第92話 遣欧使節団
天正十九年の年が明けてすぐ、都に珍しい客が訪れた。遣欧使節団が、アレッサンドロ・ヴァリニャーノと共に、帰ってきたのだ。
ジョヴァンニが都を去って以来、キリシタンには逆風が相次ぎ、京の南蛮寺も焼き払われてしまった。
めぼしいものは粗方、隠してあったとはいうものの、菊は、自分が教会と関わりを持つきっかけとなったマリア像が寺と共に燃え尽きていくのを、なすすべも無く見守るしかなかった。
バテレン追放令が出されたときには、庶民のキリスト教信仰は禁じられてはいなかったが、寺が焼き払われるのと同時に、全てのキリシタンは改宗を命じられ、拒む者は死罪にすると達せられた。
かといって、それで死罪になった者はまだ、いなかった。
南蛮風俗はそもそも、関白自身が大好きで、『阿国』がつけていたロザリオのように、聖具は、都の洒落者の必需品だった。
だが危機的状況に、変わりは無かった。
事態を憂慮したヴァリニャーノは、イエズス会の巡察師という身分を咎められるのを恐れ、インド副王の使節という肩書きを得て、日本に入った。
その少し前、日本のイエズス会の長であるコエリョはこの世を去っていたが、死ぬ前に、フィリピンに軍事援助を要請し、更にヨーロッパにも援助を求めて、人を派遣していた。長崎には武器や砲弾、軍需品などを集めていた。ヴァリニャーノは長崎に入るとすぐ、これら軍事物資を全て、密かに売却せしめた。
一行は都へ向かった。
その日の朝、聚楽第に続く沿道は、物見高い群集で溢れかえった。
先頭を進むのは見事に飾られた立派なアラビア馬、これは日本の馬よりも遥かに大きかった。それを曳いている二人のインド人の馬丁は、色とりどりの長衣を装い、頭にターバンを巻いている。
その後ろにはやはりインド人の小姓が、インド風の非常に大きく美しい日傘を持って続いた。
騎馬のポルトガル人が通り、馬に乗った着飾った小姓たち、少年使節団が教皇から贈られた金の縁取りのある黒いビロードの礼服を着て続き、輿に乗った巡察師が、長衣と外套を纏って現れた。
その後ろに、馬に乗った司祭や修道士、ポルトガル人たちが続いた。
しかし人々が熱狂したのは、最後に続く大八車だった。それには、皆が見たことも無い生き物が乗っていた。
あんまり人が多いので、何が起こっているのか、後ろのほうにいる者にはさっぱりわからないのだけど、その車がたてる、がらり、ずしん、という地響きだけは、全ての者が感じていた。
それは祇園祭の舁山に似ていた。
小さな白い山にしか見えないそれには、大きな耳と、長い鼻と、小さな牙がついていた。真ん丸い黒い目が、落ち着かなく人々を見ている。
皆、我先に駆け出した。番兵たちは棍棒で彼らを押し返さなければならなくなり、後でわかったことだが、幾人もの見物人が混乱の中で死亡した。
菊も、達丸を連れて、行列を見物に行っていた。誰か知る辺が来ていないかと思ったのだ。
「あっ、ジョアン!」
達丸が目ざとく見つけて、大きく手を振った。
ヴァリニャーノの輿の傍らで、澄まして馬に乗っていたジョアン・ロドリゴは、目の端で達丸の姿を捉えた。
小さく口を開いて、
「タ・ツ。」
と言っているのがわかった。
次いで菊と目を合わせると、顎をしゃくった。
菊はそちらに目をやった。見る見るうちに目の前が、涙で曇ってくるのがわかった。
ジョヴァンニが馬に乗っている。緊張して真っ直ぐ前を見ていて、菊や達丸には全く気がついていないようだった。
一行が秀吉との謁見を済ませた頃を見計らって、菊は、達丸と慶次郎を伴って、宿舎を訪れた。そこは関白が聚楽第に入る前、住んでいた屋敷で、下にも置かぬもてなしぶりが知れた。
訪いを入れると、ジョアンとジョヴァンニが現れた。
ジョアンは、秀吉との謁見の様子を快活に語った。今まで通訳の任についていたルイス・フロイスが病の床に臥しているため、この度、彼が新しく通訳を命じられたのだ。
