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第二話 ユルヴァンの決意

『土と血の王冠』をお読みいただきありがとうございます。


それでは、本編をお楽しみください。

 夢を見ていた。

 昔、農奴のお婆さんが話してくれた物語。

 農奴から騎士へ。そして、王にまで成り上がった男の物語だった。

 

 強くなりたい。

 

 その男のように。誰にも屈することなく、自分の道を歩けるほどに。

 

 ——ドスッ。

 

 腹に鋭い衝撃が走った。目を開けると、天井が揺れている。


「おい、まだ寝てんのか、農奴」


 薄暗い小屋の中に、仕立ての良い服を着た恰幅のいい少年が立っていた。


「マインツ……」


 別の少年がユルヴァンを蹴り上げる。取り巻きがにやにやと笑う。


「マインツ様、だろ! 農奴のくせに!」

「うっ……」


 ユルヴァンは顔を押さえ、世界が斜めに傾くのを感じた。

 

「お前ら、一応、騎士様の所有物だ。借りてる物は壊しちゃいけねえ」


 マインツは、まるで自分が慈悲深い主人であるかのように笑った。

 ユルヴァンは腹を押さえ、どうにか上半身を起こす。息を吸うたびに、腹の奥が鈍く痛んだ。

 

「……何の用ですか?」

 

 声が震えないよう、ユルヴァンは奥歯を噛みしめた。

 マインツの表情が急に冷たくなった。にやりと笑って一歩踏み出すと、ユルヴァンの頬を殴りつけた。


「お前、自分の立場が分かってるのか? 俺が誰の息子か知ってるだろ」

 

 マインツはユルヴァンを見下ろした。

 

「ミレアに近づくな。これは命令だ。農奴」


 周囲の嘲笑がすぐに続いた。


「何してるの! 貴方たち!」


 ミレアが籠を抱えて駆け込んでくる。取り巻きが立ちふさがる。


「どいて! ユルヴァンは怪我しているのよ!」

「は! 農奴の怪我なんて知ったことかよ!」


 マインツは笑いながらユルヴァンの足を踏みつける。痛みが体を駆け巡り、ユルヴァンは息を詰まらせた。


「あぁ、うっ……!」


 ミレアは目を見開き、慌てたように声をあげる。


「やめて! 本当にやめて!」

「おっと、せっかく婚約者様が治している患者を、また壊しちまうところだった」


 マインツが足を退ける。ミレアは肩を震わせ、唇を強く結んで涙をこらえていた。

 ユルヴァンは足を抱え、うめき声を漏らす。


「今後もこの農奴と会うっていうなら、俺にも考えがあるぞ? ミレア」


 ミレアは震える声で答えた。唇を噛み、深く息を吸った。


「何が目的なの?」

「わかっているだろ? お前俺との婚約を断っているそうだな?」

「だから、何よ。それとユルヴァンは関係ないはずよ」


 ミレアの声は淡々としていて、抑揚には怒りが混じっていた。

 

「ミレア。お前は優しい。だがな? 村のことを考えれば、農奴に関わるべきじゃない。本来は俺と結婚するのが、一番幸せなはずだ」

「あなたと……? 人を笑いながら痛ぶる人に、“幸せ”なんて言われたくないわ!」

「はっ。言うじゃないか。けれど、お前も自分の立場が、わかっていないな? おい!」


 次の瞬間、周りの取り巻きたちはユルヴァンを立ち上がらせ

 ——腹を殴った。


「がっ、は……」

「ユルヴァン! どうして……どうしてユルヴァンに酷いことをするの! もう傷つけないで!」


 その声は嗚咽に近く、しかし必死だった。ミレアはうめく僕の方を見て、ひどく悲しい顔をする。


「これ以上ユルヴァンを傷つけるつもりなら、お父さんに、村の人に、教会に——あなたがしたことを全部話す!」


 マインツの顔に一瞬、驚きが走る。取り巻きの一人が視線を泳がせ、口ごもる。


「はは、脅しか? お前にそんな力があるとでも思っているのか」

「それでも、それなりに聞いてもらえるはずよ。私のお父さんは村で一番の猟師ですもの」


 マインツは一瞬、口元を引き結んだ。冷笑を取り戻そうとするが、その笑みは以前より薄く、ぎこちない。


「……いいだろう。こいつのことがそんなに大事なら、やめてやろうじゃないか」

「……」


 だが、その口元はさらに歪んで笑っていた。

 

「その代わり、お前は俺との婚約を受けろ。それが条件だ」


 ミレアは肩を押さえながら、ユルヴァンの方を見た。

 その瞳には、怒りよりも強い“恐れ”があった。

 

「ミ、ミレア……僕のことはいい! 大丈夫だ! こんな話、受けるべきじゃ——」

「……いいわ」

 

 ミレアは、ユルヴァンの言葉を遮った。

 その声は震えていた。それでも、彼女はマインツから目をそらさなかった。


 その一言で、マインツは満面の笑みを浮かべた。


「そうか……そうか! そいつはいい。ミレアが来てくれて助かった。話す手間が省けた。今から俺の家に来い。親父に言って、結婚の話を正式に進めよう」


 取り巻きが嘲笑を浮かべながら去っていく。

 ユルヴァンは立ち上がろうとした。せめてミレアを引き止めたかった。


 待ってくれ。僕はまだ……。


「ミレア……!」

 

 足に力が入らない。伸ばしかけた手は、届くことなく宙で止まった。ミレアは一度だけ振り返った。その顔を見て、ユルヴァンは何も言えなくなった。


 必要な時に力がない。今この瞬間に力があれば、ミレアにあんな顔をさせずに済むのに。


 ユルヴァンは痛みで意識が薄れ、力を求める思いを抱えたまま気絶した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 次にユルヴァンが目を覚ますと、辺りは暗くなっていた。

