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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
月琴別伝
401/403

月琴別伝 十一


「そんな······ッッ!」


 童女は絶望に染まった声でたしかにそう叫んだ。

 くしくもだ。蝦蟇妖もまったく同種の感情に、自身驚きを禁じ得なかった。一気に息があがっていた。


 んな······なにぃ?? なんだこれは······ゴッソリ妖力が抜けて············あの筆、まさか······本当に······??



 ゾクリ。

 背を刺すとんでもない圧。そして破滅の香り。

 やっと口の周りのネトネトを引き剥がした桃霞がおおきく息を吸うと同時、驚き、喜びの声をあげる。

 まだ半月の月光の下、さざめく湖を背後にして立つその人影。背はそう高くはない。その姿、少年のようにみえてさにあらず。

 厳のような全身から立ち昇る不可視の奔流は、怒りとないまぜになって燃えたつ仙気。

 頭上で結わえた黒鉄の髪と、薄色の水色衣にこれを締める帯の先が夜風にたなびく。籠手と(すね)にのこる具足が歴戦の武人の風格をかもすその姿──



「しゃべくるだけでみんな無しにしちまえるってなァ、随分便利だなァ、おい」



 嘲るような、挑発するような口ぶりが、知る桃霞の耳には懐かしい。おもわず叫んでいた。まだ口はベトベトに苛まれ、まともに言葉にはならなかったけれど。



「ビャミキッッッ······!!」



 兄貴? じゃ、あの人が母様や桃霞姉さまがいっていた············兄者と旅したっていう??



「そうよ、俺こそが月塊様だ!」


 青年は牙をのぞかせニヤリと笑んだ。



「阿呆な阿呆な阿呆な······ッッッ!! なぜこうも······なぜこうも仙人どもがよってたかる!! 儂······儂はただ縄張りを護りたいだけなのにィィィィッッッ!!!」



 ザスリ、と地を踏んで、月塊は容赦なしに間合いを詰めていく。


「悪りィな。だがテメェもたいがいだぜ。人様のモンに手ぇつけた時点で、テメェの縄張りもクソもねぇ······」


「ぐ、来るな!」


 蝦蟇妖は一歩退き、指先を突きつける。


「おっと、いいのかい? (そいつ)はアンタの身体をさぞ苛むんだろ? そもそもこのテの術はひとつに一度ってのが相場だ」



「······ケ、ケケ。なるほど、(こちら)の事情に詳しいようだな。

 だが儂の術は限界を超えた! そしてすでにお前は我が術中! なれば容易いことよッ!!」



 すぅぅうっ、と夜気とともに力を溜め込む。おおきくおおきく太鼓腹が膨らみ、呑んだ宝印が存在を主張するかのように、たゆとう波明かりの紋様を浮かびあがらせる。


 あそこか······。



『アンタが仙人なんて【嘘】だッッ!!! このマガイモノめッッッ!!!』



 鼻血と唾をぶち撒けながら蝦蟇妖が大声を発すると、月塊の身体から清栄の目には視えないなにかが、水をかけられた火のように目減りして散った。

 と、瞬間。月塊の姿は消えていた。



「運がいいぜアンタ」


 ほんの目と鼻の先できこえた声に蝦蟇妖はギョッとして身をすくめる。足下にはいつの間にか蒼く輝く、月光にも似た光の粒が湧く円陣が浮かびあがり、いまいちど戻した視線の先には、万全の態勢で拳をひきしぼり身構える月塊の姿。


「この程度なら手加減放題だ、俺も殺らずにすむ。······歯は食いしばらなくていいぜ?」


「ゲッ!! 待っ──」




「ガバッと喉かっ拡げときなッッッッ!!!」




 この上なく収められた力が、振られた右拳から蝦蟇妖の腹に突き刺さり、全身を震わせ火口のごとく噴出し、散る。



 そして──



 怪物はひと言も発することなく、眼をむいたまま湖のほとりに仰臥(ぎょうが)したのだった。





「よっと」


 月塊は勢いをつけて妖の腹からとび出してきたものを拾いあげる。


「うっへ、きったねェ。ホラよッ」


 いって清栄へと投げてよこした。転がってきた宝印は、なるほど、言い様もない紫色のなにかにおおわれ、汚れている。ばっちい。



「たしかこりゃ、洞庭湖の二女神のものなんだろ? 悪いけど桃霞、後でうまく返しといてくれ」


「兄貴っ、兄貴っっ······!!!」



 託された本人は、もう辛抱たまらんとばかり尾をピンとたてて、踊りかかるように月塊へととびついた。


「お、おう。お前さんも相変わらずだな──って臭っせェ!! 臭······鼻面こすりつけんな!」



 ひとしきジャレたあと、桃霞はのびている蝦蟇妖をみやる。全身から猛烈な勢いで仙気と、奴自身の妖気が抜けでていく。


「やっちゃったの?」


「いんや。直前で仙気を散らされちまったからなァ。あの忌々しい宝印の力でもだいぶ減退した。

 ただまあ、奴が目を醒ますこたぁねえ。ぜーんぶ抜けて、ただの蝦蟇になるまでああしてるだろうよ」


 そうか。であれば徐々に、嘘にされた真も戻ってくるだろう。

 月塊の目が、ふと宝印をかかえたままたち尽くす清栄にむけられる。


「月塊、さま······?」


「おう。たしか······」


「清栄」


と桃霞が口添えする。


「そうそう、清栄。あー、初めましてだな。俺が月円塊だ」


 おずおずと寄ってくる姿に、月塊は一瞬、よく似た面影を感じて息を呑んだ。まるで時がまき戻ったような気さえする。だが、そんな筈もない。



「······そんなに、似て、ますか?」


 すぼまる声音に月塊はフッと口許をゆるませる。


「うんにゃ」


いって童女の額をかるく指先で揺らした。


「ちーっとも似てねェ、お前はいい奴そうだしな。

 アイツ······琴箭はなァ、ひでぇ奴だ。ホントひでぇ。こっちをアゴで使うこと幾星霜······」


「······ふっ」


 たった今あんな凄味をみせつけた人が、まるで同年代の童のように、とっくに大人の母の悪口をいっている。それが妙に可笑しくおもえて、清栄はふきだしていた。


「······さて、と。じゃ、迎えに行ってやろうかい」


「? 誰をですか?」


月塊はまたニカッと笑う。


「そのひでぇ奴をだよ。いつも通り、また足掻いてるっぽいんでな」






 目が醒めると同時、ガバッと身を起こして反射的に空をみる。

 刻限はちょうど早暁。

 しまった、いったい何刻こうしていたのか。なんだか少しだけ胸苦しいような、温かいような夢をみていた気がする······


「──いえ!」


 否! 夢などどうでもいい、残酷な現実が差迫っている!


 利口なのか愚かなのか、とにかく大人しく自分の横で草を食んでいた驢馬をひき寄せると、琴箭はこれにとび乗ってふたたび道を急いだ。

 いぜん董祀の命は軍法に──いや、曹操の掌中にある。


ごめんなさい、今回はこの一部のみです。

明日の投稿で「月琴別伝」完結となります。


微修正いたしました。

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