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インデックスゼロの魔王  作者: あめたす


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第20話:無価値な者の聖戦

第20話:無価値な者の聖戦


 足元から伝わる震動は、もはやシステムの不具合などではなかった。それは、踏みつけられ、数字の礫で削り取られてきた人間たちの、地鳴りのような怒号。演算帝国「ロゴス・ノア」の静寂を切り裂く、不揃いな鼓動だ。

 僕が光の繭に囚われた兄アモンへと駆け出そうとしたその刹那、背後のエレベーターホールが、凄まじい爆圧とともに吹き飛んだ。立ち込める白煙。焦げ付いたオゾンの臭い。


「――よお、待たせたな。計算違いの登場ってわけだ」


 煤に汚れ、右腕の装甲を剥き出しにしたドゴーンが、肩で息をしながらそこに立っていた。オイルの混じった汗が、彼が捨てたはずの「生身」の肌を汚している。その隣には、血まみれの拳を握りしめ、獣のような眼光を放つジャンがいた。


「ドゴーン……。それに、ジャン!」


「セト、ひでえ面してんな。兄貴にたっぷり可愛がられたのかよ」


 ジャンは鼻にかかった声で、いつものように不遜に笑った。けれど、その瞳には、パノプティコンのレンズでは決して解析できない「熱」が、命のうねりが宿っている。彼が進む一歩ごとに、アモンが張り巡らせた幾何学的な論理防壁が、冷たいガラスが砕け散るような音を立てて崩壊していく。

 アモンは宙に浮いたまま、信じられない「バグ」を見るかのように、眉一つ動かさず彼らを見下ろした。


「……鉄の騎士ドゴーン。生存確率0.03%の死地から生還したというのか。私の計算によれば、君の回路はスラムのゴミ捨て場で沈黙しているはずだった」


「ああ、そうだな。俺の脳内チップも、たった今さっきまでそう宣っていたよ。だがよ、アモン様……」


 ドゴーンは、ガリガリとノイズを立てる合成音声の喉を、無理やり震わせた。


「この馬鹿が、『お前の家族を数字にさせたのは、その計算機だ。壊しに行こうぜ』なんて、論理の欠片もねえことを抜かしやがった。……気がついたら、回路チップが警告を出すより速く、身体が勝手に動いてたよ。効率? 生存権? 知るかよ。俺は今、世界で一番非効率な男だ」


「不合理だ……。生存本能さえも演算不能か」


 アモンが吐き捨てるように言った。その声には、初めて磁気が乱れるような焦燥が混じっている。背後のホログラム数式が、彼らの侵入という「異常値」を処理できずに激しく点滅した。


「ジャンの特攻は、ジャミングの一種だ。奴が死を恐れずに、ただ『隣の奴の痛み』のために突き進むたび、周囲の『恐怖の数値』が反転し、システムの因果律を狂わせている」


 レオンが、気を失ったジジを背負いながら遅れて現れた。ジジはジャンの背中に触れることで、ようやく世界の激痛から逃れ、微かな呼吸を取り戻している。


「アモン。あんたの計算式には、この『汗の匂い』が入ってなかったんだよ。綺麗に整列した数字の中に、ドロドロの執着エゴを持ち込む馬鹿がいるってことをな」


「黙れ、ノイズが」


 アモンが拒絶の言葉を投げるより速く、ジャンが地を蹴った。武器も持たず、洗練された術理もない。ただの拳。剥き出しの拳。世界最高峰の演算能力を持つ「魔王」へと、垂直に肉薄する。

 アモンの周囲に展開された、黄金比に基づく幾何学的な防御障壁。それはIQ150以下の攻撃を自動的に弾く絶対的な盾。だが、ジャンの拳がそれに触れた瞬間、障壁は完璧な数値を保てずに歪み、歪曲した。


「理屈じゃねえんだよ。お前が痛いなら、俺も痛い。……それが、俺たちの、誰にも解けない『蝶々結び』だ!」


 バキ、という、硬質な理性が砕ける音がした。

 ジャンの拳は、アモンの胸元に届く前に、目に見えない絶対的な圧力で押し潰され、指の骨が折れた。けれど、その衝撃の余波――「痛み」を媒介にした意志の奔流が、アモンをシステムの基幹から無理やり引き剥がした。


「――今だ、セト!」


 ドゴーンの叫びと同時に、僕は跳んだ。

 光り輝く繭。無数の銀色のケーブル。それらが、僕という「ゼロ」の異物に触れた瞬間、拒絶反応を起こして激しい火花を散らす。

 僕にはIQもEQも、兵器として誇れるような数値はない。けれど、ピノに教わった指先の、不格好な感覚だけが、兄さんの孤独な心臓の鼓動を、そのリズムを捉えていた。

 僕は空中でもつれ合うようにして、アモンの細い身体を抱きしめた。


「離せ、セト……! 私に触れるな。汚泥が……私が飲み込んだ世界中の呪詛が、お前に流れ込むぞ!」


「いいよ。兄さんが独りで飲み込んできた毒、半分ちょうだい。……独り占めなんて、そんなの、ずるいよ」


 二人で真っ逆さまに、玉座の間の冷たい床へと墜落する。

 背中を打つ衝撃。肺から空気が逃げていく。けれど、腕の中に感じる兄さんの身体は、彫刻のような冷徹な質量ではなく、確かに震え、怯えている、一人の人間のものだった。

 アモンの背中から伸びていた神経ケーブルが、一本、また一本と、断末魔のような火花を散らして千切れていく。空中を埋め尽くしていた「全知測定」のホログラムが激しく点滅し、赤い文字で「Fatal Error」の警告が世界を覆い尽くした。


「……バカな弟だ。本当に……どこまでも、救いようのない……」


 アモンは僕の腕の中で、力なく呟いた。

 システムの呪縛から解き放たれた彼の瞳には、白銀の光ではなく、ただの弱々しく、透明な少年の眼差しが戻っていた。

 だが、安息は、まだ訪れない。


「あら。ずいぶんと……汚らしくて、滑稽な結末ね」


 崩れた回廊の死角から、心臓を凍らせるような、甘ったるい声が響いた。

 聖女マリアン。

 彼女は、血の海と化した戦場を散歩でもするかのような軽やかな足取りで、僕たちの前に現れた。その華奢な手には、マザーコンピュータと直結した、血管のように蠢く異形のデバイスが握られている。


「アモン様。あなたの演算は、もう終わり。あなたは『絶望』というデータに共感しすぎたのよ。これからは……私がこの世界を、本当の『空虚ゼロ』で満たしてあげる」


 マリアンの瞳が、底なしの沼のように黒く濁り、周囲の色彩を吸い取っていく。

 彼女の「共感の暴力」が、剥き出しになった僕たちの心へと、一気に牙を剥こうとしていた。理屈も、絆も、すべてを無効化する「慈悲の猛毒」が、静かに、けれど確実に牙を研ぎ澄ませている。

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