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アルシュは手袋を外して、僕の手をじかに握った。真面目な話をするとき、彼はいつもそうした。
僕はアルシュの目を覗き込んだ。
アルシュは目を逸らしたりせずに、口を開いた。
「俺は、お前が知らなくてもいいことだと思おうとしたんだ。タルヒ。血液検査をしたことを、覚えているだろうか?」
「お父さんと僕の遺伝子を調べたんですよね?」
顔では平静を保っても、アルシュの手が汗ばんでいる。
「遺髪とも照合したんだ」
誰のかは決まっている。母のだ。
「なんでまた?」
この顔なのだから、母の子であることは疑いようもないだろうに。
「お前は似すぎていた。作為を感じるほど。十八を過ぎた頃にはもう」
アルシュはそれ以上は言わずに首を振った。
「正直なところ、気持ち悪いぐらいだった」
「嫌だったなら、整形したのに」
僕は言った。それは正直な気持ち。てっきり僕は母親譲りの顔、愛した女の顔を受け継いだ僕が息子としてあるのを喜んでくれているのだと思っていた。
「それもまた惜しくてな」
アルシュは苦笑した。
やっぱりね。
「あまりにも似ているからどれぐらい、遺伝子が合致するのか、見てみたくなったんだ」
皆まで言う必要はない。僕だって何を言いたいのかわかる。
「僕はクローンだった? あれ、でも、性別が違うクローンは無理でしょう? 一卵性双生児のようなものなんだから」
「そういった意味での科学は介在していない。というより、元々、子供を持つ気はなかったんだ、彼女は」
「ええ、知ってます」
矛盾だ。僕が出来てしまったから、悩みぬいて母は産む決意をしたのだから。クローンというのは金をかけてどこかの施設で作ってもらうものだ。最初から作る決意をしなくては僕は出来ない。クローンはだから誰かから望まれた子ではあるわけだ。
「娼婦だったから、彼女はわからなかったんだ。いや、彼女自身もそうしたものかもしれない。おそらく単性生殖したんだ」
「は?」
僕は眼が丸くなっていた。
アメーバみたいに?
「二十七で普通にクローンを作ったら、絶対に子のおまえの体質は異常になる。試験管で卵細胞同士を掛け合わせる手法がある。あれなら短命は免れるが、情報があそこまで合致することはないんだ(X因子が同質とは限らない。父母から一つずつ受け取る上、ランダムに混ざり合っているのが常だ)。遺伝病が出やすいしな。俺は研究施設に問い合わせてそういうことを聞いた。俺は色々考えた。絶対にこんなことは起こりえない。特殊なことだ。そして彼女や君にはもう一つ、特殊なことはあったはずだ」
「ナノ」
僕の声は少し乾いていた。唇が痛い。
「そうだ。あとはもうお前のほうが詳しいだろう」
アルシュはそれについては口に出して言いたくないのだ。それにここまで言えば僕がわかると知っている。僕はアルシュの周りにいる中では頭が良いほうだと自負している。
「あ・あ」
言わなきゃ。
『教えてくれてありがとう。それは僕が知るべきことでした。ずっと悩んでくれてありがとう、お父さん』
この人に微笑んで。平静に受け止めたことを示して。この告知はけっしてお父さんが後悔するものではないのだと。
言わなきゃ。
「いつから、わかってたんですか?」
「九年前からだ」
その後三年間、この人はそれでも僕を息子でいさせてくれたんだ。気持ち悪がらずに身近に置いてくれた。
「ありがとう、お父さん」
僕はそう言うのが精一杯だった。
遺伝的な父親なんか僕にはいなかったんだ。
僕という現象はナノが引き起こしたんだ。
たぶん、母の体内で一杯になった、賢すぎる機械は、人間でいうところの移民を考えた。そうでなくても、その母体はやがて滅びるから、新しい住まいは必要だったのだ。
彼らは好都合な細胞を見つける。
