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僕は茶褐色の町の中で、シルバーブルーの大きな犬? みたいなものを追いかけた。ウィルバによく似た毛色だった。
ウィルバそのものの尻尾と、でぶな尻だった。でもそれはありえない。ここは火星で、ウィルバがいるのは、火星の月の一つフォボスの宇宙港。火星に下りるには、『ガルーダ』はやっぱり面倒な大型サイズだったから。フォボスから定期シャトルに乗ってここまで降りてきていた。
ここは火星ドーム。ええっと、第一シティフレッグロードだったっけ。
いるわけがないのに、僕は印象的な色の獣を追いかけてる。
僕はレンガで出来た路地の角を曲がった。
ウィルバに似た生き物は姿を消していた。
緑のたくさん宿った庭を持つ大きな建物が並ぶ。
目の前にあるのは巨大な美術館? 違う。博物館だ。
この辺はそういう文化施設の密集地のようだ。絵の展示会、前衛彫刻展。
僕は息を切らして周囲をうかがったけれど、目当ての存在の影すらない。
どうしようかと迷ってしまう。
イリスは込み入った雑談中だ。あの様子じゃ、二時間ぐらいは船に戻れない。オーロラ号だったなら、居場所ぐらいあるんだろうけど、『ガルーダ』は小さな船だから、僕の気配はどうしたってウィディネの子らの感知能力に引っかかって落ち着かないみたいだ。
ここに入っちゃうか。博物館。
滑らかな金属光沢の建物。ドームの端にあるから高くはない。広い門に、動物の彫刻が置かれている。毛の一本まで再現したリアルさで、どれもが絶滅獣だった。昆虫も置かれている。
色々無難な解説がその台座に載っていたけれど、一つ異色なものがあったから紹介しておく。
『この黒い羽の、平たい昆虫は昔はとても繁殖して、どこの家庭でも見られた。現在は南米の密林にいるこれの亜種、五種を除いて全滅している。当時の人間は執拗にこれを望んで絶滅させ、死滅確認をしたとき、喝采した。最後の目撃者はネバダ州に住むグレンダ・ミッチェル(五十九歳)。彼女は「あれが最後の一匹だったなんて知りませんでしたが、わかっていても私はあの生き物を掃除機で吸い取ってばらばらにしたでしょう」と、コメントした』
毒があったわけでもなく、蔓延っただけなのに、なぜこんなに嫌われていたのか、僕にはさっぱりわからない。存在するだけで罪ということか。
カードを開いてウェブマネーを換算する。
給金は木星月都市群共通通貨で貰う。でもそれじゃ火星では使えない。ぶっちゃけた話、各国、各都市が発行している規定通貨より、全世界にアーケードゲームを配給しているエズという大型オモチャ会社のコインのほうが信頼度が高かったりするんだ。それよりもさらに社会的に信用度が高いのは、ウェブマネー。ヴァーチャルマネーとも言う。
ウェブマネーはそれなりの信頼が必要だから、後ろ盾のない海賊は容易に使えないはずだけど、実はこれが一番普及している。僕も裏社会の人間になっているから、他人のプライベート情報を買って書き換えて、通貨をウェブマネーに転化させている。換金っていうのは抵抗あるよ。データになるだけだから。ウェブマネーにするのを単に転化っていう。
コックローチの解説を見てしまってから、僕は中に入ることに決めていた。
入り口でブックに端子を繋いで入場料を支払う。ブックにこの博物館のカタログをダウンロードされた。
僕はイヤホンを耳につけた。
歩いていくと、カタログ付録になっている音声解説が始まった。
『私たちはたくさんの命を踏みしめてここに到達しました』
通路に入ろうとしたとき、真横に大きな赤い文字でR指定表示が書かれているのが見えた。
うう。これはきっと僕のあまり好きではない、ヴァーチャルリアリティーがあるんだ。
通路の中は暗くて、生身に圧力を加える幻視が始まった。
足元には無数の生き物の骨が散らばっている。踏みしめると、ぺきぺきと嫌な音がする。幻覚なのだけど、乾いた脆い骨を踏みしめる感触を足の裏でじかに感じて、僕の背は悪寒が走る。靴底なんてものは、このリアルの前では夢の中だ。
上を見ると、通路は水竜の骨格で出来ている設定らしく、背骨がまっすぐに伸び、肋骨のアーチが続いてた。
悪趣味だ。アンケート箱を見つけたら、絶対批判投書してやる。
『私たちは生きています。生きていることは食べることです』
子供が入ってこない前提を武器に、さらに悪趣味な幻影は続いた。
