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塵の末裔  作者: 無夜
幸せな生命
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12/20

4

 僕は博物館を出た。

 僕がヴランや、過去に失われた虎や鷲を見に来たんじゃない。失われていく僕を眺めに、彼らはここに来ていたんだ。

 僕は死に行くものだから。

 哀しいとか、ぶさけやがってとか、思うのが普通なんだろう。でも、僕はどうでもよくなっていた。

 今、普通に気になっているのは、あの博物館には出口にさえご意見箱がなかったことだ。最初の怒りをどうやって発散させよう? 文句があるならホームページの伝言板にアクセスしろってことか? 

「タルヒ!」

 かなり遠くから僕を見つけたイリスが駆け寄ってきた。

「どこへ行ったのかと思った。探したよ。どうして君はそんなに隠れるのが上手いんだ? あたしがどれだけ心配したかわかる?」

 きつい口調で言われた。

 心配したというのは、本当みたいだ。目がそう言っているから。

 男が多い都市は犯罪も多い。僕は外見だけはひ弱そうに見えるから、カツアゲされたり、因縁をつけられて路地裏で瀕死の状態で放置されているのではないかと思ったようだ。

 いくら火星でも、昼日中だからそこまではないよ。

 カードブックを探知して、イリスには僕の居場所はわかったんだろう。

 ブックは本であり、キャッシュカードであり、携帯電話であり、辞書でもある。これを手放した生活なんて僕はまったく考えられない。

「ごめん。ちょっと散歩していたら、博物館があって、暇潰しに入ってた」

 イリスは僕の腕を掴んでずんずんと歩き出した。

「早くしないと店が閉まってしまう」

「なんの?」

 二十五センチ上から、イリスは僕を見下ろした。

「いいから、来る!」

 僕はそれから、船の置いてある港近くまで引っ張られ、大きな宝石店に連れ込まれた。

 船乗り愛用の、免税店らしい。

 まあもっとも。海賊は税関なんか通らないけど。

 防犯上、狭く作ってある、大理石で囲まれた入り口から中に入った。品の良い店で、銃器の検査アーチは壁に埋め込まれて、装飾に紛わせているから、美観が崩れていない。

 店の手前側は安い宝石。

 柱になっているアクリルケースの中には高価な首飾り。人造宝石のほうが、色が鮮やかで、あきらかに透明感があって綺麗なのに、天然宝石のほうが高いのが、僕にはよくわからない。

 その昔、地球で作られたその首飾りは、安物のショーウインドウの中のピアスよりずうっと輝きが鈍かった。でも、同じ大きさの人工宝石の価格とは二百倍以上違う。希少価値ってやつらしい。

 大月鬼というジョウガの兵器会社が作っているブルーダイヤを僕は手にとった。

 僕は青いものに弱い。

 加工用のダイヤだ。これをくりぬいて、たとえばシガレットケースを作ったり、指輪や腕輪を作る。そういう大きさのダイヤだ。

「タルヒ」

「僕はおねだりされても高いのは買ってあげれないよ」

 僕がいうと、イリスはむっとした顔を見せた。僕は君の、そういう素直なところ大好きだよ。海千山千のヴランと会ったあとだから余計に可愛く見える。

「そんなことは最初から期待してない」

 火星の風習ってそうだから僕はてっきり。さっき男が女に何かを買ってあげているカップルを見かけた。

 でも、高給取りの船乗りに『なんでも買ってあげるよ』という男は頭がおかしいと思う。火星ってだから変な星だ。

「こっち来て」

 指輪コーナーに連れて行かれて、左手をつかまれた。

「あたしが指輪を買ってあげる」

「ありがとう」

 断れる雰囲気ではなかった。断ったら、首を締められるか、また涙ぐまれる。イリスに泣かれるぐらいなら、暴力振るわれたほうが僕の精神は楽だ。

 僕は左手から力を抜いた。

「蒼い石がいいのよね?」

 イリスはなるだけ可愛らしくちょっと高い声で問う。無理が伺えた。君には似合わない、それは。

「うん。それから地金は銀がいい」

「わかったわ」

 ジュエリーショップの店員の前だから、精一杯可愛らしくしているのはわかるんだけど、やっぱりそれは似合わない。

 口に出してはいえないけど。イリスは思うところがあって頑張ってるわけだし。

 左手の薬指に指輪が合わされる。

 古風だな。地球じゃ廃れた習慣だ。月都市でも養子縁組結婚(財産のある伯母が相続人にしたい同母姉妹系の姪と結婚する)が主流だから指輪を交換する習慣は途絶えている。火星ぐらいだよね、残ってるの。基本的に、男尊女卑社会じゃないと結婚契約の証というのは廃れるみたいだ。

 当たり前か。男は女に、自分の子供を生んでもらわないとならない。裏切らない、他の男の種で子供を作らないという誓約がないと不安なんだ。女は自然に孕めば全部、間違いなく自分の子だ。

「あら、十号?」

 イリスの声がなんか低くなったような? 何かあったの? 僕の指が十号だとどんな問題が?

