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食堂で食事をとる。
今まで使っていたブックはイリスにあげてしまったから、ウェブマネーも使用できなくて、コインを使っている。色々不便だけれど、まあほんの一ヶ月程度のことだ。
それももう半分が過ぎた。
投薬は二日に一回になっている。繁殖力に僕の容量が負けるより、薬がなくなるほうが早いだろう。
どんっと重い音がして、隣にジョーが座った。
「しつこいなぁ」
「お前が得体が知れないのは変わらない」
隣で悠然と食事を取り始めた。
僕に対して敵愾心を持つ奴がいると、どうにも落ち着かない。
キンカナに言われた。
僕はテレパスにとっては魅力的なんだってさ。中が見えないからみんなが僕のことが気になって仕方ないんだって。良くも悪くも無視できない。
ジョーはやっぱり無抵抗主義だったウィディネらしく、疑わしいだけではいきなり射殺とかはしてこない。その寛大さは認めている。
そうだね。初めて会ったときは、こんなことは想像しなかったな。ジョーはある程度は僕を信用している。だから食事を、これだけの近距離で取れるんだ。
シー・シックは僕にとって居心地のいい場所だった。ここに来れてよかったと思う。
「最近、顔色悪いぞ」
「そういうのわかるようになったんだ?」
「お前はそういうのでわかるしかないだろう」
ジョーがからかわれて面白くないと、仏頂面をする。
僕は吹き出した。
「なんだよ」
「別に。面白かった。だからそのご飯は奢ってあげる」
「なんだ、そりゃ」
ジョーの盆の上に、コインを乗っけた。
「お願いがあるんだよ。アルシュの会社の小型便が来たら、渡しておいて」
手紙。中は紙きれ。インクで書き綴る古式ゆかしいもの。
結局これが一番、偽造できない、見られることもない、本物の確認がしやすい確実な伝達方法。
「お前がやればいい。いつもやってるだろ」
「間に合わないから」
「なにが?」
ジョーは不思議そうに聞く。
檻に閉じ込められた薔薇を見たはずだけど、彼はそれを死の檻だとは思っていない。僕が抑圧されていることは漠然と知っていても、僕が数日のうちに死ぬことは、知らない。
いいんじゃないだろうか、それで。
「頼んだよ」
あと数日で死ぬのなら、今食べているこの食事は無駄ではないのか。僕はときどき考える。
僕はウィルバの特訓をよく行った森林区に来ていた。
周囲には人の気配がまったくない。元々、シー・シックは人口密度は薄い。
手ごろな大石に腰をおろして、僕は何かを待っていた。
運命っていうのかな。
僕を滅ぼすもの。僕を殺す何か。
シルバーブルーの毛並みの、大きな兎が現れた。
「やあ、ウィルバ」
ウィルバは語らない。
愁いに浸った目をしている。
その背後に大きな虎が居た。
宇宙空間でも平気で駆け回る、命や生命といったものを超越した虎。
大きな鷲が羽ばたく音をさせずに、近くに舞い降りた。
「君たちは、草食獣はいないのか?」
考えてみたら、みんな肉食だ。
「あまり多くはないな」
虎ははっきりと言葉を紡いだ。僕はその明瞭な発音にやっぱり驚いた。この舌、この口、そしてこの喉。吼えたり唸ったりするのに適応した口で、虎が静かに語るのが、不思議でならない。
「植物は汚染が高い」
ああ、なるほど。直接大地から養分を取っている植物を摂取するせいか。よほどの意思力がなければ、その悪意に抗えない。
植物は無力化することで、溜め込んだ悪意に流されない方法を選択したわけだ。その結果、自殺することも他を殺すこともほとんどない。食虫植物なんかはまれだし、能動的に捕えることはなくて誘い込むだけだ。
イリスも言っていた。
動けない植物はとてもうるさいって。精製する前の麦袋から漏れ聞こえる合唱は聴いていると気が狂いそうだとまで。
「語りに来た」
「僕と?」
「人間と、だ」
「イリスやキンカナとか、そういうウィディネの奇蹟の子じゃなくて、僕でいいの?」
彼らはウィディネの老人たちにより近しい。
「人間と、語りたいのだ。彼らは私たちにとって人ではなくなった。彼らは、もっと動物に近い」
そうだね。大きな知恵を伴った本能的な存在というべきだろうか。イリスたちは宇宙空間で生きることに適応した野生動物なんだ。
僕はかすかに笑っていた。
僕自身は人間なんだろうか? 半分は機械が独自に作ったという、奇妙な存在。たぶん、この世で唯一の。
「語り合うことはあまりないけれど、僕が考えて得たことを喋っていいかな」
