4.帰宅と報告
.
「ただいまー」
「ラ、ラキ! 大丈夫だったかい!?」
ラキがハネスト男爵邸の古びた玄関の扉を開けると、顔面蒼白の父・マルクが出迎えた。
借金の対応などに追われ、カムグロス侯爵家との顔合わせに同席できなかったマルクは、ラキの無事を確かめるように両肩を掴む。
「カムグロス侯爵家では一体何を言われたんだい!? 酷い目に遭わされたりしなかったかい!? うちは男爵だからもしかしたら横暴な振る舞いをされたんじゃないかと生きた心地がしなくて……!」
「あはは、大丈夫だよ。会ったのはディートリヒ様だけだから」
「そうなのかい!?」
「うん」
応接室へ移動中に、マルクはラキからカムグロス侯爵が不在だったことを聞いて驚く。
応接室へ入ると、ラキは昨日と同じ欠けたティーカップに白湯を注いで口をつけた。
「ふぅ……」
「それで……その、どうだったんだい? ディートリヒ様は……」
「うん。めちゃくちゃ顔のいいイケメンだったよ」
「顔の話じゃなくてね!?」
「えーとねぇ……」
『貴様を愛するつもりはない』
『必要最低限関わるな』
『ただの“飾り”として大人しくしてろ』
『結婚後に愛人を作り、その女に跡取りを産ませる』
『正妻の座を与えてやるだけでもありがたいと思え』
『愛人を作るな』
『男遊びならしてもいい』
ラキはディートリヒに言われた内容をマルクに報告した。
「な、なんて非道な……っ! いくらうちが没落寸前だからといって、君にそんなことを言うなんて……! 悔しくないのかい、ラキ!?」
マルクは拳を強く握り締めた。
しかし、当事者であるはずのラキは傷付いている様子はなかった。
「うーん……悔しいとかは全然。ただ、『へぇ、ディートリヒ様ってこういう人間なんだなー』って思ったくらい?」
「心が強すぎるよ、君は!?」
「だってさ、向こうは借金を完済してくれるんだからパトロンみたいなもんでしょ? それだけでもありがたいのに衣食住は保障されて、放置してくれて、自由行動まで許されるんだよ? むしろ神様仏様ディートリヒ様って感じだけどな」
ラキにとって、ディートリヒの高圧的な態度は単なる“相手の性格”でしかなく、嫌悪感を抱く対象ですらなかった。
世の中には色んな人間がいる。
多額の借金を一瞬で消し去ってくれるなら、ディートリヒの高圧的な態度くらい笑顔で受け流せるのがラキのメンタルの強さだった。
「あぁ、でもさ。ディートリヒ様、明らかに俺のことが嫌そうだったんだよね。終始すっごい不機嫌だったし」
「えっ……じゃあ、やっぱり婚約の話は……」
「うん。求婚状を送ってきたのはカムグロス侯爵だから、ディートリヒ様は全く乗り気じゃないっぽい。だからさ、あの感じだと『あんな奴とは結婚できない』って、婚約自体が白紙に戻る可能性が高いんじゃないかな」
「そ、そうなのかい……? じゃあ、うちは結局……」
マルクが絶望に顔を歪めかけた時、ラキは顎に手を当てて『ふむ』と呟いた。
「白紙になったら、当初の予定通り訳有りマダムを探しに行くか……。あっ、いっそのこと、マダムの再婚相手じゃなくて“公認愛人”にでもなろうかな?」
「こっ、公認愛人っ!?」
「うん。伴侶が存在を認めていれば不倫にならないアレだよ。貴族は政略結婚が多いから公認愛人がいるのなんて珍しくないでしょ? 俺のこの美貌なら、旦那様に愛想を尽かしたマダムの公認愛人枠も余裕で狙えると思うんだよね。囲われて優雅に暮らすのも悪くないかも」
「絶対にダメです!!」
マルクはラキの両肩を激しく揺さぶった。
「同性婚でも戸惑っているのに、大事な一人息子を愛人の立場になんてさせられるかぁ! ご先祖様にもアナベル様にも怒られる! 父さんが意地でも別の方法を探すから、そんな不健全な野望は捨ててくれぇ!」
「冗談だってば。父さん、顔が青いよ?」
ラキはケラケラと笑いながら、ふと目の前で焦り狂うマルクの顔を眺めた。
「……ねえ、父さん。それよりさ、父さんこそ再婚しないの?」
「えっ?」
突然振られた話題に、マルクは目を丸くした。
「借金の件が落ち着いたらさ。父さん、まだ若いんだし、ハネスト家のためにも再婚して俺に弟か妹でも作ってくれたら俺も助かるんだけどなー」
「何言ってるんだい、無理に決まってるだろう!」
マルクはブンブンと首を横に振った。
「ハネスト家は代々、パッとしない……言っちゃ悪いが容姿に恵まれない家系なんだ。僕の父親……君のおじい様だって、相手探しに苦労して苦労して、晩婚でようやく僕を授かったんだからね。君のお母さんが僕みたいな男を選んでくれたのはまさに奇跡だったんだ。そんな奇跡が二度も起こるわけがないよ」
マルクは亡くなった妻を偲ぶように微笑んだ。
「それに……僕にはアナベル様しかいないからね」
「へいへい、愛妻家だねぇ」
「子煩悩も追加してくれるかな」
ラキは呆れつつも、マルクのそういう一途で愚直なところを悪くないと思っている。
自分の美貌は母親からの受け継いだものだが、ラキは自分にハネスト男爵家の血が流れていることを誇りに思うのだった。
.




