第三話 竜の核と農奴の決断
『土と血の王冠』をお読みいただきありがとうございます。
それでは、本編をお楽しみください。
朝、ユルヴァンはロイクに昨日の話をした。
ロイクは黙って聞いていたが、途中で顔を真っ青にし、ユルヴァンの手を引いて外へ出た。
「馬鹿かお前! あんなところで話したら他の奴らに狙われるぞ!」
「ああ、そうだったね」
昨日のこともあり、意識が散漫だった。
「だが、その話は悪くない。金貨一枚あれば、俺たち二人とも自由になれるはずだ。でも、お前一人なら余った金で色々できるぞ?」
「ロイクが逆の立場でも、そんなことはしないだろ?」
「あったりまえだ! 同じ釜の飯を食う仲じゃねえか! よし、わかった。村を出るなら早い方がいい。今日の夜、移動しよう」
ユルヴァンは狼狽える。
「早すぎない?」
「何言ってんだ。俺たちにとって時間が全てだ。急いで逃げよう。身分を手に入れたら名前を変えて暮らせばいい。俺に任せろ、いろいろ考えてある」
「……うん」
ロイクはユルヴァンの顔を見て察した。そして、肩を回す。
「ミレアだろ?」
「うん。僕たちがいなくなった後、マインツと強引に結婚させられるんだ」
「ミレアから聞いたぜ。どうする?」
その言葉に、僕はキョトンとしてしまった。ユルヴァンの顔をみたロイクは口角を上げた。
「もちろん、助けてやらないとな? ヒロインなんだからよ」
「ヒロイン……? いや、でも僕たちにできることなんて——」
「何言ってんだよ! お前はミレアが困ってるとき、いつも助けてただろ? 川でおぼれてる時だけじゃねえ。傭兵に絡まれてる時だって、助けに行ったはずだぜ?」
「それは、ロイクだって一緒に助けたじゃないか」
ロイクは首を大きく横に振る。
「いや、俺はいつも先に考えちまう。が、お前は違う。困っていたから動いたんだ。それは全然違うぜ」
「でも今回は……今回ばかりは、どうすることもできないじゃないか!」
ユルヴァンの声は大きくなっていた。
「馬鹿だな、相棒。皆で逃げればいいだろ?」
「は?」
ユルヴァンは大きく目を見開いた。
「俺たちが平民になれば、ミレアと釣り合う。なら、皆でそのあと暮らせばいいじゃねえか」
「そ、そんなこと」
「任せろ、ユルヴァン。ミレアは美人だからよ。俺も最初はキタコレとか思ったけど、さすがに親友の女はとらねえよ」
ユルヴァンは呆気に取られて、思わず口まで大きく開けて固まってしまった。
だが、その話を聞くうちに笑い出してしまった。
「ははは! ロイク……君は最高の相棒だよ」
「だろ? あ、けどよ。生活が落ち着いたら、俺の彼女探しも手伝えよ? お前がいないとそもそも女の子が来てくれねえ」
「ええ? ロイクも顔は悪くないよ。男らしくていいじゃないか」
「ばっか。いつの時代も、女の子はお前みたいな中性的な男の方が好きなんだよ!」
ロイクがいるだけで、悩んでいたことがばからしく感じた。
「俺は恋愛初心者だからな。その時は頼りにしてるぜ。だけど、今回はお前に付き合うぜ」
ロイクが悪戯っぽく笑う。ユルヴァンも吹き出した。
ありがとう。ロイク。
口には出さないが、この少し変わっている相棒に、心の中で感謝を言う。
「なんか、それ男同士だと、変に聞こえる」
「あ? そういうんじゃねえよ! わかるだろ?」
二人で笑い合う。だがロイクは急に真面目な顔になり、小声で言う。
「お前、ボヌ爺から当分来るなって言われてんだろ? なら時間はあるよな?」
「うん。次の配置替えか、売られるまでこのままじゃないかな」
「なら夜。ミレアのところへ二人で迎えに行こう。今日まではガルドさんの小屋にいるだろうからな」
「わかった」
その後、少し計画について話し合った。
ロイクは怪しまれないよう、午前中は教会の仕事を続けると言って小屋を出た。
小屋を出る直前、ロイクは一度だけユルヴァンを振り返った。
「……お前、無茶だけはするなよ。俺が来るまではいつも通りに過ごせよ?」
「分かってるよ」
「ならいいが……」
ロイクは何か言いたげだったが、結局何も言わずに出ていった。
ユルヴァンも、まだ少し痛む足を確認する。
彼は深く息を吸い、今日の夜の計画を頭の中で反芻した。荷物のこと、逃げるルート、万が一のときの合図。考えれば考えるほど、心臓が早鐘を打つが、同時に決意も固まっていった。
よし、走るのには問題ないかな。無理しないようにすれば……。
そう自分に言い聞かせて立ち上がろうとしたとき、外から声が聞こえた。人の声がぶつかり合うような、慌ただしい調子だ。
ユルヴァンは一瞬、耳を澄ませた。
「ユルヴァン!」
小屋の外から聞きたくない声がした。
「いるんだろう? 出てこい!」
ユルヴァンは一瞬考えたが、素直に外へ出た。
そこには、マインツと取り巻き二人に、片腕ずつ抑えられたロイクの姿があった。
「ロイク!」
「……わり。相棒」
マインツがロイクの髪を上に引っ張り上げる。よく見ると殴られた跡がある。
「お前たち何か企んでいるんだろう?」
その顔は何か確信しているかのような表情だ。
「何の話ですか……」
「とぼけても無駄だ。お前、こいつと村を出るつもりだろう? 知っているぞ。昨日の夜のこと」
昨日のあれを見られていたのか!
