2
シー・シックから一番近くなる有人の施設は、木星の月都市群。それから、人工惑星と呼ばれる四大精霊。『シルフ』『ノーム』『サラマンド』『ウィディネ』の四大宇宙間コロニー。火星と木星の狭間を回っている。太陽を挟んだ対面にあるから実はとても遠い。同じ速度で公転しているということだ。
色々と考えた結果、僕は1957年の、ソ連スプートニク1号から始まった宇宙開発計画は、2215年に出来たこの四大精霊で事実上完成に達したと思う。
一つ一つの都市は、それぞれ八千人から一万二千人ぐらいまでしか住まわせることはできなかったし、ある程度の太陽光が得られる宙域でなければ、自給自足しきれない欠点はまだ残っていたけれど。この四つのコロニーは惑星を離れても人間は生きていけることを見せつけた。
シー・シックに来るにあたって僕が推薦を受けたのは、この『ノーム』出身の海賊アルシュ。たぶん今もここを拠点にして違法運輸会社を運営しているはず。あれはもう海賊っていうより、企業だね。
『ウィディネ』は今は廃墟だ。
2415年 8月。
水の精霊の名を与えられたそのコロニーは大火災が起きる。
生き残った者たちはその数ヶ月をこう呼んだ。
「空が焼けた日」
居住区すべてを八ヶ月かけて焼いた大火だった。生残った人々は地下に逃げ込んだ。そこは火はこないけれど、安全とは言いがたい場所のはずだ。『ウィディネ』は回転する筒状のものではなくて、円盤型だった。地下に高速回転する金属のリング・通称クロノスを入れて適度な重力を作り出していた。床一枚下を何かが動いている気配を絶えず感じ、天井の上は猛火。そこに乏しい食料で八ヶ月を過ごした人々。酸素が尽きるかもしれない恐怖。
想像すると、怖くなる。
その八ヶ月は彼らを特殊な人間にしたという。彼らは食料を巡って殺しあわなかった。男も女も子供も老人も食いあわず。日に数度の声の唱和で絆を保って、それ以外は動かずに居たという。鎮火し、絶望的な生存者を探しに来た『ノーム』『シルフ』の救助隊が地下で目撃したのは、地獄絵の中の夢の楽園だったという。
極限下で、それでも弱いものを庇いあうという、生物にはけっして出来ないはずのことが、現実に起きたのだ。当時妊婦も居たが、いずれも無事出産し、乳児を抱えて母乳を必要とする母親に、飢えた人々は優先的に食事を回し、食料が尽きかけると彼女たちに己の血を与えたらしい。
垢と排泄にまみれた、凄惨な地下では、それでも赤子は痩せてはいても健康だった。
彼らを受け入れることになっていた『サラマンド』は、生存者の多さに驚いたのだった。結局、『ウィディネ』の住人の生き残りは、居住区にゆとりのある木星月都市群に振り分けられた。
人間は極限下でも和を保てる。その事実は希望ともなったが、脅威ともなった。『ウィディネ』の民はもはや人間という目では見られなかった。聖人か、天使か。とにかく、人間ではないものに仕立て上げられた。
多くの人間は、そのときに同じように和することができるとは思えなかったのだ。やがて、それは御伽噺のようにされ、道徳的ではあるけれど大人同士でその話題を口にすることはなくなった。
たぶん、怖かったのだと思う。
母が子供のために血肉を分け与える。父が、夫が娘や妻を守るために自分の体を刻んで肉を食わせる。それぐらいなら美談だった。二千人規模でそれが他者に対して行われたとき、当たり前のささやかなエゴは大罪なのだと僕らは突きつけられた。
自分の命を守るために、他の罪なき者の命を奪うことは許されなくなった。法が示したのではなく、彼らの生き方がそう示した。
『ウィディネ』はその後、復興はなされていない。ただ廃墟のような円盤が、定められた軌道をまわっている。
