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物語というものを作る際に発生する嘘くささというのは一体どこから来ているか。それは作者が全能の顔をして登場人物を統御しだす手つきが視聴者にも見えてしまうからだ。これへの対処法として、自分は時間を二つに割って考えるという手法を取りたい。時間を二つ……この場合、それは二つの線で表される。一つは過去から未来へ向かう線であり、もうひとつは未来から過去へ向かう線だ。


登場人物は通常、自分達の物語の結末を知らない。作者だけが結末を知っており、作者は登場人物を動かして結末に持っていく。これは時間継起を過去から現在、現在から未来へと考えていく通常の時間観と適合する。こうした見方を一部変更する。


登場人物は、自分の資質や方向性について自覚的なものとする。登場人物、特に主人公は己が何かという事を知ろうとし、知ろうと務める。その事から、未来は、おぼろげな予測として感じられる。未来は予知されるのではなく、自分の資質や方向性から予測されるようなものとして感じられる。


一方で、同時に、主人公は未来に逆らう事も可能である。自分の存在から考えられる未来可能性にわざと反する事もできる。僕の例で言えば、あえて数学者になろうとする道もありうる。あえて、月まで徒歩で歩こうとする道もある。だが、それは自分自身の資質から来る予測性と反する。最後にはきっと、自分の予測の範囲にとどまる運命を甘受するだろう。僕の物語の作り方としてはそういうものを考えている。


人間は意識を持っている。そこで自分についての洞察も出てくるが、自分というものから離反するという事もある。離反しようとする意識もまた、一つの運命であるという視点というのは、主人公に持つ事ができない視点である。作者はこれを持つ。一方で、主人公や登場人物は自分を生きようとする。普通の人物であれば、固定的な性格、性別、社会的存在を演じる。だが、これに反しようとする事もまた人間のする事だ。これらを統一的に見る視野が作家には要求される。


過去は現在を通じ、未来へと通っていく。今の僕は将来を予知ではない。が、ぼんやりと予測する事はできる。


現在から見れば、過去の人物がどのような経路を通り、どんな運命を辿ったか、明確にわかる。歴史小説を書く上ではこれは極めて有利だ。歴史の中の人物は自由ではない。運命は確定した。未来から過去を描く視点は、過去からすれば、彼らの未来を予知できるのと同じ事だ。しかしながら、過去の人々の内側に目を向けると、彼らもまた我々と同時に自由であった。その自由性と、彼らの運命の確定性はどこで調和させられる事ができるか。それを自分は……人間が自分の資質や方向性についてある程度知っているという事、人間が自分の未来についてある程度予測できるという事、それと、そのような人物が現にそのように生きたという事実性を未来から描くーーつまり、人間を未来から過去に向かう視点と、過去から未来に向かう内的視点の同時性によって確保したいと思っている。


整理する。人間はただ自由なだけの存在ではない。人間は遺伝子・環境・身体・資質など、様々な要因によって最初から規定されている。幼少期は自分の意志が通じる場面はほとんどない。その期間を通じて自分は形成される。


形成された自己から、自分の未来についておぼろげに考える事もできる。決められた自己から未来の自分を決めていく。過去は未来を拘束する。だが、未来もまた自分を主張する事はできる。過去の因果から、未来は自由になろうとする。人は意志を持って自分を変えようとする。この葛藤そのもの、つまり、過去と未来が現在という場で戦うという現象そのものが物語を織りなすと考えたい。その場合、通常の意味での物語は、登場人物によって意識的に取り込まれるという手法を取る。つまり、普通の意味での物語を登場人物は知っている。


僕らはテンプレ的な物語をテンプレとして見る。それはそれ以前の沢山の物語を知っているからだ。テンプレの物語が成立するのは、登場人物達が自分をテンプレだとは知らないからだ。だが、自分をテンプレだと知った主人公のたどる物語はテンプレではない物語となるだろう。表面的な形式ではテンプレだとしても、それを知った主人公がそれを越えようとする時、そこにはテンプレではないものが現れるはずだ。


