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第三話 あなたも、原作をご存知なのですか。

 さて、黒幕は誰だ。


 クラリッサから聞いた話を改めて整理しながら、私は机の上に広げた二枚の紙を交互に眺めた。一枚には、彼女が前世で読んだという『聖女は王冠の花となる』の内容。もう一枚には、私が一度目の人生で実際に見聞きした事件を、覚えている限り書き出してある。


 見れば見るほど、よく似ている。


 聖女の礼装が傷つけられ、脅迫状が送られ、毒を盛られ、聖堂で危害を加えられ、最後には殺害未遂まで起こる。その罪がすべてクラリッサへ集約され、王太子殿下との婚約を破棄された彼女は拘束され、そのまま悲惨な最期を迎える。細かな部分は違っているが、大筋だけなら、ほとんど同じと言ってよい。


 けれど、やはり完全に同一ではなかった。


 原作ではクラリッサ本人が直接行ったことになっている事件が、前回は使用人や侍女を介した形へ変わっていたり、聖女が生死の境を彷徨うほどの毒物が使われるはずの場面では、実際には命へ別状のない程度の量しか入れられていなかったりする。あれほど何もかも露骨にクラリッサへ結びついていたにもかかわらず、決定的な場面だけは本人が直接手を下した証拠がなかった。


 可能性は、二つほど考えられる。


 一つは、原作なるものが、本当に未来を書き記した予言書のようなものであり、多少細部を変えながら、その内容が現実になっていく可能性。


 もう一つは、その予言書のようなものに書かれた出来事を参考に、誰かが意図的にクラリッサの罪を作った可能性だ。


 普通なら前者など最初から除外して、後者を調べればよい。未来を記した物語本などというものを本気で検討していては、いつまで経っても話が進まない。


 ただし、普通なら、である。


 私は一度死んでいる。それから神と名乗る存在に会い、気づけば若い頃の自分へ戻っていた。そして昨日、長年友人だと思っていたクラリッサが、この人生よりも前に別の世界で暮らしていた記憶を持っていると知った。


 ここまで来ると、何を常識として切り捨ててよいのか、正直よく分からない。


 仮に私を過去へ戻した神を、一つの上位存在とする。そうすると、クラリッサの言う原作を書いた者も別の上位存在なのかもしれない。二つの上位存在が異なる未来を望んで対立しているとか、さらにその二つを管理する上位存在がいるとか、もしやその上にも――。


「……止めよう。」


 私は考えるのをやめた。


 頭が痛い。


 神だの上位存在だのと、私の手が届かないところで話を広げても意味がない。それに、もしすべてが人間にはどうにもならない神の力だけで起きているのであれば、そもそも私をここへ戻した意味がないだろう。私に何とかしろと言った以上、少なくとも人の手で防げる部分があると考える方が合理的だ。


 ならば、まず人為的な可能性を考える。


 黒幕、という言葉では少々大げさかもしれないので、ひとまず犯人とする。そいつの目的と、事件を起こすために必要な手段、そして実行できる立場にあった者を洗い出す。


 目的については、まだ分からない。クラリッサ本人を失脚させたかったのか、公爵家を弱体化させたかったのか、それとも王太子殿下と聖女を結婚させるために婚約者を排除したかったのか。しかし、最後の可能性を考えたところで、私は昨日から頭の隅に引っかかっていた一人の名前を紙へ書いた。


 ルシアン・オルブライト。


 現宰相の嫡男にして、王太子殿下の側近。一度目の人生では、王太子殿下と聖女の婚姻を誰より強く推し進めた人物でもある。


 聖女が現れた当初、王太子殿下とクラリッサの婚約解消へ反対する者は決して少なくなかった。王家と公爵家の長年の関係を考えれば当然であるし、異世界から突然現れた少女を次代の王妃へ据えることへ不安を抱く者もいた。それでも話が急速に進んだのは、教会が強く求めただけではなく、王太子殿下に最も近いルシアンが、聖典へ従うべきだと一貫して主張したからだった。


 しかも彼は、聖女が王宮へ迎えられて以降、彼女の生活を整える役割にも深く関わっていた。


 王宮内部の情報を得られる。聖女の周囲へ近づける。教会にも王家にも顔が利く。人を動かすだけの身分と権限がある。


 やろうと思えば、随分色々できそうな男である。


 ただ、動機が分からない。


 教会の教えを何より重んじる敬虔な信徒であればまだ話は簡単なのだが、一度目に遠巻きから見ていた限り、とてもそういう人間には思えなかった。むしろ誰かが神の偉大さについて熱心に語り始めれば、無表情で「そんなものを信じているから人間は自分で考えることを止めるのです」とか、「神は死にました」とか言い出しそうな顔をしていた。


