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8/11

一年、二年、五年――彼の影が薄くなるごとに、私の帳簿の外側の問いは、増えていった

 春ごとに持ち直し、冬ごとに薄くなる彼を、私は八年、毎夜観測し続けた。

 ——帳簿の外側に書く問いが、静かに増えていった。


 一年目の春、私は彼の咳の拍に合わせて羽ペンを置く癖を、器に覚え込ませた。


 ——これは、記録外の癖だ。


 帳簿には書かない。書けば、癖が習慣化する。私は自分の設計図の中で、彼の咳と同期する癖を、今日も保留の欄に置いた。保留の欄は、この数週間で既に一行ぶんを埋めかけている。



 写字室の週三日は、定規のように正確に過ぎた。

 私は下書きを引き、彼は清書する。羊皮紙の受け渡しは、初日の一度以降、指先を触れさせないように私の側が距離を保った。一度の魂の指紋で十分だ。熾火を八年、ゆっくり沈殿させる設計——その第一稿に毎回の指紋は要らない。


 ただし、距離を保つ癖を私は毎回、器に命じている。自然にはできていない。


 ——この逸脱も、今のところ保留中。


   *   *   *


 一年目の冬、彼は高熱で臥せった。


 院長が私を看護係に指名した。寡婦としての履歴が、女子修道院の外への出仕を許した——という名目だ。私はそれを受ける。受けるという判断の速度を、院長は一度だけ奇妙そうに見たが、何も言わなかった。


 病室は石壁の冷たい小さな部屋だった。蝋燭一本。彼の額に、私は初めて手を当てる。


 ——熱、三十九度台。危機的ではないが、器の消耗速度は今朝の検収で計算した設計図より速い。


 彼の唇が熱の中で、一度、微かに動いた。


「——だれ」


 呼びかけだった。寝言。

 私の名は彼は知らない。今世の器の名前すら、私が偽名で名乗った一度しか耳にしていない。


 ——ただし、彼の唇が形にしかけたのは今世の偽名ではなかった。


 それ以上、形にならなかった。熱の波が、音を引き戻した。


 ——記録。彼の魂が熱の中で、私の本当の名前に近い音を一度、取り出しかけた。


 それを書き込むか保留するか。今夜の判断を、私は夜更けに迷った。


 ——迷った、という事実が、私の帳簿に情動の熾火とは別種の亀裂を加えていた。


   *


 ——泉のほとりで、誰かが笑った。


 夢の断片は一年目の冬から、輪郭を持ち始めた。女の、短い、三音の笑い声。そして笑い声の前に、男の低い、何か言葉のようなもの。何と言ったのかはまだ聞き取れない。


 気のせいだ、と蓋をする動作が、今夜は二拍遅れた。


   *   *   *


 二年目の春、彼は戻ってきた。痩せた頬、薄くなった肩。写字室の奥の机に、再び彼が座る。

 三年目の夏、私たちは中庭の泉のほとりで、写本の校正を並んで行った。


 中庭の小さな泉は、水が冷たく澄んでいた。

 私はその泉の縁に、初めて、一度だけ視線を落とした。


 ——ここで、誰かが笑った、ような気がする。


 一万回の記憶のどこにも、こんな泉の記憶はない。それなのに、体の芯のどこかがこの水の冷たさを、懐かしいと言う。

 蓋をする動作が、今日は三拍遅れた。


   *   *   *


 その夜、狭間。


「残量は予測範囲内。個別の数値は、節目でのみ、お前に返す」


 アズラエルの声は相変わらず無機質だった。


「八年型の純度予測、現時点で〇・九七。——帳簿上、評価できる数値だ」


「そうか」


「ただし一項目、観測している。——お前の側の、蓋をする動作の遅延」


 私は短く沈黙した。


「遅延は一年目の冬から累積している。——お前の魂の奥底で何かが蓋の内側を、押し始めている」


「……」


「帳簿の外側だ。私の管轄ではない。——ただし、純度予測の数値には影響しうる。記録する」


「記録してくれ」


 接続が切れる。


   *   *   *


 五年目の秋、彼は初めて、私の薄荷の痣について尋ねた。


「——肩の、葉の形の、痣」


 院長が私の肩を診察するために寝巻きを下ろす瞬間を、彼は回廊の向こうから一度、見た。見たことを、彼は私に詫びた。詫びる姿勢のまま、彼は続けた。


「——古い写本の端に、こう書かれていた。痣ある者が、死の際に——」


 そこで彼の喉が、咳で中断された。乾いた、短い咳。彼は言い直そうとしたが、次の言葉は、もう出なかった。


「……」


 私は彼の顔を見ない。見れば、観測データが情動で歪む。


 ——以前の世で、同じ一文を、読んだ気がする。


 帳簿の外側の感覚。ただし、どの世の、どの写本だったのかは、まだ思い出せない。


 ——彼の魂が今世、私の識標に最も近づいた瞬間だった。


   *   *   *


 六年目の冬、彼の咳が一段深くなった。

 石壁に反響する乾いた咳の反響の長さが、〇・二秒伸びた。


 ——一万回の記憶が、肺の空洞の拡大を計算する。あと一冬、もって二冬。


 設計図の八年は、短縮を始めている。



 七年目の春、最後の春だった。

 あの泉の夢は、その春、もう一歩深まった。泉のほとりで、男の低い声が一つの音を、私の耳元に落とす。三つの音のうちの、最初の一つ。それに続けて、女の笑い声。——三音の名前。


 名前の最初の音を、私は夢の中で受け取った。

 目を覚ました瞬間、私は既にその音を忘れていた。帳簿の外側の記憶は、魂の表層には定着しない。


 ただし器の奥のどこかの熱だけが、残った。


   *   *   *


 七年目の冬、彼は写字室で倒れた。


 羊皮紙の上に、彼の体が一度沈む。私は走らない。走れば器の設計図を、情動で狂わせる。

 私は歩幅を保ったまま、彼の机まで歩いた。


 彼の額に、再び手を当てる。


 ——熱は一年目の冬より低い。ただし咳の拍に、鉄の匂いが混じっている。


 院長が駆けつける。私は短く伝えた。


「最後の冬、になるかと」


 院長の顔が凍る。

 私はそのまま、彼の肩を支える。支える角度を私の腕は、どこで覚えたのか、正しく知っていた。


 ——一万三回目の設計図の最終工程が、始まる。

 「最後の冬、になるかと」

 ——院長の前で私は初めて、自分の設計図の最終工程を口にした。


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