第29話 チキン
俺の名はチキン、ただの鶏肉好きのボクサーだ。決して臆病者だとか、そういう意味でこの名前になった訳ではない。いや、すまん。早々に、けれど少しだけ嘘をついた。かつてそういった事に夢を馳せていたのは本当だけど、怪我でもう夢は諦めてしまったんだ。今はただの鶏肉好きに過ぎない。
自分語りをするが、クソみたいな現実に愛想を尽かしたあの頃の俺は、これ以上ないくらいに荒れていた。自暴自棄になったと言っても良いだろう。そんな時に街の路地裏でチンピラ共に絡まれ、まともに喧嘩を買ってしまったんだが……まあ、この世界に来てしまった結果から経緯は察してもらいたい。
暴力の先に夢を見て、暴力によってこの世界へ送り込まれ、暴力とは無関係なこの世界で新たに生きて行く。何とも皮肉の効いた話だけど、ここでの生活もまた、俺にとっては楽なものではなかった。俺、前世ではトレーディングカードなんて、触れた事すらなかったんだよ。そんな俺にいきなりやれと言われても、マジで戸惑うばかりだった。それでも、俺は頑張った。これが新たな生きる道だと思って、人並み以上に努力をしてきたんだ。その甲斐あってか、最初のエリアであるアウトカーストからは、三ヶ月ほどで抜け出す事ができた。その時の嬉しさと言ったら、もう言葉にする事ができなかったっけ。これでこのクソ環境から抜け出す事ができる! ってさ。下手したら、まだ夢を見ていた頃の喜びに近かったかもしれない。
……けど、俺の快進撃はそこでストップしてしまった。レベル2・悠久平原ノービスプレイン、名前からしてまだ序盤のエリアであろうこの場所には、懸命に努力を続けた俺レベルの奴が、ごまんと存在していたんだ。いや、むしろ俺はそんな奴らの中で下の下とも呼べる存在で、あれだけ苦労して抜け出したアウトカーストに再度落とされるまで、時間は一週間とかからなかった。強制アウトカースト行き、それはつまりレベルダウンを示し、経験値もスタートの50に戻ってしまう。目の前が真っ白になったのは、前世を含めてこれが2度目だった。
そこで燃え尽きず、また根性でここまで這い上がれたのは、俺の中に諦められない気持ちがまだあったからだと思う。ぶっちゃけ、あの劣悪な環境とクソ不味い鉱物バーが嫌で嫌で、ノービスプレインでの生活が夢の中にまで出たくらいだったからな。前世ではあって当然だった屋根と野菜が、これほどまでに有難い存在だったとは……死ぬ前の俺に教えたところで、絶対に信じなかっただろう。お前、んな上等な生活をしておいて、何を絶望してんだって話だよ。
ただまあ、人間ってのは本能でより良い生活を望んじまうもので、前世の記憶を懐かしんで、ノービスプレインよりも上のエリアへ行く事を夢見てしまう。あれだけ美味いと思った野菜とかも、舌が慣れてしまった今、かつてのような感動を味わう事はできなくなっていた。けれど、同時に分かってもしまうんだ。俺の実力じゃ、精々この辺りが限界なんだって。そんな現実を目の当たりにすると、ふと絶望してしまう時があるんだ。
この世界における俺達カードマスターの肉体は、どんなに不摂生な生活を送っていたとしても病気にならず怪我もせず、いつまでも健康な状態が維持され続ける。おまけに歳も取らないっていう、特大のオマケまで付いているんだ。こいつは正に不老不死になったと言えるだろう。人によっては泣いて喜ぶ状況だ。この俺にも、そう思ってしまった時期があったくらいだからな。……けれど、こんな制限しかないキャンプ生活がいつまでも続いたところで、その先に何がある? 一体何の意味がある? そんな事を考えれば考えるほどに、俺の思考は深みにはまっていった。