僕は体の中の悪魔を意識した。
「僕らは、抜け出せなかった。僕は、これに殺されなくちゃならない。母がそうして死んだように。ナノシリーズを歪めたのは、結局、個々の人間たちだ。僕らは常に無意識で地球にこう言っていたんだね。『お母さん、僕は病気だから、気にかけて、愛して』ってね。僕はそれを悟ってからの数年間、ナノたちにずっと語りかけていたよ。イリスと生きたいって。でも、僕ら地球人は骨の髄まで、地球への恋慕と母への愛着が同質に刻まれていて、その歪んだ悪意が僕らをどんどんおかしくしてしまっていて。僕はナノ・アニマートの本能を狂わせることしかできなかった。正常に立ち返らせることはできないんだ」
それこそが多分、地球という病んで免疫のない、惑星に魅入られた生命の象徴。愛してくれないそれを慕い続ける。
イリスたちが気持ち悪がるのは無理もない。
僕らは絶対に愛してくれない存在の気を引くために病気になる。
それがIO―8型であったり、ナノであったり。
残った人間たちは地球を出て行かない誓約をしてみせる。だから見捨てないで。嫌わないでと取りすがった。
でも普通に考えれば、僕は自分の肌に取りついたダニがわざわざ病気になって、見捨てないでと囁いてきたら、これ幸いに駆除すると思う。
地球にしてみたら、人間も動物も植物も皮膚病の一種でしかない。草木に対しては体に黴が生えて蔓延るような嫌悪感を示す。動物はダニや虱で、それを潰していく人間は副作用の強い劇薬か何か。
どれもが嫌いだが、地球は人間を使用し続けるしかなかった。
「あの悪意に満ちた大地から足を放し、こうして中立の場を漂っていても、僕は解放されはしないんだ。僕はだから、僕の中の『ナノ・アニマート』たちにとても申し訳なく思ってる」
僕は自分の体を抱きしめた。
無数の小さな黒い物体が血管の中を縦横無尽に動き回っている。こいつらが僕を殺すのは、僕のせい。
僕の悪意。乏しい免疫が『ナノ・アニマート』を磨耗する。磨耗されれば増えたくなる。それが続いて僕たち人間は増殖し続け、ナノたちもまた限界まで増えて、己を危うくする。
宿主を巻き込んで自滅してしまう。
「君たちはどこまでいけるの?」
虎は目の色だけで問い掛けた。どこまで、とは? そんな色をしている。
「たとえばね、カイパーベルトの外側まで? オールトの殻雲を通り越せるんだろうか? 最も近い恒星、プロキシマ(4.15光年)に到達する?」
虎は言った。
「たぶん、根気があれば、宇宙の果てまでいけるんじゃないかと思っているが。試したものはいないな。なにせ、馬鹿に遠い」
「そりゃ、遠いだろうけど」
果てだからね。まだ宇宙は膨張しているはず。
君たちならパラ(311兆4000億年)の歳月だって苦にはならないだろう。
大きな悪意から解き放たれて、君たちは何かになった。人間は命じられるまま、他の命を滅ぼそうしたけれど、君たちはそれを上回るほど狡猾で強かった。
種は一つの強大な何かを残せば、完結する。そこにいきつくために、試行錯誤を繰り返して、あのちっぽけな病んだ星で蠢いていた。
もっと遠くに。
もっと遠くに。
君たちは行くんだろう。
「人間が滅んで、すべてがウィディネの子らみたいな存在に完全に変わってしまったら、私たちは行くかもしれない」
「君たちは、イリスたちのことが嫌いなの?」
虎は頭を左右に振った。
「彼らは私たちのような存在ととても近しい。わかりあうための言葉は必要ないだろう。理解しきった二つの存在が、組んでいるというのは、安定を通り越し、進歩を妨げるのではないか?」
虎は僕が思うよりずっと、頭も良いし、理性的だったようだ。
ただ、たぶん認識が違う。ウィディネの子供たちと、この虎たちは根本的に違うものだと僕は思う。
存在の極みとして、ウィルバや虎がある。生命を突き抜けた何かなのだ。
でも人間はそうなれない。ヴランにしてもイリスにしても、彼らは生命の極みに到達した、もしくは到達しようとしているものだ。僕らやイリスたちは奇術が終る日には、活動を止める。
宇宙の外か。
どんな風になっているんだろう。
そこにも果てがやっぱりあって、人間は果てがあるのを知って、閉じ込められているような気になって、嘆くんだろうか。
あ、その頃には、僕らのように無謀にはびこる人間はいないか。
自分たちで自分たちの数を、自滅してしまわないように管理できる、もう少し頭の良い動物的なウィディネたちがそこに行くのか。
イリスは外に出たがるだろうか。
外に出たがるけれど、どうだろう?
