第二十四話(Chromium):新たな命
麻酔の導入が始まろうとする中、ディアモスやメガネ、医師会の面々は、不安げな表情で妊婦を見守っていた。
「柚紀さん、麻酔の準備はどうですか?......すぐにできそうですか?」
レイリーが、憔悴しきった顔で駆け寄ってきた。
「ああ!笑気ガスができる!少しでも痛みを和らげるんだ!」
柚紀は、手早く実験器具を組み立て始めた。硝酸カリウムと硝酸ナトリウムの入った三角フラスコをアルコールランプで加熱し、徐々に硝酸アンモニウム水溶液を加えていった。
「スカーレット!火を起こしてくれ!エリン!ゴム管を患者さんの口元に!」
二人は、柚紀の指示に従い、迅速に動き出した。フラスコが温められると、無色透明の気体が発生し始めた。これが笑気ガスだ。
「……笑気ガスは、吸いすぎると危険だ。慎重に投与するしかない!」
柚紀は、発生したガスをゴム管を通して、エリンが支える患者の口元へとゆっくりと近づけた。患者は苦痛に顔を歪めていたが、かすかにガスを吸い込み始めた。また、患者の呼吸が安定しないため、人工呼吸装置で呼吸を補助した。
この人工呼吸装置は、大型の電池を使い、モーターを回転させ、ゴム管に空気を送る簡易的な送風装置のようなものだったが、ないよりはマシだろう。この患者に、笑気麻酔からと人工呼吸装置からの、2本のゴム管が口に当てられていた。
「……効果は、まだ少しだ……!」
焦燥感が柚紀を襲う。しかし、他に手立てはない。
「解剖学の先生!準備はいいですか!」
柚紀は、医師会から来た解剖学専門の医師に声をかけた。医師は、メスを握りしめ、覚悟を決めた表情で頷いた。
「……いつでも。」
柚紀は、患者の意識が朦朧としてきたのを確認し、決断した。「始める!」
医師のメスが、妊婦の腹部を切り開いた。出血を最小限に抑えながら、慎重に、しかし迅速に手術は進められた。柚紀は、発生する笑気ガスの量を調整しながら、患者の様子を注視した。エリンは患者を支え、スカーレットは電球を調整安定させる。ディアモスは、静かに祈りを捧げていた。
時間は、異様にゆっくりと流れた。医師の額には汗が滲み、柚紀の心臓は張り裂けそうだった。
そして、ついに……小さく、しかし力強い産声が、静まり返った診療所に響き渡った。
「おぎゃあーー......」
「生まれた……!」
レイリーが、涙声で叫んだ。小さな命が、確かにこの世界に誕生したのだ。
しかし、まだ終わりではない。母体の状態も危険なままだ。医師は、止血処置を続け、柚紀は笑気ガスの投与量を慎重に調整した。
「輸血を開始してください。このままだと患者が危ない。」
柚紀は大量出血で母体が危険な状態であることを確認した。そこで、準備した血液を注射により、輸血を行い、急いで腹をぬって傷口を塞いでいった。
長い時間をかけ、ようやく手術は成功裡に終わった。母子ともに、辛うじて危機を脱したのだ。
疲労困憊の柚紀は、生まれたばかりの小さな命をそっと見つめた。その小さな体には、確かに未来が宿っていた。
「……やった……手術は成功だ……」
安堵と達成感で、柚紀の全身から力が抜けていった。外は、いつの間にか真っ暗になり、夜になっていた。
柚紀とレイリーは、麻酔から意識を取り戻した患者の様子を見ていた。呼吸も安定し、人工呼吸装置のゴム管を外した。
「赤ちゃん、生まれましたよ、元気な女の子です。おめでとうございます」
患者は、微笑んでいた。
流石に疲れが限界に達した柚紀は、酒場に来て休憩していた。夜も遅いので、ご飯を食べられる場所は、酒場くらいしかなかったからである。その酒場でメガネやエリン、スカーレットと遅い夕食を食べていると、近くの席で一人黙々と食事をする人物を見つけた。柚紀は、彼に見覚えがあった。それに、彼はこの異世界では見ない服を着ていた。彼はいったい誰なのだろうか?