「石は人工ブルーダイヤ、サファイア、エメラルド、トルコ石、アズライトなどがございますが」

 イリスが選んだのは黒い石。オニキスというらしい。透明感はないけれど、磨かれて滑らかな楕円の表面に柔らかな光沢があった。イリスは漆黒の肌だからその石はあまり目立たない。掌まで黒いのを、僕はずっとあたりまえのように思っていたけれど、考えてみたらおかしいよね。普通、黒色人種でも掌は白い。

 オニキスの大きさに合わせて蒼や緑の石が並ぶ。

「こちらはアクアマリン。アマゾナイトでは地味でしょうか?」

 ゾイサイト、ブルートパーズ、ヒドゥナイト、ラピスラズリ、ラブラドライト。

 僕は宝石に興味ないので、青い石、緑がかった石が並んでいくのを見てるだけ。価格は耳を素通りした。イリスが予算を言って、店員はその枠内で出しているから、似たような値段。

「どれがいい?」

 ごめん、イリス。僕にはどれもおんなじ。

 青って好きな色なのに、こうした宝石にはあまり惹かれなかった。

 さっきの大きなブルーダイヤには惹かれたけれど、それは身を飾る装飾品にならなくてもいい可能性が好きだったのかもしれない。

 店員は最後に一つの石を取り出した。

「地球産の天然石ですから、お高くなりますが。こちらはインディコライト。天然石とは思えないほど品質がとてもよいものです」

 僕は恭しく箱から取り出されたその石に目が釘付けになった。

 地球の匂いが愛しかったのかもしれない。でもその石は明らかに、他の人造石や月産石を凌駕する、透明感と存在感だった。見る角度によって、色の濃さが違う。透明に見えさえするのに、一気に深い海の色になったり。

 ああ、青空を見なくなってどれぐらい経っただろう。海を見なくなって、どれぐらい。僕は地球が青く見えない距離に来てしまったのだ。シー・シックの中では、スクリーンに映る姿しか見ることはできない。イリスは地球まで、月都市まで飛ぶ気はないし、そんな時間もない。

 店員が口にした値段にびっくりして、僕はそれを見つめるのはやめた。だって、イリスの予算の倍近くする。

 無難な別の石を選ぼう。いいじゃないか、アクアマリンで。これは三月の誕生石だっていうけれど。僕は五月生まれで、エメラルドらしいんだ。でも、エメラルドは緑色だ。こういう緑は、赤ほどじゃないけれどあまり好きになれない。

「こっち、これにしよう、イリス」

 僕はアクアマリンを指差した。

 イリスは黙ってじぃぃぃぃぃっと僕を見ていた。

「どうしたの?」

 僕が聞いたら、イリスは大きく首を左右に振って。

「そのインディコライトを指輪にして」

 と、言ったのだった。

「高いよ。いいよ。アクアマリンもきれいだよ」

 自分でも言葉が嘘っぽいのがわかる。僕の顔は赤くなってしまった。

「期間はいつまでに設定しましょうか?」

「そうね。あたしは長距離の仕事が多いから、六ヶ月に」

 なに? ローンの話?

「ではそのように設定いたします」

 指輪には水滴型にカットされた蒼い石が嵌め込まれた。台の中からかすかに光るようになっているんだろう。裸で置かれているよりずっと煌きが増している。

 左手の薬指に嵌ったそれを、店員は螺旋回しで、細い虫ピンみたいなものをねじって指を固定した。

「いっ」

 痛みで手が跳ねそうになった。店員は手馴れた様子で押さえ込んだ。

 指の付け根。脈を感じる辺りに、何か入った。

 終ってしまえば、指を動かしてももう痛くない。

「六ヶ月以内に一度、指輪同士を接触させなくては、外れてしまいますのでお気をつけください。なお、これを維持する電力は、血液中から摂取しています。差し込まれたピンはアレルギーをけっして起こさない無害なものです。ご安心ください」

 なんで、そんな、取り返しのつかなくなりそうな指輪をわざわざ僕につけるわけ。あの細いピン、血管に差し込まれたんだ。痛いはずだよ。

 それでも、インディコライトはとても綺麗で、電力を取ってライトが増したせいか、ますます蒼褪めて光るから、僕は怒る気力をなくしていた。

「では、御会計はカードになさいますか? ウェブマネー、現金も取り扱っております」

「ウェブマネーで」

 だろうね。イリスも海賊だから、ちゃんとしたカードは作れない。他人の名義で作ることは出来そうだけど、足がついたりするとウェブカードより面倒だから。

 どんなに警察が発達したってネットは犯罪の温床だ。顔が見えないっていうのはとても不安定だ。

「毎度ありがとうございました。またのごひいきを」

 僕らは店の外へと出た。

 外はまだ明るかった。

「イリス。ねえ、この指輪、僕が本当に貰っていいの?」

「いいのも何も、六ヶ月は抜けないよ」

「そりゃ、今聞いたけど」

 僕のが抜けないってことは、イリスのも抜けないってことでしょ? 