僕は、というか客は尻尾から首に向かって誘導されているらしい。足元の骨は徐々にその、白骨が、蛆のわく腐乱死体化し、やがて新鮮なものになり、びぐびくと蠢いて。
そして、動き出した。
大きなトカゲ類。足に鱗、翼の先端に爪を持つ鳥。透ける羽を持つ、強暴さそうな大きさのトンボが足元から飛び立つ。艶やかな色の羊歯の葉が胸をそらすように伸びた。ジュラ紀だか白亜紀だか、説明はないけど、恐竜時代らしい。
『弱肉強食。それは生き物に課せられた永遠の業』
入り口間違ったかな。普通の感覚なら、逆の見せ方をするはず。
『では、命の海へ』
僕はうっと呻いた。
とぷんっと、そのまま海に放逐された。
もちろん偽物の海だ。実際は濡れていないけれど、肌にはリアルな感触がある。
小さな子はこの幻覚で溺れたり息が止まったりしてしまうことがあるから、このシステムはR指定されている。偽物だと頭できちんと納得できる年齢からしか、これは体験できない条例になっている。
赤や青の、骨の手みたいな海藻類の隙間を僕はなるだけ早足で歩いた。
僕はここが嘘だってわかるけれど、息苦しさは覚えた。苦手なんだよ、この種のものは。
貝を背負ったイカみたいな生き物が僕の横を泳いで、滑らかな女の人の声を出した。
「お客様、その歩行速度ではここのアトラクションを見逃すことになりますがよろしいですか?」
「構わない」
声を出した途端、口の中に冷たい水が入ってきた。塩っぽい味。息がぽこぽこっと出て、泡が歪な珠になって、上の光に向かって浮いていく。僕は慌てて口を閉じた。
僕はNEXTと記された誘導灯を見つけて、泳ぐようにそちらに飛び込んだ。
僕は息を吸い込んだ。
水が消えた。案の定、僕は濡れてもいなかった。
今度は剥製置き場、らしい。
R指定化したことで、極端に館長の趣味に走ったんだな。カタログのタイトル画面を出すと、『滅んだ生命・その哀悼』とある。
滅んだ生き物の剥製は高価だ。
ここに置かれているのは、クローニングに失敗したものを形成外科手術で、オリジナルの姿に近くしたものか、短命になったそれをどこかで見世物にしていて、死んだあとで引き取ったのだろう。
対面には虎と鷲の剥製が入ったケースが置かれている。昆虫の標本もある。
女の人が一人、先客として居た。
ほかに人はいなかった。
「人間のクローニングは比較的容易いのに、動物では出来なかったのはなぜだと思う?」
なんて声だろう。イリスの深く響く低音に慣れてきたせいか、明るいソプラノの声が良い楽器の音色に聞こえた。ピアノよりオルガン的だ。余韻が長いように僕には聞こえる。
艶々の栗毛がゆるく波打って背中まで伸びている。肌の色は薔薇色。血色のいい健康的な唇。体つきはちょっと小柄だ。男として平均よりちょっと低い僕(船乗りは小柄だからそこでは僕は高いほうになるけどね)と並んで、見た目が丁度良い。
目の色は藍色かな? ガラスケースを照らしているライトの加減で紫がかって見える。
金持ちのお嬢さんとわかる、白い柔肌。手袋をしていない、細い指先がとても綺麗だった。少なくとも彼女は家事労働を一切したことがないのだ。
生き生きした目が、彼女の若さを表している。
彼女は悪戯っぽく僕を見た。
ああ、この人。大人の女の人だとわかった。
見た目は十代の後半に見える。銀色の不思議な光沢のある生地をまとっていて、古い映画に出てくるお姫様のようだった。とっても年下、孫を見るような目をする。イリスやキンカナも僕を相手によくそんな目をした。
生糸のようにしなやかな金属で織り上げられた服のようだ。知り合いだったらぜひその裾や袖に触らせてほしいと頼んだだろう。
「卵子の確保ができなかったから?」
僕は見蕩れていた自分を取り繕うように答えた。
遺伝子が残っていても、そのベースとなる卵細胞がなければ、再生できない。やったのは結局、再生ではなく、試験管での受精と、近しい動物の母体を使っての代理出産が主体。つまり、クローンではない。それが出来なかった古くに失われた種族は、クローンになるけれど、それはなかなか上手くいかなかった。
ほとんどが奇形として生まれ、外見はうまくいっても性的に成熟することがなかった。
結局、滅ぼしても同じものを復活させられるのだという、人間の身勝手な、それこそ神様になったかのような傲慢さは、そのときにへし折られた。