 完全な偏見ではある。


 なにしろ私は、彼とまともに話したことがほとんどない。


 ならば、会ってみればよい。


 一度目の人生では、望むと望まざるとにかかわらず、随分色々な人間と交渉する機会があった。腹の中で別のことを考えている商人から条件を引き出したこともあれば、自分に不都合な話を決して口にしようとしない役人から情報を聞き出したこともある。何も知らなかった若い頃の私ならともかく、今なら相手の言葉や表情から多少のことは拾えるだろう。


 相手は二十歳そこそこの若造だ。


 どれほど揺さぶりに耐性があるかは分からないが、何とかなる。


 私はその日のうちにオルブライト侯爵家へ使者を送り、親しくしているクラリッサの婚約について、王太子殿下の側近であるルシアン様へ伺いたいことがある、と伝えさせた。


 以前にも夜会や王宮で顔を合わせたことがあるためか、それとも私が返事も待たずに押しかけてくる可能性を警戒したのか、返答は思いのほか早かった。


 翌日の午後なら時間を取る、と。


 当時の私の癇癪がどれほど広く知られていたのかについては、考えないことにした。


 翌日、約束の時間より少し早くオルブライト侯爵家へ到着すると、私は屋敷の二階にある小さな応接室へ案内された。宰相家らしく室内は落ち着いた造りで、装飾よりも本棚や書類棚の方が目立つ。卓上には余計な物がなく、茶器も使いやすそうな位置へきちんと揃えて置かれている。


 よい部屋だ。


 少なくとも、インク壺とペンを別々の場所へ隠すような愚かな人間はいないらしい。


 しばらくして扉が開き、淡い金色の髪をした青年が姿を現した。


「お待たせいたしました、ローデン伯爵令嬢。」


 ルシアン・オルブライト。


 一度目の記憶と変わらない、色素の薄い美しい青年だった。


 灰色の瞳は感情が読み取りづらく、線の細い端正な顔には愛想らしいものがほとんどない。無駄なく整えられた服装といい、静かな立ち居振る舞いといい、若いくせに妙に完成されている。


 確か同年代の令嬢たちからは、あの冷たい目で見下されたいだの、滅多に笑わないところがよいだの、よく分からない人気を得ていた。


 私には理解できない。


「突然のお願いをお聞きくださり、ありがとうございます。」


「アルヴェーン公爵令嬢と殿下のお話と伺いましたので。私も無関係ではありませんから。」


 ルシアンは私の向かいへ座ると、使用人が茶を置いて退出するのを待ってから、わずかに首を傾けた。


「それで、どのようなご用件でしょう。」


「少し、確認したいことがありまして。」


「手短にお願いできますか。私にも予定がありますので。」


「随分、お忙しいのですね。」


「はい。聖女様と殿下のご婚約についても、調整すべきことが多々ございますから。私の貴重な時間を、くれぐれも浪費なさらないようお願いいたします。」


「……私にとっても、浪費できない大切な時間なのですけれどね。」


 思わず本音が漏れた。


 ルシアンの眉が僅かに動く。


「何か?」


「いいえ。では、手短に済むようご協力をお願いします。」


 感じが悪い。


 一度目からこういう男だったのだろうか。


 私は鞄から紙とペンを取り出したが、今回は最初から細かく尋問するつもりはなかった。黒幕候補であるなら、こちらが知っていることをすべて見せるより、まずは本人がどこまで話すかを見た方がよい。