 壁を背に座り眠るロイクがいる。足首の紐が不恰好に巻き直され、近くにミレアの籠が置かれていた。


「ロイク……巻くのが下手だよ」


 壁を背に眠るロイクを見て、ユルヴァンは小さく笑った。

 足首には、不格好に巻き直された布が残っている。近くにはミレアの籠が置かれていた。中には薬草とパン、それから葉っぱで作られた小さな鳥。

 ユルヴァンは鳥をそっと手に取った。

 

 こういうことをしてくれるのは、ミレアくらいだな。

 

 壊さないように包みへ戻し、籠を閉じた。


 喉が渇いていた。片足をかばいながら立ち上がり、井戸へ向かう。

 

 少し寝たせいか、歩けるようになっている。ミレアの薬草のおかげだ。

 

 夜の静けさの中、滑車の音が響いた。桶が持ち上がり、水面に松明の揺らめきが映る。

 ユルヴァンの顔がそこに映った。見れば気弱そうな顔だ。女顔と呼ばれる理由もわかる。


「くそっ」

 

 何も守れない。何も変えられない。この農奴という身分でいる限り、何も。


 ユルヴァンは井戸の縁を叩く。


「ユルヴァンか?」

「っ! だれ?」


 見ると、弓矢を背負い困った顔をしているミレアの父親、ガルドの姿があった。


「ガルドさん……」

「ミレアから話は聞いたぞ。酷い目にあったそうだな」


 ユルヴァンは顔を伏せる。なぜだか申し訳ない気持ちになる。


「ごめんなさい」

「何を謝る。お前は悪くないさ。ただ、お前の立場がそうさせているのだ」


 ユルヴァンがガルドを見ると、優しげな表情の中に諦めの色が浮かんでいた。


「ユルヴァン……この村を出ろ」


 ガルドは言いながら、拳をゆっくり握りしめていた。

 

「え?」

「お前は知っているだろう? ミレアは村長の息子のマインツと結婚することになった。ミレアも十五歳だしな」


 その言葉は、ユルヴァンの心を大きく揺らした。ガルドはユルヴァンの目を見て、大きくため息をついた。ガルドの声が夜の空気に低く落ちる。


「ミレアは……お前を慕っている。だが元々、村長からはマインツの婚約者となるように言われていたんだ」


 ユルヴァンは言葉を飲み込む。胸の奥が締めつけられた。


「それは——!」

「言うな。マインツの人柄は、俺も好きにはなれない。だが、ミレアの幸せを考えれば、村長夫人として生きていく方が幸せだ」


 ユルヴァンは、ガルドがそんなことを言うなんて思いもしなかった。


「マインツはミレアに惚れている。そして、今回のことでミレアは"ユルヴァン"と言う弱みを握られてしまった」

 

 ガルドは苦しげに目を伏せた。

 

「お前が村に残れば、これからもミレアは利用される。だから、今のうちに出ていけ」

「ガルドさん。でも、ミレアの意思はどうなるんですか!」


 ガルドは、言葉を選ぶように視線を落とした。その表情から、ユルヴァンは彼が葛藤しているのを感じ取った。


「数年前、嵐の中で川に溺れていたミレアを、お前が助けてくれた。あの時のことは、今でも感謝している」

「……誰だって、目の前で死にそうな子が居たら助けますよ」


 ガルドは、優しげな表情でユルヴァンに笑いかけた。

 

「そんなことはない。お前の勇気と正義感のおかげだ」

「勇気……」


 そうじゃない。僕に勇気なんて。

 

「俺はその時、猟に出ていて駆けつけてやれなかったが、お前は命をかけて助けてくれた。その恩は忘れてはいない」

「別に恩だなんて思って——」


 その言葉を片手をあげて遮るガルド。


「そうだな。お前ならそう言うだろうと思った。ユルヴァン……お前が農奴じゃなければ、ミレアと一緒になって欲しかった」

「っ! それは」

「ああ、叶わない願いだ」


 ガルドは腰袋から小さな袋を取り出し、ユルヴァンの手に置いた。

 

「金貨が一枚ある。これで男爵の街へ行け。金さえ払えば平民名簿に載せてもらえる。ロイクも連れていけばいい」

 

 手のひらに、ずしりとした重みが伝わった。

 農奴の自分が、一生かけても手にすることなどないと思っていた金貨だ。

 

「……ガルドさん。どうして、ここまでしてくれるんですか」

 

 ガルドはすぐには答えなかった。


「お前は他の農奴よりも正義感がある。それに、頭も悪くない。身分を買い戻せたなら好きに生きろ。だが、この村へは二度と来るな」


 ガルドは背を向けた。

 

「ユルヴァン。お前のことは、息子のように思っていた」

 

 そう言い残し、暗闇の中へ消えていった。ユルヴァンは手の中の袋を見つめた。


 金貨一枚。

 農奴の自分には縁のないものだと思っていた。これがあれば、今の生活を変えられるかもしれない。

 けれど村を出れば、ミレアにはもう会えないだろう。逃げるのは怖い。知らない土地で生きていける保証もない。


 それでも、このまま何も変わらない場所にいる方が、もっと怖かった。

 ユルヴァンは袋を握りしめた。


 まずは、ロイクに相談しよう。逃げるなら、せめてロイクと一緒に。

 

 ユルヴァンは重い足取りで小屋へ戻った。小屋へ戻る途中、背後に視線を感じた。

 だが振り返っても、誰もいない。

 気のせいだと思い直しながら、ユルヴァンは歩き出した。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると嬉しいです。


次回もよろしくお願いします。

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