人間っていうのは、子供のまま大きくなったようだった。取り返しがつかないことに気がついて青くなり、地球では慌てて保護政策を打ち出したけれど、それでも地球では今も六時間に一種、何かが失われ続けている。
「その理論を阻害するものがあるのよ、地球って所はね」
先生みたいな物言い。
「ここなら可能だってこと?」
「いいえ。ここもなおさら駄目ね。火星の出生率は多くはないでしょう?」
「それはここがドーム型で、人口抑制されているせいじゃないのか? 女の子もそう多くない」
多くないといっても、少ないわけでもない。社会進出が極端に少ないからあまり見かけないだけだ。働く婦女子がいるのは家の恥という、太陽系で一番変わった倫理を持っている。
火星は資源が豊かで、酸素や水は乏しいけれど、環境の地球化がうまく進んでいる。外での生活は難しいけれどドームの外での植物栽培が可能だ。宇宙運輸は月に投げて、火星住民はここに根付いている。
力仕事もまだまだ必要なところが一杯あるから、女性が働かなくてすむのは確かだ。意地悪なことをいうんなら、火星の重力値ならば、けっこう重いものも軽くなっているから男女どちらでもその、どうでもいい気がする。筋力強化剤なんかも、ビタミン剤程度の価格だし。
「この宇宙は、無菌室のようなものだと思わない? 生きていけない世界ばかりが広がっている。宇宙というのは場であるけれど、星という、この無菌室でのみ生まれる花にとって、命は害虫なのよ。貴方、地球の人でしょう?」
僕は息を呑まぬようにするのが精一杯だった。
地球人は外に出られない。僕は出た。それはとても特殊なことなのだ。
貨物に乗り込んでも、体に棲む爆弾のスイッチは無重力の中で勝手にスイッチを入れるのだから。
僕の体内にはあらゆる菌類がない。本来なら体を維持するためにいる善玉の細菌さえ入っていないから、僕は出られた。僕の中は悪魔以外は空っぽだ。
「僕はうん、地球で生まれて地球で育った」
「でしょうね。顔が全然違うもの」
彼女は笑った。しなやかに。若々しいけれど、それは内面が力強いからだ。無垢からくるやがてなくなる健やかさではなくて、芯が一本入ってる強さが感じられる。
「そんなに、違うかな」
僕は言ってみた。
でもわかってた。
地球人は百三十年をイリスやキンカナのようには生きられない。彼女のようにも生きられない。芯を作れない。僕らは内面の意思力を削りながら生きていくから。百三十年を迎えたら、老成してしまう。こんなしなやかに笑えはしない。
少なくても僕は、百年の歳月を若々しくあることは、できない。若々しい外見で、二十代のときの力を残されていても。僕はきっとすぐに老人になる。周囲に対して瑞々しい感覚で、絶えず目新しいことを求めて喜び、悲しみ、怒ることは、きっと出来ない。
外部に対して無感動になり、変化の無い生活を求め、新しいものを嫌悪するようになったとき。人は老いる。
火星人と地球人、月都市人と地球人、木星月群人と地球人、精霊都市人と地球人。いずれも交配もできる。姿形も変わらない。
でも僕らはもう、亜種族なんだ。
イリスはきっとこれから百三十年が過ぎても、たぶん女の子から女の人ぐらいにはなるかもしれないが、石ころみたいに固まった老婆にはならないだろう。キンカナが老人を装っていても、好奇心一杯の優しい子供のままなように。
「ああ、わかるのね、違いが。たぶん私が考えるよりはっきりと言葉に出来ている、みたいね?」
「うん。貴女は、誰?」
「私? 私はヴラン・エクスター・クリーズ」
クリーズと聞こえたけれど、正式な発音はクリイズだと僕は知っていた。その名前で僕は彼女の顔を思い出した。
「運送会社ホワイトラビットの、社長さんでしたよね。火星生まれで、月に嫁いだ? 今、一機の宇宙船をカイパーベルトに向かわせている」
本社は月都市アルテミスにあるはずだ。ホワイトラビットは宇宙運輸の最大大手だから、海賊に関係していれば誰もが知っている。
「あの機体で、オールト雲も越えてみせるわ」
僕は予言者じゃない。
「貴女はそれを見るだろうね」
でもそんな風に言っていた。
地球から出て行ったその末裔たちをもっと遠いところを見つめ続けるんだ。
「ありがとう」
僕はもう一つ、知っていた。
ヴランは今から八十年も前に死んでいる。宇宙客船の事故だった。他にも大勢死んだ。原因はわかっていないが、テロだったという噂がある。
その、外への船『リセイ』が出たのはさらにその前だ。