「ルシアン様は、王太子殿下と聖女様の婚姻を強く望んでおられるそうですね。」


「望んでいる、という表現は少々違います。聖典にそう定められておりますから、それに従うべきだと考えているだけです。」


「殿下がクラリッサ様を愛しておられても?」


「個人的な感情と、王族としての責務は別でしょう。」


「聖女様が殿下を望んでおられなくても?」


 ほんの一瞬、彼の目が止まった。


「聖女様はまだ、この世界へ来られて間もありません。混乱しておられますし、ご自分が置かれた立場を十分理解できていないだけです。」


「では、王太子殿下を愛しているとは、まだ仰っていない。」


「今は、そうでしょうね。」


「それでも、いずれ愛するようになると?」


「ええ。その内、お互いに想われるようになる。」


 即答だった。


 私はルシアンの顔をじっと見た。


 表情は変わらない。


 けれど、妙だ。


「随分と確信がおありなのですね。」


「何がでしょう。」


「まだ知り合って間もない男女が、これから必ず互いを愛するようになる、と。」


「そうなるべきお二人だからです。」


「なるべき、ではなく、なる、と先ほど仰ったでしょう。」


 ルシアンが口を閉じた。


 私は少し体を椅子へ預けた。


「聖典には、聖女様が次王と結ばれるべきだとは書かれている。しかし、二人が恋愛感情を抱くようになるとまでは書かれていなかったと思いますが。」


「……随分、細かなところまでご存じなのですね。」


「友人の婚約に関わる話ですので。」


「でしたら、なおさらご理解いただきたい。これはクラリッサ嬢一人の問題ではありません。聖女様と殿下が正しく結ばれなければ――」


 そこでルシアンは、言葉を切った。


「なければ?」


「……この国の未来にも関わります。」


 おかしい。


 しかし、確かに一度目の彼も、こうだった。


 まるで結末まで見てきたように、自信を持って未来を語る。


 聖女はいずれ殿下を愛する。


 殿下も聖女を愛する。


 二人は結婚し、それが正しい結末になる。


 私はこれまで、宰相家の人間として聖典を何より重く見ているのだと思っていた。


 けれど昨日、似たような人間を一人見たばかりである。


 自分ではない誰かが記した未来を信じ込み、愛している人間から自ら身を引こうとしている女を。


 ならば。


 私は何でもないことのように、呟いた。


「原作……。」


 ルシアンの肩が、びくりと跳ねた。


 思った以上に分かりやすかった。


 私は何も言わず彼を見たが、青年はすぐに表情を取り繕い、先ほどまでと同じ冷めた顔へ戻る。


 もう一度。


「原作。」


 今度は灰色の瞳が明確に揺れた。


 私は静かに腕を組んだ。


 どうなっている。


 どうも、私の前提条件をかなり大きく修正する必要がありそうだ。


「あなたも、原作をご存知なのですか。」


 ルシアンはしばらく黙り込んだ。


 私の顔を探るように見つめ、それから周囲に誰もいないことを改めて確かめるように扉へ視線をやる。


「……まさか。」


「何でしょう。」


「アメリア嬢も、転生者なのですか?」


 また出た。


 転生者。


 昨日覚えたばかりの言葉である。


 ここで、私は少し迷った。


 正直に、自分は転生ではなく回帰という別のものらしいと説明してもいい。しかし、そうすると神に会ったことまで話さねばならなくなるかもしれないし、それだけで随分時間を取られそうだった。


 こちらはこの男の情報を聞きに来たのだ。


「……ええ。まあ、その辺りは大分複雑なのですが、普通では知り得ないことを知っている、という意味では似たようなものです。記憶も大分朧気というか。」


「やっぱり!」


 ルシアンの顔が、驚くほど分かりやすく変わった。


 何だ。


 つい先ほどまで、笑うという機能そのものをどこかへ置き忘れてきたような顔をしていたのに、急に目元が柔らかくなった。


「いや、正直まったく気づきませんでした。アメリア嬢はいつも完全にキレキャラへ徹しておられたので。」


「……きれきゃら。」


「あ、そうか。記憶が曖昧なのですか?」


「大分。」


 そこまで言っておけば、知らない言葉が出ても何とかなるだろう。


「それにしても、本当にすごいですね。毎回ほとんど同じ調子で怒っておられたので、僕はもう完全にNPCだと思っていました。」


「えぬぴーしー。」


「原作の中で決められた動きしかしない、背景の登場人物というか。」


「……なるほど。」


 何だろう。


 よく分からないが、相当貶されている気がする。


 こめかみの辺りが僅かに引きつった。


「いや、でも本当に感心しているんです。僕なんて、どうしても素が出てしまって。」


「先ほどまで、随分冷たい方のように振る舞っておられましたが。」


「あれも結構大変なんですよ。」


「大変。」


「原作のルシアン・オルブライトは、冷静で頭が切れて、少し冷酷で、何でも見透かしたような宰相子息なんです。あまり人物像から離れすぎると何が起こるか分からないので、できるだけ近づけるようにはしています。」