「空が焼けた日」は時期的に月と地球の冷戦が終ったばかりだったから、地球側の制裁だったのではないかという噂も流れたという。真相はわかっていない。
四大精霊より外側に回っているコロニーは、現在百八十個近くになり、それぞれが企業が作っていたり、国が作っていたり、驚くべきことに個人が所有していたりとしている。
コロニーといっても、五百人ぐらいが住む、シー・シックよりやや大きい補給基地兼居住区みたいなものだった。
一番遠いのが冥王星より外にある、八つのコロニー。これをこの太陽系最外枠の補給線としている。名前が、大きい自給自足都市型は『グラッドン』『セパレート』『オウル』『冥王城』『ハデス』。小さい補給基地みたいなものが、『ペルセポネ』『冥妃』『エドウィン』。
一応、冥王星にちなんだ名前もあるんだけど、早い者勝ちで名前に取られちゃうから、完成順じゃなくて申請順で、後半のものは会社名そのまんまや、社長が息子の名前をつけていた。作られたのはほとんど同時期だったから、ハデスとペルセポネの競争率なんて、凄かっただろうに。
ちなみに、冥王星より内側に、「ケルベロス」はあるから使えない名称なんだよ。これは個人所有の研究所らしい。
宇宙開発から五世紀半も経った今も、ワープ走行なんてものはないし、せいぜい冥王星近辺までしか人間は到達していない。その外側はずっと何もない世界だからだ。足がかりがなくなった途端、宇宙事業の発展は著しい成果を見なくなった。
そういえば、IO―8型ウィルスが発生したのは、冥王前線基地が出来た頃だっけ。
地球人が宇宙に対しての支配権を失わせる大きな原因。
そのウィルスは通常では無害な大腸菌の一種を、無重力状態になると猛毒を生成するように性質を変えるウィルスだった。
地球人だけが発病した。
今なお、治療法は見つかっていない。
だから、運輸を支配しているのは、月都市同盟。木星の月都市群(木星の月都市はみんな群をつける)もそれなりに力は持っているけど、やはり歴史的、数的に違う。それに月都市は女性の都市だったから、運輸ではやはりかなわない。月都市群は、男女の割合は男の方がやや多いぐらいだから。
地球人は移民も出来ない。これは男女に関わらず、すべて。一回のフライトで発病率は100パーセントに近い。そうなったら、二年で死ぬ。
たぶん、僕は父親が月都市群か火星の男だったんだろうと思う。もしくは、体の中の悪魔が、その程度のウィルスは駆逐したか。
どちらでもあまり差はない。
僕はこうして、シー・シックで普通に働いている。
こんな話をしたのは、イリスの影響。
あの人、ほんとうに子供みたいで。怒っていても、何日かするとすぐにひょこっと顔を見せる。しばらくこなかったと言っても、二日半ぐらいが限界みたいだ。
それで、せっかく僕のところに来たんだからと、地球の話をしてもらったんだ。
イリスの持っているオーロラ号は大きすぎて地球みたいな濃い大気圏と強い重力のあるところに下りることはエネルギーの無駄だけど、そう言う場合、月に置かれた連絡用シャトルで降りたりはできる。
僕は地球から離れて十年近くになる。ちょっとだけでも、その雰囲気が知りたかった。
イリスは地球があまり好きではないみたいだった。厳密には、地球も単品として嫌いで、地球人もそれ自体として嫌っている雰囲気だった。
嫌いな住人がいるから嫌いな星っていう感じじゃなかった。
あんな気持ち悪いところに、二度と降りたくないと言い放たれて、僕は困った。
僕はその気持ち悪いところで生まれて育ったんだ。
イリスの地球に対する嫌悪感は凄く大きくて、それ以来、水を向けてない。
イリスはどちらかといえば地球より、地球人の方が嫌いみたいだ。そういえば、キンカナもそんなところがある。
やっぱり、死の病気に起因するんだろうか。
僕を殺すのは、イオではないのだけど。




