第91話 滅亡
天正十八年七月、関東の雄、北条氏が滅んだ。
沼田地方を、信濃の真田家と争って、秀吉の決めた総無事令を破ったのだ。
小田原城は三ヶ月の間、秀吉率いる連合軍によって、陸に十万以上、海上に一万近い水軍に囲まれた。
華々しい戦も無く、呆気なく開城した。
武田とは長年に渡り、同盟を組んでは破り、組んでは破りして、何代にも渡って縁組してきた親戚。
近くて遠い仲だった。
(小夜さまの、そして三郎の実家だった)
嫁ぎ先の上杉にとっては、戦の天才謙信が何度囲んでも落とせなかった難攻不落の城が、
(あっさり落ちた)
武田や上杉と違って、兄弟の内紛は無い家だった。
(でも親戚の仲は冷たかった)
三郎は、兄の氏政が自分の子を手放したくないと言うので、代わりに養子になった。彼は、兄の冷たい気持ちがわかっていたのだろう。越後に行くのを大層嫌がっていたそうだ。
(案の定、父が死に、兄に代替わりした途端、あっさり見捨てられた)
長年に渡って不倶戴天の敵だった上杉家に、危うく殺されるところだった。
謙信が慈しみ深い人だったから助けられたのだ。
(上杉の跡目争いのときだって、北条は自分の兵をなかなか出さなかった)
武田に任せきりだった。
(そのくせ、和議に乗り出した武田をなじった)
三郎は結局、実家に見捨てられたのが原因で死んだのだ。
(小夜さまだって、そうだ)
武田が滅んだとき、北条は織田と手を組んだ。
武田が居なくなった信濃に兵を出して、
(新九郎{氏直}は、自分は信玄の孫だから当然、権利があると言ったそうだ)
「今更、親戚面するくらいなら、小夜さまを助けてくれたってよかったじゃない!」
憤懣が思わず声になって出てしまって、報せてくれた揚羽をびっくりさせてしまった。
畢竟、彼らは負け方を知らなかったのだ、と思った。
(うちの殿もそうだけど)
秀吉も家康も、壮絶な戦の中にあって、命を失う瀬戸際まで何度も追い詰められてきた。だから自分の実力を冷静に理解していたし、
(引き際を心得ていた)
だが北条は、危機が迫るといつも城に頼り、籠城戦を選んでいた。だから、戦に踏み出す時も鉾を収める時も、わからなかった。
関八州を手にしながら、欲深くも沼田のようなちっぽけな一地方を、真田のような小さな家と争って、挙句の果てに関東全てを無くしてしまった。
(『戦争』や『敗北』を知らないのも良し悪しだ)
公方の執事を務めていた伊勢家の出らしく、諸事、洗練された家だった。でも
(何に対しても他人事だった)
自分の家が滅ぶときでさえも。
百姓上がりの秀吉や、三河の田舎者で、三方ケ原で負けたとき、自分の情けない絵姿を描かせて、部屋に貼って、臥薪嘗胆したという家康のような
(しがみついてでも生き残ろうとする、泥臭い連中にはかなわなかった)
秀吉に負けたのではない、と菊は思った。
時代に屈したのだ、武田のように。
秀吉は次いで奥羽を制圧して、天下統一を成し遂げた。
一方、都は、何処も普請中で慌しかった。秀吉が、都の大改造に着手したからである。
上京と下京は、一本の巨大な道路で南北に貫かれ、仏教徒の反抗の砦となりかねない寺や陰謀を企みかねない公家は、ひとところにまとめて住まわせることにした。そして御土居と呼ばれる土塁と空堀で、京を囲んだ。
こうして都には、史上初めて、聚楽第という『城』が築かれ、その巨大な城下町となったのだ。
九月になって、狩野永徳が死んだ。
東福寺法堂を制作中の、突然の死だった。
「働き過ぎだったんじゃ。」
親父は言った。
「他人の仕事まで奪うから、罰が当たったんじゃ。」
いくら何でも言い過ぎだろう、と思っている菊の顔を見て、言った。
「御所の対屋{寝殿と対になっている建物}の揮毫の仕事は、わしに任されることになっておったんじゃ。」
「へえ、すごいですね。」
菊は素直に感心した。
あれから菊は、達丸を連れて時々、長谷川の工房を訪れている。
親父はいつも、苦虫を噛み潰したような顔で、茶を入れてくれる。
歓迎されているとは思わない。
でも、来るな、とも言わない。
菊があんまり世間に疎いのに呆れながらも、説教がてら、絵師仲間の事情をぽつりぽつりと話してくれる。
大徳寺の仕事が大成功して、長谷川は押しも押されもせぬ有名絵師の仲間入りをした。
親父は名を、『信春』から『等伯』という雅な名に変えた。でも中身は全然、変わってない。
菊も達丸も、気難しい年寄りには慣れている。
「無人斎祖父ちゃまのおかげだよね。」
達丸が言うので、菊は慌てて、口を押さえたこともある。
「それを源四郎{永徳}が横槍を入れて、つぶされてしもうた。」
「狩野の頭が自ら出てきたくらいなんですから、よっぽど脅威に感じてたんですよ。」
菊は慰めた。
「最近はもっぱら、化け物のように大きな木を描きなぐっておった。」
等伯は言った。
「注文に追われ、時間に追われているうちに、以前のような繊細な絵が描けなくなっていったのじゃろう。」
走って、走って、走りつくした、その挙句の死。
それでも、何処もかしこも、普請は続く。
時代は絵師を求めている。
その存在があまりにも大きすぎたゆえに、狩野にはめぼしい後継者がいない。
「仕事が増えるぞ、これから。」
等伯は菊に言った。
長谷川も、雲谷も、海北も、いやまだもっともっと他にも、新しい才能が伸びてくるだろう。
(絵屋だって、負けない)