 私は目の前の青年を改めて眺めた。


 先ほどまでとは別人のようだった。


 口調こそ丁寧だが、表情はよく動く。少し困ったように笑い、こちらの反応を窺い、言い過ぎたと思えば素直に気まずそうな顔をする。


 何だ。


 普通に人の良さそうな青年ではないか。


 いや、普通というには顔が麗しすぎるし、どことなく薄幸そうな影もまとっているが、少なくとも、いつもの見下すような冷たい男よりはこちらの方がよほど印象がよい。


 一度目の彼の最期を思えば、その妙に人の良さそうな雰囲気には、少し納得するところもあった。


 聖女は、王太子殿下との婚姻が現実味を帯び始めた頃、王都から逃げた。


 国境を越えようとしていたのか、それともただ王宮から遠ざかりたかっただけなのか、それは分からない。彼女はその途中、街道を外れた場所で盗賊に襲われ、惨殺された。


 その報せが王都へ届いてから、ほどなくしてルシアンも姿を消した。


 家族にも王太子殿下にも何も告げず、一人で。


 大規模な捜索が行われたが、最後まで見つからなかった。


 死体さえ出なかったが、多分、死んだのだろう。


 聖女の後を追ったのか、彼女を殺した者を探しに行ったのか、あるいは別の理由があったのかは分からない。


 けれど今の彼を見ていると、少なくとも、自分の利益のために望まぬ婚姻を二人へ押しつけるような人間には見えなかった。


 それなのに、一度目は誰より強くその婚姻を進めた。


 やはり、解せない。


「では、あなたの知る原作について、少し確認させてください。」


「アメリア嬢もご存じなのでしょう?」


「記憶が大分朧気だと申し上げたでしょう。」


「ああ、そうでしたね。」


 ルシアンは完全に私を同類だと思い込んでいる。


 多少良心が痛まないでもないが、今は情報が優先だ。


「まず、聖女様と王太子殿下が最終的に結ばれる。」


「はい。」


「二人が結婚しなければ、世界が滅びる。」


「そうです。だから今、多少無理をしてでも原作の流れへ近づける必要があるんです。」


「あなた自身の役割は?」


「恋敵ですね。」


「恋敵。」


「聖女様を巡って殿下と対立し、最終的には敗れて、二人の幸福を認める役です。その後は王太子夫妻の良き補佐となります。」


 私は少し考えた。


「……楽しいのですか、それは。」


「楽しいかどうかの問題ではありません。」


 ルシアンは先ほどまでの柔らかな表情を少し曇らせた。


「僕も最初は、原作を知っているのだから、聖女様へ好意を持たなければいいと思っていました。わざわざ失恋すると分かっている相手を好きになる必要はないでしょう。」


「それはそうですね。」


「でも、結局抗えなかった。やはり、原作の強制力というものはあるのだと思います。」


「それは、普通に聖女様が好みの女性で、普通に恋に落ちただけでは?」


「違います。」


 即答だった。


「なぜです。」


「原作だからです。」


「聖女様は可愛くない?」


「可愛いですよ。」


「性格が悪い?」


「とてもいい子です。」


「話は合わない?」


「むしろ、こちらでは彼女としかできない話がたくさんあります。」


「では、好みなのでしょう。」


「ち、違います!」


 今度は少し声が大きくなった。


 耳まで赤くなっている。


 冷酷な宰相子息はどこへ行った。


「僕は本当に避けようとしたんです。召喚された直後も、必要以上に接触しないようにしていました。」


「それで?」


「でも、彼女が日本が恋しいと泣いていて……。」


「助けた。」


「それは、同郷ですから。」


「その後は?」


「食事が口に合わないと言うので、似たものを探したり、こちらの文字を教えたり、夜に眠れない時は少し話をしたり。」


「随分親切ですね。」


「一人で異世界へ来たのですよ。放っておけないでしょう。」


「それで好きになった。」


「原作の強制力です。」


 私は黙って彼を見た。


 この男は、案外頑固なのかもしれない。


「まあ、そこは一旦置いておきましょう。」


「は、はい。お願いします。」


 青年は赤い顔で小さく咳払いした。おい、本当に先ほどまでの冷徹宰相の息子はどこにいった。


 しかし、今はそんなことよりも捜査である。


「では、公爵令嬢については?」


「クラリッサ嬢ですか?」


「ええ。原作の中で、彼女はどのような役割でしたか。」


「王太子殿下の婚約者です。」


「それから。」


「それから?」


 ルシアンは、本当に意味が分からないという顔をした。


「聖女様へ嫌がらせをしたでしょう。」


「いいえ。」


 私は一瞬、聞き間違えたのかと思った。


「礼装を傷つける。」


「ありません。」


「脅迫状を送る。」


「何の話です?」


「毒を盛る。」


「……アメリア嬢、本当に同じ原作を読んでいました?」


