当たり前の表現方法に疑問を持つ
当たり前の表現方法、とはなんだ? って話で。正直うまく表現できるか分かりませんが。
文章を上達させるために必要なことだと思うので、頑張って書いてみます。
★自分だけの表現方法を身に着けるために!★
言葉と言うのはたくさんあって、表現方法も千差万別……なはずです。
ですがどこかしら、別人が書いたものであっても似通った部分があります。
それが『当たり前の表現方法』。
使い古された比喩、擬音語などのことです。
使い古されたって言い方はちょっと悪い感じがしますが、否定しているわけではありません。
具体的に言うと、犬の鳴き声の「ワンワン」、猫の鳴き声の「にゃー」、まるで海のような(自然にたとえる方法)、瞳を宝石にたとえたりなんかもよくありますね。
以前も、似たようなことを書いた気がします……たしか、擬音語のお話だったかと思いますが。
そういった、先人たちが作り出してくれた表現は、今もなお愛されている素晴らしいものです。
使うなとは言いませんし、実際私も使っております。
でもそこに疑問を投げかけて、先人たちとは違う答え(ひょうげん)を生み出していく……たとえ生み出せなくても、必死に考えようとするのは上達するために必要なのでは、と思うのです。
そもそも今回、このようなことを書こうと思ったのは『友人以上恋人未満』という表現を見たのがきっかけでした。
今まで何度も見たことがあるはずだったのに、ふと首を傾げてしまったんです。
『恋人って、友人よりも立場が上なんだろうか』
そこから考え続けていたら、そもそも友人と恋人は別ジャンルで、比べること自体がおかしいのでは、と思い始めました。だってどちらも大事であることに違いはないのですから。
当たり前だと思っていた表現が根底から覆った瞬間でした。
というのは、あくまでも一例で。この考えに対していろいろ思う方もおられるでしょうが、そうして疑問を感じ続けることが一番の文章上達方法なのでは、と。
小説を書く際。または読む際に、そうした『当たり前の表現』について、よければ一度考えてみてはいかがでしょう。
何か発見があるかもしれませんよ、というお話でした。
お久しぶりの更新です。
本当に思いついて『書ける!』と思った時しか書けなくて、申し訳ないです。
よし書こう、と思ったら文章がいつも以上に偉そうなんですよね。
当たり前の表現……自分の文章を見返すと、かなりたくさん入っていたりします。やっぱり全てを自分の言葉にするのは、まだ私には出来ません。
でもいつかできたらいいなって、そう思います。