背中に冷たい汗が流れた。
ロイクまで巻き込んでしまった。もしマインツが村長に告げれば、逃げるどころか、二人ともどうなるか分からない。
「落ち着けよ。お前が協力してくれれば、そのことは黙っておいてやる。何なら二人とも村から出してやる」
ユルヴァンは唇を噛んだ。
落ち着け。ロイクを痛めつけ、ミレアを脅した奴など信用できない。
マインツは続ける。
「それに、ミレアとの結婚のことも、あいつ自身に選ばせてやる。あいつが嫌だと言うなら、もう近づかないことを約束しよう」
「へ! 信じられるかよ!」
「黙れ!」
ロイクが笑いながら啖呵を切るが、すぐに取り巻きが殴りつける。
「やめろ!」
ユルヴァンは声を荒げる。
「……本当に、ミレア自身に選ばせるんですか?」
ミレアの顔が脳裏に浮かんだ。僕のために自分を犠牲にした。最後、僕に笑いかけていた顔が思い浮かぶ。
逃げ出すにしても、ミレアに負い目を感じてほしくないのは確かだ。僕たちが勝手に連れ出せばガルドさんも悲しむだろう。
マインツは、わずかに口元を緩めた。
「ああ。約束する」
マインツは薄く笑って、目を細めた。
その笑みを見ても、ユルヴァンの疑念は消えなかった。
信用できない。ミレアのことも、僕たちのことも、何ひとつ信用できないし任せられない。
だが、マインツにばれた以上、何もしないという選択肢はない。
それに、ミレアのことは都合がいい。これで自由になればミレア自身に選んでもらえる。
ならば、自分の目で確かめたい。せめて……ミレアの意思は確認したい。
マインツが本当に約束を守るつもりなのか。それとも、何かを企んでいるのか。どちらにしても、ここで逃げるわけにはいかなかった。
「……分かりました。話を聞きます」
「ユルヴァン!」
ロイクが叫んでいるのが聞こえる。
怪しいが、他に手がない。マインツの笑みが深まる。
「どんな内容ですか?」
「簡単だ。親父とガルドがこっそり話してるのを盗み聞いたんだ。竜の死体が森の近くにあるらしい。その核をとってこい」
「竜……」
噂の一つだったが、本当にあるらしい。村でも半信半疑の存在だ。
「なぜ僕に頼むのです? 騎士様の兵士や傭兵に頼めばいいはずです」
「この話はまだ、騎士に知られていない。親父たちは騎士爵じゃなく、別のルートで売りさばきたいんだよ」
マインツはそう言って、森の方へ目を向けた。
「だが、村の若い奴らや、傭兵どもを動かせば大騒ぎになる。すぐに騎士にばれちまう。だが、農奴のお前が森に勝手に行っても誰も気にしない。だろう?」
確かに理屈は通っている。それでも疑問は残る。
なぜ僕に頼むのか。
僕じゃない、もっとマインツに忠実な農奴の方がいいはずだ。
ユルヴァンはマインツの目を見る。
何か企んでいる。今まで僕を馬鹿にしてきた時と同じ目だ。
マインツの笑みが冷たくなる。
「協力しねえなら、この話はなしだ。この農奴は逃亡の罪で処刑だ。それに、そうだな……ミレアも俺の妻として生きるなら、一生屋敷の中で過ごしてもらうってのもありだな?」
その言葉は刃のように突き刺さった。
ユルヴァンの手が短剣に触れる。選択肢は消えた。自分が動かなければ、ロイクは死に、ミレアは望まぬ道へ押し込まれるかもしれない。
核をとるだけならそこまで難しい話じゃない。どの道拒否はできない。
「……分かりました。行きます」
声は震えていた。それでもユルヴァンは行くと決めた。
「いいだろう。森に行け。そこに見張りが一人立っている。そいつに話せば場所を教えてくれる」
ユルヴァンは、ガルドから渡された金貨と、竜の核を取るために短剣を持っていくことにした。
そして、ユルヴァンは村を出た。
道は次第に細くなり、畑の匂いは薄れていく。やがて湿った土と腐葉の匂いが混じり森の入り口につく。
そこには、マインツの取り巻きの一人が立っていた。警戒するユルヴァンをよそに後ろを指さす。
「ここからさらに奥へ行ったところに、狩猟小屋がある。その窪地に竜の死体がある」
ユルヴァンは一度うなずくと、見張りの横を通り過ぎて森へ入る。
頭上を覆う枝葉のせいで、昼間だというのに森の中は薄暗かった。
静かだ。鳥の鳴き声も聞こえない。
ふと、背後で枝の折れる音がした。振り返ってみても、木々が並ぶばかりで人影はない。
「気のせいか……」
ユルヴァンは再び歩き出した。
しばらく歩くと、小さな狩猟小屋が見えてきた。その周囲には、鼻の奥にまとわりつくような腐臭が漂っている。
近づくほどに臭いは強くなり、思わず口元を押さえた。
足元の土は不自然にえぐれ、折れた枝が散らばっている。何か巨大なものが暴れた跡のようだった。
「……あれか」
窪地の底に、それは横たわっていた。
これが、竜。
その巨体は丸くなり、眠っているかのように動かない。ユルヴァンは短剣を握り直した。
マインツの話が本当なら、この核を持ち帰ればいい。だが、なぜ自分にやらせるのか。その疑問は消えなかった。
今なら引き返せる。そう思った瞬間、ミレアの顔が浮かんだ。
僕は、何もせずに逃げるのか?