卵細胞だ。でも、『ナノ・アニマート』には哀しいかな、『交配』という知識はない。こいつらは自己増殖する。細胞のほとんどは分裂増殖するから、他の因子を取り込んで別の似た何かになることを知らないんだ。受精っていうのはそれぐらい特殊で不思議なこと、なんだ。
つついても、刺激してもどうしても増殖し始めない卵細胞にナノが入り込む。どうにかして、それを分裂させて新しい器になるようにした。ナノはプログラムの性質上、欠損を埋めようとする。染色体が足りないから、ナノは卵子のXを真似、結合をこころみた。
母が二十七歳のときにいきなり始まったのではなくて、もしかしたら母が初潮になったときから、もう試行錯誤をしていたのかもしれない。それまで母が一度も妊娠しなかったのは、貴重なその卵細胞を、精子(他者の細胞)というわけのわからない有害そうなものからナノが保護してしまったからかもしれない。
そして、どこかで、彼らにとって最大の失敗が生じた。移民船として男の子を作ってしまったことだ。
もう、僕の中の『ナノ・アニマート』たちは次の移民先に行くことはできない。
卵細胞には完全な染色体はX一つきりしかない。それを『ナノ・アニマート』がコピーしたときにミスプリントしたか、長さが足りなくて、Yになったのだろう。学校の生物の授業で染色体の写真を見せられたとき、思ったものだった。
XとYを見比べると、Yはまるで出来損ないの奇形のようだと。
試験管ベビーごときで、神への冒涜、生命倫理への造反だと人は今もまだ喚く。じゃあ、僕なんかを知ったのなら、その人たちは僕という存在をなかったことにするために、殺しに来るかもしれない。
だから。
「ありがとう、お父さん。僕をずっと息子と呼んでくれて」
「これからも、そう呼ぶつもりだ」
淡々とアルシュが言う。感情を殺した声だった。僕がここで泣いてしまったら、アルシュもつられそうだった。
気持ち悪いと、追い出したりしないでくれてありがとう。会いに来てくれてありがとう。
ジョーはこれを知って吐いた。
僕を嫌っている彼の反応がそうなのに、僕に触れて幾度もキスをし、体を深く繋げたイリスの反応は、どうなるか。
僕はこのとき、ジョーを壊す覚悟をしたのだった。
僕は別にアルシュがあのあと、船に戻って僕と触れ合った手を消毒していたってかまわないんだ。僕を息子だといい、ここまで来てくれて、気が重くなるような告知をしていってくれた彼を僕はこの世で一番尊敬している。
イリスが僕をとても幼い感情で愛してくれていたって、それはそれでいいんだ。
ウィディネは嘘を許容しないけれど、僕は嫌いな客はいるけどそれに笑顔で対応するし、それでお客は満足するわけだし。そういう嘘は見抜かないほうが、きっといいと思う。
僕は森林地区で久しぶりに日光浴をしながらごろりと横になっていた。
『私たちをもとに戻して。正しいものになおして。私たちは貴方を害するために生まれたわけじゃない』
体内から哀願が聞こえた。
哀しい詩を綴った歌のようだった。
二週間後にはオーロラ号が入る。
それまでに、僕はいつもの僕に戻るだろう。
イリスにねだって、この前の種の唄を聞かせてもらおう。麦の歌が良い。
イリスに見せるために育てた、黒いほどに濃い花をつける菖蒲の蕾をもう少し先延ばしにしておかなきゃ。食堂の冷蔵庫を貸してもらえるように、あとで頼もう。
それから。
それから。
ああ、そうだ。これからは毎週アルシュに手紙を書こう。途切れたときには、僕が死んだのだとわかるだろうから。
短距離便の知り合いに手紙を投函してもらえばいい。もしくはアルシュの会社に勤めている海賊に。
『私たちを削らないで』
僕のほうが聞きたいよ。
君たちはどうして僕の中に留まるんだ? 本気で生き延びたいならばイリスに感染できたはずなんだ。だいぶ前から。
そう。なぜだ?
君たちは母子感染しかしなくなっている。それではいつか滅びてしまうのに。