ヴランはそれでも幽霊じゃない。彼女は存在感が生々しい。
世界はどこかで、完全な不老不死を完成させているんだ。地球ではそんなものは誕生しなかった。僕らは表面では良いなと言いながら、それを心の奥底では望まなかったからだ。
地球人を気持ち悪いと言っていたイリスたち。その意味がわかった気がした。
僕らは彼らのように意欲的で前向きなだけのもの、ではない。もっと根本的に病的なんだと思う。
「命はどこからきたのだと思う?」
悔しかったから僕はヴランに聞いた。思い出して欲しかった。僕が生まれ育ったところ。そここそがすべての命の始まりであったはずだから。
でも、ヴランはこう言ったのだ。
「月からよ」
彼女は大きな秘密を落とすように、僕の耳にとても小さな声で囁いた。
「命というバネ仕掛けの螺子が切れるより前に、私たちは外を目指さなくてはならないの。ねえ、地球の人。生命発生の学説を読んだことはある? ここ五百年近く、まったくといっていいほど進んでない分野よ。簡潔にいうのなら、こう。たくさんの無機質を高濃度に溶け込ませた海に、反応が出るまで落雷が降り注ぎ、偶然の化合物と生命反応を待ったあと、それが活動し始めたら、雷は止まらなきゃならないわ。少なくても、それが次の落雷で死滅しないぐらい無数に増えるまではね。そうまで都合の良い環境を設定しても、己で繁殖できる生命体はできやしないのよ? この世界は単体で、命なんて不自然で奇妙なものを作り上げることはできないのよ」
僕は一つの奇蹟を見せられた。
ヴランの手の中に金属と透明なただの水が現れたのだ。水は意思を持つように彼女の手首を這い登った。しばらく行くと、唐突に、そう、螺子が切れたようにぽとりと、床に落ちて平らに広がった・・・・・・・。それはもうH2Oでしかないんだろう。いや、もともと水素と酸素の化合物でしかなかったんだ。
僕はぞっとした。
アミノ酸、細胞体は結局、化合物でしかない。生命反応。それは今の奇術とどう違う?
螺子は切れる。太古に巻いたゼンマイが切れる日は必ず訪れると、彼女は言うのか。
そんな重大な秘密を僕にさらした彼女は、
「さようなら」
にっこりと、それはそれは魅力的に微笑んで忽然と姿を消した。
僕は驚きはしなかった。
イリスと会う前なら、驚いただろうけれど、SF作品にしかいないと思っていたテレパスが存在しているんだから、瞬間移動ができる人がいたって変じゃあない。現にやって見せた。
僕は改めて、周囲を見回した。
料金分のものは見ていくつもりだった。ただでさえ、苦手なヴァーチャルリアリティのところを駆け抜けてしまって、損をしているのだから。
僕は空っぽのケースを覗いて、首を傾げた。
「何か、入っていたと思ったけれど」
準備中と書かれている。そして写真が張ってある。ここに飾られる予定の生き物はホッキョクグマだと書かれていた。
ここに居たのは、虎と鷲に見えたのだけど。おかしいな。
「この写真映像は、いやらしいな。死を望んでいるようで」
「まったく。死ぬ前から棺に遺影を飾られているような験の悪さよ」
声が背後から降ってきた。
僕は、その、後ろを振り返らなかった。
だって、ケースに二つの影が映っていた。
大きな翼を広げて物言う鉤の嘴をした猛禽。牙が鋭い、黄色い大きな縞の獣。
どっちも肉食だから、下手に刺激したくない。人の言葉で、やたら人間臭いことを喋っている。
僕は頭を左右に振った。
それから恐る恐るケースを見た。まだ、映ってる。
どうしよう。最近、心身ともに危険な状態が続いてる。僕は何か悪いことをしただろうか?
「地球人が外に出てきたのは、どれぐらいぶりだろうかな」
「凍結された卵子と精子ならばときおり見かける。地球に生まれ、誓約を振り払ったものは、ここ百年、みかけないな。ウォーターホテルも結局、地球を見下ろす月から出られなかった」
「で、そなたに問うのだがな」
僕は諦めて、後ろを振り返った。
虎が大きな口をあけてこう言った。
「お前が悪魔と呼ぶ、それの名前はなんなのだ?」
噛まれたら当然、僕の細い首なんかもげるだろう。その僕の頭ぐらいはある前足で殴られるだけで、即死できると思う。
僕は逆らわなかった。
「僕の中にあるのは、ナノ・アニマート」
虎は妙に澄んだ目で僕を見上げた。
あ、やっぱり、宇宙船の外にいて僕に笑いかけた人(?)はこの虎だ。
「そなたはなぜ、それを悪魔にしてしまう?」
僕はその質問に答えられなかった。