肉体が死を拒む以上、自死を選ぶ道はない。いや、正確には負け続けていれば、いずれ死にはするんだが……無意味に死ぬのもなぁ、とも思ってしまう。意味もなく生きるのも、意味もなく死ぬのも嫌。そんな自分勝手な熟考の果てに――裏の闘技場に挑戦する事にしたんだ、俺は。
表の闘技場が参加に50の経験値を必要とするのに対し、裏の闘技場は紹介されあれば、誰でも参加する事ができる。幸い、そのチケットは随分と前に手に入れていた。どうも俺みたいな死んだ目をした奴を見つけては、裏闘技場にスカウトする輩が居るみたいなんだ。どう見ても胡散臭い奴だったから、その時は断ったんだが……いつか役に立つ日が来ると言われ、その場所を記したメモだけは受け取っていた。これが紹介状代わりになるってんだ、今日の今日まで大事に持っていたって訳だ。
裏闘技場、それは一攫千金の夢を見ると同時に、表ではあり得ぬ残虐な行いを凝縮したような場所だ。但し勝利した際の報酬は莫大なもので、これに勝利する事さえできれば、一気にレベル3になる事だって可能だった。一発逆転のチャンスだが、言い換えれば落ち目のギャンブラーがするような思考とも言える。だが、そんな事は百も承知だ。俺はこの道が成り上がる為の唯一のものだと信じ、裏闘技場への扉を開けた。元々ボクシングでそれなりに慣らしていたのもあって、そうと決めてしまえば、こういった場に足を踏み入れる事に躊躇はなかった。なかった、のだが――
「――げふっ、がふっ……は、ははっ、その結果が、これかよ……」
裏闘技場で勝利する。それは莫大な報酬を得ると同時に、相手のカードマスターを終わらせる事でもある。前世の死因がアレだったのもあって、どうせなら殺しても問題のないようなクソ野郎を倒したいと、俺はそう考えていた。そして今、裏のバトルの最中であるというのに、俺は闘技場のど真ん中でぶっ倒れ、必死に痛みに耐えている状態だ。
「おいお~い? 戦いの最中に呑気におねんねかよ? 親切な俺様がまたまた教えてやるけどよ、ペナルティの時間は待ってくれねぇぜぇ~~~? 次はもっとどでかい一撃がくんじゃねぇかなぁ~~~? なあ、チキン野郎?」
俺の敵であるフミタオシの馬鹿みたいな顔が、漸くハッキリと見えてきた。このバトルは何かの抗争の為にやっているとか、そういうお題目が何もない戦いだ。ここの団体、業火としては前座も前座、バックに何もいない力なきカードマスターが個人で参加し、自ら対価を差し出して出場権を得たものだ。これから裏を生業にしようというカードマスターが、その実力をアピールする為に設けられた場であるらしいが……ともあれ俺とこいつの場合は、互いが持つ経験値の全てを賭け合っている。まあ、要は勝った方のレベルが1上がって、負けた方はアウトカーストに落ちるどころか、その場で死んでしまうって事だ。
名前も見た目も中身も全てがクソ野郎のこいつが相手であれば、何の憂いも迷いもなく戦いに臨める……そう俺は思っていたんだが、駄目だった。同じレベル2だってのに、肝心の実力の部分で歯が立たなかったんだ。
「まだ、まだだ……!」
虚勢を張って何とかカードを使い、時間を稼ぐ。何かしらの行動さえすれば、ペナルティ発生までの30秒はリセットされる――けど、正直もう勝負はついているようなものだ。クソッ、俺はまたこんなクソ野郎に殺されてしまうのか? 俺の、俺の人生は一体――
「カーッ、酒がうめぇ! やっぱこれだよ、これ! まあ、それはそれとしてよ……裏の闘技場ってこんなにもレベルが低いのか? あ、いや、レベル1や2とかの話じゃなくてよ、実力の方な? これ、見世物として成立してんのか?」
「ええ、これでは見学する意味がないでぱくもぐ。折角素晴らしきメニューを揃えていると言うのに、メインがこれでは価値が下がってしまいんぐんぐ。表のフリーバトルと大差ないのではもぐはぐ」
――不意に客席の方から、そんな声が聞こえてきた。




