのだから。
「その、外交官から許可をもらえれば、竜で入国できると」
「たぶんね…わかんないよ」
「では、頼む。ヴァネッサ」
「え?」
ぼくの言葉に驚く。
「頼むって…許可取って来いって事?」
「ああ」
ヴァネッサはため息を吐いた。
「君は、オリヴィアを送ってあげたい気持ちでいっぱいだ、と言ったじゃないか」
「あら、そんな事言ったの?」
リアン様が笑顔で尋ねる。
「言っちゃったね…」
ヴァネッサは、観念したように肩を落とした。
「これは、入国許可をもらって来ないといけない」
「…わかったよ。でも許可が下りるかどうかは、ほんとにわかんないよ?」
「ああ。ダメなら、ぼくが一人で行ってくるさ」
元翼人族のぼくが、オリヴィアを無事に送り届ける。
それが、ぼくの使命だろう。
Copyright©2020-橘 シン