ユルヴァンは唇を噛んだ。
ミレアやロイクを救える保証なんてない。ここで何かをしても、すべて無駄に終わるかもしれない。
それでも、自分で選んだことから逃げたくはなかった。
ユルヴァンは短剣を握り、竜へと歩み寄り腹を裂いた。内臓があふれ、血の匂いが鼻を突く。
「うっ」
体内は暗く、手探りで進むしかない。肉越しに何か硬いものの感触が伝わってきた。その硬い塊に直接手を伸ばす。
これか……でかいな。
両手で塊をつかみ、力を込めて引いた。
核を握る手が震える。離そうとしても指が思うように動かなかった。
——ドクン。
心臓の鼓動とは違う。もっと深い場所から響く、異様な振動だった。
「あっつ……」
熱が腕を伝い、全身へと広がっていく。骨の一本一本が焼かれるような痛みが走った。
——ズルリッ。
まるで自分の体内に何かが入り込んでくるような感覚。吐き気が一瞬で込み上げる。それでも背筋に力を入れ、核を引きずり出した。
「お、お前、取ってこられたのか……?」
いつの間にか、森の手前にいた取り巻きの一人が窪地の上から見ていた。
「……? 当たり前——がっ……」
熱が骨の髄まで染み込んでくる。思わず膝をついた。声が出ない。視界が赤く滲んでいく。
「な、なにが……」
くぼ地の上をもう一度見上げる。
すると、先程の取り巻きと一緒に、マインツがくぼみの縁からユルヴァンを見下ろしていた。
ロイクは地面に倒れ、顔には殴られた跡。
「竜の核は触れただけで危ないらしいってのは、本当だったようだな」
「ユルヴァン!」
ロイクの焦ったような声が聞こえる。横を見れば、マインツの顔に冷たい計算が浮かんでいた。
「竜の核は人の器じゃ受け止められねえ。触れたら人間ではいられない。これで……これで、ミレアは完全に俺のものだ」
マインツは冷たく笑い、木々の影へと消えた。
「ほら、お前も相棒の人間の最後を見ておけよ」
「な!」
ロイクは体を縄のようなもので縛られたまま、窪地に落とされた。
——グチュ。プシュッ。
耳に届くのは、自分の体から出ているとは思えない音。
「ユルヴァン! 大丈夫か! わかるか!」
ロイクの声がすぐ近くで聞こえるが、もう口の感覚がない。
「あ、ロ……ィ」
「ちくしょうが! マインツ。あいつぜってえ許さねえ! ユルヴァン、少し待ってろ!」
すると、ロイクが顔を動かし、一度大きくせき込む。
そして、口から小さい金属片のようなものを出して口に咥え、自分の手に当てていた。
「ふ! ふ! おらぁ!」
——ブチッ。
ロイクは手足が自由になり、そのままユルヴァンの方へ駆け寄った。
見ればロイクも体中傷だらけだ。
「ユルヴァン! くそ!」
耳だけがかろうじて働いている。体のどこを動かしているのかもわからない。
「ともかく移動するぞ! あいつ、兵士たちに報告へ向かった。お前を討ちに来る!」
ロイク。僕を……置いて——。
「話せないよな! 待ってろ、俺が担いでいく。くそ……全身ただれているみたいだな。大丈夫だ、なんとかする! 森の奥に湖があるんだ。隠れられる場所もある。そこまで行くぞ!」
薄れゆく意識の中、ロイクの荒い息遣いが聞こえる。
「お前は物語の主人公だ! この世界に来た時、お前を見て俺が決めたんだ! 絶対にお前を死なせねえ!」
ロイク……ありがとう。
ユルヴァンの中で最後に残ったのはミレアの顔だった。あの小さな手の温もり。あの時、差し出された薬草の匂い。
自分は何を守れたのか。守れなかったのか。
ロイクに背負われ、薄れゆく意識の中でユルヴァンはただ一つのことを思った。
もし、生まれ変われるなら強く、何者にも縛られない。そんな人生を……。
世界は静かに閉じた。
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