 私はペンを置いた。


「聖堂で聖女様を傷つけ、最後には殺害しようとして断罪される。」


「そんな展開はありませんよ。」


 ルシアンは眉を寄せた。


「そもそも、原作の中心は聖女様を巡って複数の男性が争う恋愛物語です。クラリッサ嬢は序盤に少し出てくるだけで、いわゆる悪役令嬢ではありません。」


「では、王太子殿下との婚約を解消した後、彼女はどうなるのです。」


「王家の仲介で、別の方と結婚します。」


「誰と?」


「確か、辺境伯家の令息だったと思います。名前までは覚えていません。後日談で少し触れられただけなので。」


「死なない?」


「なぜ死ぬんです?」


 私は黙り込んだ。


 どういうことだ。


 クラリッサが知っていた原作では、彼女は物語の主要な悪役だった。聖女を虐げ、王太子殿下から婚約を破棄され、最後には獄中で悲惨な死を遂げる。


 ところがルシアンの知る原作では、王太子の元婚約者として序盤に姿を見せるだけ。聖女へ嫌がらせなどしない。断罪もされない。生きたまま別の男へ嫁ぎ、その後の物語から退場する。


 まったく違う。


 けれど、本筋だけは同じだった。


 異世界から『ひより』という名の聖女が現れる。


 王太子ユリウスを含む複数の男から好意を寄せられる。


 最後には王太子を選び、二人が結婚することで世界が救われる。


 そこだけは、同じ。


「……なんだ、それは。」


「はい?」


「いえ。少し、考えさせてください。」


 原作は一つではないのか。


 同じ題名の物語に、異なる内容が存在する。


 あるいは、どちらかが記憶を取り違えているだけなのか。


 しかしクラリッサは幼い頃から、自分が悪役令嬢として死ぬ未来を恐れてきた。ルシアンも同じように、自分が聖女を愛して失恋する未来を当然のものとして受け入れている。二人とも、その記憶に人生を左右されている。


 単なる覚え違いにしては、差が大きすぎる。


 ただ、今明確に分かったことが一つある。


 少なくとも、ルシアンはクラリッサの断罪劇を原作として知らない。


 ならば、彼がその筋書きを再現するために、これからクラリッサを陥れる理由もない。


 つまり、ここにこれ以上いても、黒幕探しという点では得るものが薄い。


「帰ります。」


 私は紙を揃えた。


「……随分急ですね。」


「私も忙しいので。」


「意趣返しですか?」


「少し。」


 ルシアンが、呆れたようにこちらを見る。


 その顔も、妙に普通の青年らしい。


「ただし、一つお願いがあります。」


「何でしょう。」


「王太子殿下と聖女様へ、できるだけ早く会えるよう手配してください。」


「お二人に?」


「ええ。」


「なぜですか。」


「少し、原作と現在の状況に齟齬があるようなので。」


 ルシアンの表情が変わった。


「齟齬?」


「はい。このままだと、あなたの知る原作どおりにならない可能性があります。」


「具体的には?」


「それを確認するために、お二人へ直接話を聞きたいのです。」


 ルシアンは黙り込み、少し考えるように視線を落とした。


 何か、彼自身にも思い当たることがあるらしい。


 やがて小さく頷いた。


「分かりました。殿下については僕からお話しします。聖女様にも、会っていただけるか聞いてみましょう。」


「お願いします。」


「原作どおりの結末へ戻すためなら、僕もできる限り協力します。」


「……。」


 私は一瞬、何から訂正すべきか考えた。


 そもそも、どちらの原作へ戻すつもりなのだ。


 クラリッサが知る原作では、彼女は死ぬ。


 ルシアンが知る原作では、クラリッサは別の男と結婚する。


 そして私が神から聞いた話では、クラリッサは王太子殿下と結婚し、その子孫から未来の勇者を生まなければならない。


 三つとも違う。


 しかもこの男は聖女へ普通に惚れているのに、原作の強制力だと言い張り、自ら失恋する気でいる。


 説明すべきことが多すぎる。


「そうですね。とりあえず、ご協力をお願いします。」


 私は結局、それだけ答えた。


 今はいい。


 一度、整理しよう。


 どうせこちらには、三か月しかない。


 使えるものは使う。宰相嫡男の権限は、今後の調査にも役立つだろう。


 何より、次に聞くべき相手は決まった。


 原作の主人公である聖女、『ひより』。


 そして、その相手役である王太子ユリウス・レイフォード。


 クラリッサとルシアンは、自分たちが読んだ物語を未来そのものだと信じていた。


 ならば今度は、その物語の中心にいる二人が、現実では一体何を考えているのか。


 まずは本人たちの口から聞いてみることにしよう。


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