金をふんだんに使った絵が描かれた大きな謁見の間で、ヴァリニャーノは、金色の裏の付いている緑色の繻子で包んだ美しい小箱に納められている、インド副王の信書を奉呈した。秀吉からはヴァリニャーノに、盃を賜った。これは今迄、関白に謁見した他国の使節団には与えられなかった、大変な名誉だった。更に、銀や小袖などの引き出物を賜った。食事が出、少年使節たちはお返しに、西洋音楽を演奏した。連れてきた動物たちが披露され、その後、庭を拝見した。
「日本の習慣によると、不興を被った者がお目通りを許されるのは、和睦の印だというから」
ジョアンは満足そうに言った。
「お金をかけて良かったと思うよ。あの行列にかかった費用は、イエズス会の年次事業予算の三分の一に相当する額なんだ。巡察師は利口だから、日本人が人を外見で判断することをよぅく後存知だ。ここで節約するより、派手好きな関白を喜ばせたほうがいいって思ったのさ。」
「関白は貿易を継続していきたいんだ。ポルトガル人は、イエズス会を通さない貿易を断ったからな。」
慶次郎が言った。
「あんたたちが、波風立てずに控えめに活動しているうちは、知らん顔をすることにしたんだろう。ただ、あの男は気まぐれだ。用心するに越したことは無いね。」
「ところで」
ジョアンは達丸に言った。
「L`elefanteを見に行かないか?飼い方をあちらに説明してから引き渡すことになっているから、今、裏庭に居るんだ。」
「わあ!見たい、見たい!」
じゃ、行こう、とジョアンと達丸、慶次郎が行ってしまうと、ジョヴァンニと菊は二人きりになった。
ジョヴァンニがふっと笑った。
「あいつ、気を遣っているんですよ、あれでも。」
「ジョアンったら。」
菊も笑った。
話したいことは一杯あるのに、何を話したらいいのか、わからなかった。でも顔を合わせて笑っているだけで、しみじみと幸せだった。
「関白に時計を贈ったんです。」
ジョヴァンニは言った。
時刻を告げるだけでなく、日付及び太陽と月の運行状況までわかる、凝った造りのものである。
「その扱いを説明するために来ました。」
「関白のお許しがいただけたら又、こちらでお仕事なさるのでしょう?」
ジョヴァンニはその質問には答えず、言った。
「私は、天草の画学舎で画法を教えることになりました。」
ふと、彼に会うのはこれが最後かもしれない、と菊は思った。
「マリア像は、お寺が焼かれたとき、一緒に燃えてしまいました。私はあの絵を見て、南蛮画の絵師になろうと決めたんです。だからあの絵が焼けてしまったときは、本当に悲しかったです。でも私、今日、お師匠さまにお会いして、決めました。」
顔を上げて笑った。
「焼けてしまった絵の分も、もっともっと絵を描きます。お師匠さまから教わった画法を日本中に広めます。だからどうか安心なさってください、私は一人でも、ちゃんとやっていけ……」
涙の塊が喉にこみ上げてきて、声が出せなくなった。
ふいに視界が遮られた。
ジョヴァンニの腕にしっかりと抱きしめられて、彼女は息が詰まりそうだった。
「あなたが日本にいてくれたことを、私は神に感謝します。キク、Grazie。」
そのとき物音がした。
部屋の入り口に誰か立っている。
その人は、背が高く、堂々とした体躯で、威厳に満ちていながら、醸し出す雰囲気は穏やかだった。
あれは確か、輿に乗っていた、
(巡察師の)
ジョヴァンニは菊の身体を離した。
菊はその人に会釈した。
その人も会釈を返した。
彼はジョヴァンニに用があるようだった。
「お師匠さま、私もエレファーンテを見に行って参ります。」
菊が去ると、ジョヴァンニは上長と向き合った。
「使いが来た。」
彼は言った。
「時計の調節が上手くいかなくて困っているそうだ。明日、参上するように。」
「かしこまりました。」
巡察師は立ち去ろうとした。
泣いている女を抱きしめているのは見たはずだ。
でも触れずにすませようとしている。
九州からは、彼は陸路を通り、自分は少年使節たちと共に海路をたどった。だから殆ど話をしなかった。帰りも同じ道をたどったら、もう機会は無い。
背中に呼びかけた。
「お父さん。」
ヴァリニャーノは静かに振り向いた。
イタリア人には珍しい、金色の髪、矢車菊色の瞳がそこにある。
「私はあなたに会うために、ずっと旅をしてきたのです。」
ジョヴァンニは父に言った。