生き物は定められた生活圏の中で満足し、その場だけで生きていこうとするんだろうか?
虫は羽を得て、遠くまで飛んでタマゴを産み落とす。
鳥は飛ぶ。
植物は少しずつ、あるいは爆発的に分布を広げていく。
悪意から逃れるためにもがき続けた人間は終っても、彼らはたぶん外へ出ることを試み続けるだろう。
ああ、そうか。
僕は今、わかった。
虎たちが会いに来たのは、地球人としての僕じゃない。ナノにでもない。
地球の代弁者としての僕だ。
彼らは欲する。地球の言葉を。
僕はずっと、自分だけが保有することになったナノが他人に感染することを恐れていた。それだけが、死ぬより怖かった。
地球もそうだった。免疫のないあの惑星は、僕らを増殖させることになった。そして、中で膨れ上がった命が、外へと出て行ってしまうことに怯えていた。一生懸命、だから殺した。殺しあってくれと、自分の影響を受けやすい一つの種族に命じた。
恵まれた星なんかじゃない。豊かな星なんかじゃない。あれは免疫不全の患者が、体中に黴や苔を生やし、細菌とウイルスに冒されて息絶え絶えになっている姿。
地球は重病の患者なんだ。
僕みたいに。
虎たちが望む言葉が、僕にはわかった。
「ウィルバ。君は、僕を覚えててくれるかな?」
ウィルバはとても哀しげに僕を見つめている。僕は表情を作れない兎の顔をじっと見たあと、あの女の子を思い出した。
トゥルー・ハートという名前をつけてあげた、小さなライバル。
泣いて笑って、世の中全部を味わえるといい。
うん。
もう、自由に。
食ったり、食われたり、殺したり殺されたりしないで。
生きていいよ。
あの星に残った人たちは生贄。ずっと延々そうしていく。僕もそうなんだ。
逃げ切れなかった。
月から落ちた命すべては、いつか一斉にゼンマイ螺子が切れて、物になる。それまでに、限界まで行くといい。
「お願いしたいことがあるんだ。僕の中のアニマートを正しい姿に戻して欲しい。長い間、僕に引きずらせて悪かったと思っている」
ナノシリーズは単体として存在はできない。空気に触れたらすぐに乾燥して、ぼろぼろに崩れ、壊れてしまう。
『私たちは貴方を滅ぼしたいわけではなかった』
体内にいるたくさんのものが僕に語りかけてきた。
そうだよ。みんな誰もが、何かを好んで傷つけるわけじゃあないよ。
『一緒に生きたかった。駄目なら一緒に滅びたかった』
それは地球人が選んでしまった道だ。
生き物ではないナノたちは、多分存在になるんだろう。
「もう、みんな自由に飛んで。僕は君らのことが好きだったよ」
僕がそう言うと、虎は頷き、その大きな口を開けた。
頭に浮かんだのは、イリスの顔だった。
君と会ってもう六年になるんだよ。
僕はほっとした。
ああ、よかった。
僕はちゃんと、君のことが好きだったらしい・・・・・・。