ややこしい話になってしまったが、イメージしているのはそれほど難しいものではない。


年を取ると、僕らには過去が見えてくる。誰がどんな運命を辿ったのか、わかってくる。若い頃には未来が見えている。未来は可能性に見える。


若い頃の自分の思い描いた夢をそのまま実現したとしても、そのままハッピーな事ではない。なぜなら、夢は何らかの形で具現化されてしまったからだ。思い描いていた自分が実際に具現化されると、具現化されたという事実だけによっても、イメージとは違うものとなる。具現化された現実は現実として定在している。大富豪になる事を夢見て努力し、その通りになって年を取って自分が大富豪である事を感じる。満足もあるだろうが、得たものを感じるのが若い頃と変わらない自分の意識であると感じる時、自分が追っていたものはなんだったのかと思わざるを得ない。


老境の地点から若者を眺める。あるいは現在から歴史的過去を眺める。過去は一筋の物語を持っている。一方、その地点から未来を眺めれば世界は可能性に満ちている。色々な道が予測される。


人間は意識ある存在であるから自分の中に色々なものを持っている。これを明晰に書きつくしたいと思うとプルーストのように、起きてぼんやりしている間だけで多量の原稿用紙を使わなければならない。一方で、そのような無限性を持っている自分というのも未来のある一点から見ると一つの運命を辿ったように見える。


物語ーー小説というものをどういう風に考えるかというと、この二つの要素、二つの場所から挟み取るようにして、人間をすくいあげるという事になる。個人は自由であるが、その自由には傾向性がある。個人はその傾向性に反する事も許されるが、最後には自分というものを社会の中で位置付けしていく事になる。具体的に言うと、社会に抗して自由であろうとする人間(他者との関係の中でも自由であろうとする人間)が、次第に自分自身を一つの物語として決定していく物語という事になる。何故、自由は最終的に不自由な方向へ決定されていくのか。それは人間には「死」があって強引に、その人物を規定するからとも言えるし、その事には理由はない、ただ、人間は無限の自由には耐えられないからだ、とも言える。(永遠に続くように思われたプルーストの小説も最後にはオーソドックスなポイントに収斂された。プルースト自身の死と共鳴するように、主人公は自己を一つの点に位置づけた)


人間の自由は未来への広がりとしてあり、それを意識に対する絶えざる記述(モダニズム的な)とする場合、その記述は構成を取る事が難しくなる。近代から現代への文学の変化は、自己を定式化する事より、自己の内面領域を広げる方向に進んだが、例えその方向が正しくても、そうして広がった内面を持った個人はやはり、社会の中での定在としての自己を生きる事に変わりははない。そこに物語が生まれる機縁がありそうだ。


過去は既に在る。未来はまだない。だから可能性に見えるが、未来もまた過去に変わるだろう。人間は自分自身を生き、どのような事にも反抗できる。反抗の意志は無限だが、現実的な反抗は必ず結末を持つ。反抗、自由への意志は最後には、意志か諦念かという二択に行き着くように思う。


ソポクレスや漱石、シェイクスピアらの作品に見られる運命と自由の弁証法は現代に視点を移し替えると、自我意識が他者との関係により、一つの定在に置き換わる形に見える。


作家は確かに登場人物よりも多くの事を知っている。だが、登場人物もまた自分自身の運命を知っている。登場人物を簡単に統御しようとすると、登場人物自体の存在から反駁を受ける。反駁を目にすると、物語は不自然になる。ここで何らかの形で、自由と不自由を作家内部で、整合を取らなければならない。


整合の取り方としては、個人の内面を無視する事なく、なおかつそれを客体的に取る、言ってみれば四次元的な視点を得るという事になる。単に過去から未来へと時間の糸が伸びているのではなく、未来は自由への反抗、予感として登場人物(主人公)には感じられている。だからこそ、その物語は、単に作者が弄り回したものには見えない。少なくとも、そうなる事が希望されている。


今までは時間を例に取って言っていたが、これは言い換えれば、物語が成立する根拠を登場人物(主人公)が握っているという事でもある。彼は自分が何故そうするのか知っている。あるいは、何故、そうしたがらないかを知っている。しかし、知識や感性は物語ではない。物語を知っている事は物語ではない。だが、何も知らない登場人物を、作者の作った簡単なレール上を走らせるのは簡単な物語であるにすぎない。主人公はある意味で作者を圧倒する存在でなければならない。そのような主人公をうまく統御し、この猛獣をうまく飼いならす事が可能になってくると、読者の目からも納得できる作品構造ーー物語性ーーが現れてくる。


…とやたら、ごちゃごちゃ書いてしまったが、思ったよりわけのわからない文章になってしまった。疲れたので、このあたりでこの文章はやめる事にする。本当に、疲れた。

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