「船に乗っていると、とても暇でね」

 イリスは言った。

「最近のはすぐに見終わってしまって、古い映画を見るんだ。その中で、けっこう多い」

 指輪の交換が? そういうのは結婚式でやるというけど。

「結婚してから浮気する男が、そのときだけ指輪を外すんだ。そうでなければ、浮気相手が男に、指輪を外すようにせがむ。あたしには理解不能だったが、魔除けにはなるだろう」

 あ、なるほど。浮気封じの、お呪いなわけね。うーん。気休めにしては高い護符だね。僕の給料だと四ヶ月分は使ってる。

「タルヒは言葉と心の中が違う。いや、たぶん、みんなそうなんだが。あたしは、タルヒの中が見えないから。察そうとは思う。でも、言ってくれなきゃ、わからないときだって絶対、あるんだ。今だって」

 イリスがとても不安そうに僕を見る。そういえば僕はお礼すら言ってなかった。

「指輪、ありがとう、イリス。この石、綺麗だ」

 僕がいうと、イリスは顔を赤くした。肌が真っ黒で、血がまったく透けて見えなさそうなのに、火照っているのがわかる。口元が綻んで、嬉しそうに僕に寄り添ってきた。

 その顔から血の気が引いて、表情が堅くなった。

 僕の肩をそっと抱いて、道筋を変えた。

 どうしたのとは、僕は聞かない。

 たぶん、前の道からは悪感情が流れて来たんだろう。因縁をつけたがっている不良グループとか、刃物を持って獲物を待っている強盗とか。

 イリスたちのそういう察知能力は日常生活では便利なものだ。ここに来る前、ジョーを締め上げて(誰にでも勝てる男が、思考を読めないだけですごく強くもない僕にはまったく勝てないんだから笑える)聞いたけれど、イリスはこの能力が強いらしい。だから、船に乗って宇宙に逃げる。騒音の中で、彼女たちは全ての情報を識別して把握できる能力に恵まれているけれど、やっぱり疲れるらしい。ジョーもキンカナも、それからシーフも感覚を閉じられるけれど、そうした制御が下手な人間は長期の船乗りになるそうだ。

 たぶん、イリスが人のたくさんいるところに出るというのは、若者向けナイトクラブの乱痴気騒ぎの中、全員の無意味な言葉を全部理解できてしまう耳を与えられてずっと過ごしているというのに近いんだろう。オーロラ号に生き物を絶対乗せないという気持ちが、僕には理解できた。そんな世界にずっといることになったら、無音にほっとする。

「イリスは僕のことどうしてそんなに好きになったんだろうね」

 僕は聞いた。彼女がわからないのを承知で。

 精神交感は鏡を見るのと同じ効果もあるんだと思う。僕を好きになってから、彼女は心の鏡を見ていない。

 案の定、イリスは困った顔をして考え込んだ。

 歩いていくうちに船着場に到着した。

 宇宙港へ行くシャトルの出ている入り口。外部の血をもたらす海賊を都市は歓迎するから、出入国審査はかなり手抜き。事件があったら、ここを真っ先に封鎖するけれどね。

「なんであたしは、タルヒが好きなんだろう。精神交感もしてくれないし、いつも困った顔をして、あたしが何か押し付けると仕方ないって顔をしてもらってくれるけど。たぶん、あたし以外が、ジョーとかが強引に何かを渡したら、やっぱり気に食わなくても受け取るだろう?」

 ジョーが何かくれたら、僕はまずそれに対して爆発物検査と毒物検査をしなきいけないから、たぶんさすがに断ると思うよ。

「僕といるの辛い?」

「ときどき。タルヒがあたしを好きなのかどうか、わからない」

「好きだよ」

 僕はとても残酷な言葉を返す。答えを教えない、難解な数学問題を提供してしまったものだった。嘘か、本当か。錯覚か、真実か。どれぐらいの心の深さか。

 精神交感させない僕からは、イリスはけっして知りえない答え。

「外の者は、まま言葉と心は違う」

 イリスは答えて苦笑した。

 ああ、君はそんな顔をするようになってたんだ。

 体は大きくて、たくさん生きてきた、小さなお嬢さん。君はとてもとても幸福な存在だと、僕は思う。少なくても君は心を丸投げできる相手に事欠かず、心から信頼できるたくさんの仲間がいる。

 その状態をなんというのか、僕は知っている。赤ん坊か幼児のようだったんだよ。

 絶対の味方だと疑わずに、父母と兄姉に囲まれて育つ小さな、愛された娘のようだった。外に一歩も出たことのない、みんなで育てた箱入りの愛娘。

 箱から手だけ出して、彼女は僕を確かめる。

 それぐらいにしておくといい。全部出てきては駄目だよ。僕はきっと、君を受け止めないから。

 どんなに泣いて望んでも、僕は君と精神交感はしない。君は僕から望む答えは得られない。



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