天輪、希望を奪いさること
戦場の荒風は、いまだ止む術を知らない。
「げ、月塊············ッ」
駆け寄ったまではいいものの、あまりの痛々しさに、馬弦は踏み込めずにいた。実際、とんでもない熱の壁が彼へと至るのを阻んでいた。もしも大いなる力の加護がなければ、ここまでとて近づくことすら叶わなかっただろう。
『──だ──大丈、夫だ──』
念話ですらかろうじて聴き取れるか細い声で、月塊は応える。
『それ、より、琴箭、を──』
はっとして仰ぐと、天主の胸を貫いたまま動きを止めていた白い腕が、耐えきれなくなったか、ついに儚くホロホロと崩れ、桃色の輝きを湛えた皇珠がピンと宙空に投げだされる。
一瞬あわてたが、そのまま大いなる力の蒼い気流にやさしく受けとめられると、これにのって極めて静かに、下で待つ馬弦の掌のなかに収まった。
馬弦は、その綾なす不思議な輝きに目を奪われていたが、身動ぎする音に我に返る。気流を吸収した月塊の周囲からは急速に熱が失われ、ジュウッ、という音と白煙をたてて完全に消熱した。
馬弦は皇珠を懐にすると、いっさんに月塊へと駆け寄った。
彼の身体はすでに治癒が始まっており、いまだ欠けた部分は蒼の揺らめきによって補われているが、徐々に舞い戻ってきた鋼殻が護るように重なり、実体をとり戻していく。
「ガッ······ッ!」
ビキリッ、と一気に鋼殻が再製される。
使い果たしたものを補おうと吸収する勢いが強すぎるのだ。
馬弦はいったん添えていた手を離すと、祈りをこめて彼に流れ込まんとする気流を、なるだけ静かに、優しくなるように願った。うまくいったか、新たに鋼殻が生成されることはなくなり、周囲に待機していた鋼殻が、また粛々とその身にもどる作業を再開した。
馬弦は祈りながらも、上天にとどまる天主をチラと見上げる。
天主はまったく動きを止めてみえた。呆然としたように、腕や胸の傷もそのままに、ただ巨体をぽつねんと浮かべ続けている。
力が足りないのだ。それほどまでに、先程の言語を絶する一撃は、彼の精魂を消耗させるものであったのだ、と馬弦は悟る。
まだ終わってはいない。
皇珠はこうして取り戻せた。だが、まだ終わってはいないのだ。天主は──天与の祝滅者はいまもああして現世に姿をとどめている。
「······なにをしている······立て、動かぬか······」
劉豹は喉から転がすような声を出して、よろよろと天主へ歩み寄る。
「まだこれからであろう······皇珠など······あんなモノ、お前からなんの権を奪うというのだ············目を覚ませ。力なら余りあるほどあるではないか」
その腕が、いまだ大地より不気味に生えたままの二本の透ける巨腕へとかざされる。
「あすこにある! まだあるのだ! 喰え! また腹一杯喰え! それだけの話ではないか!!」
カッ、と天主の八つの瞳に輝きが戻る。ググッ、とたわませていた背を伸ばすと、ガラガラと限界に達した腕を失いながらも、蒼き巨腕へと飛行をはじめる。
月塊も馬弦も、黙ってそれを見送るしかない。咎める手段などあるはずもなかった。
その、玉座ともいえる腕のうちに天主は収まると、ついに地へと地響きをたてて崩れ落ちた。それでもとりこんだ蒼巨腕をそれらに絡ませて、脈動もたかく力を吸いあげ始める。
まったく何というしぶとさか。もう先はあるまいと思われたその姿が、さらに不気味に変化していく。
「そうだ······我らの天主は······私の天主はまだ終わってなどいないのだ············!」
「くそったれ············っ」
ようやく動きをとりもどした月塊も、より重みを増した鋼殻を鳴らして立ちあがった。
「月塊······まだ」
「ああ、解ってる。たがそりゃ、あちらさんも一緒だ。今ならまだ──」
ガシリッ、と割れていた左目あたりをさらなる鋼殻がおおう。
「まだ間に合··················うっ!?」
「えっ???」
それは突然のこと。
驚きの声をあげて馬弦がふわりと宙を舞い、尻餅をついたままこちらを見つめている。
なにを、とは月塊自身も思ったことだ。気がついたときには、支えてくれていた彼を左腕がふり払っていた。
そんな両者の視線を、音もなく回転する古金の壁がゆっくりと閉ざしてゆく。
「······またッ!? お前ッ! このおっ······!!」
馬弦は反射的にその輪に突進する。友を返せと力のかぎり叩き続けた。
が、無情にも。またしても。
その輪は、彼から親しいものを奪って空へと舞い上がった。
そこには無いもない。ただ青草が萌え、風が吹き渡るだけの大草原。
面妖なことに、その人工物の一切ない空間へ、やにわに柱が一対二本据えられたかと思うと、ズラズラズラッと建て増しされ、一瞬の後には盛大な屋根つきの回廊を構築していた。
その最端、豪勢に飾りついた門の扉がギィィィッと開くと、中からひとりの男が現れる。
丈高い身体にいつもの洒落た薄色の衣ではなく、黒地に銀の刺繍の入ったかしこまった衣服をまとい、何十年かぶりの乾風に長髪をなびかせたのは、盤子虎その人である。
後ろに控えるのは遁甲の鬼門。お得意の術ではるか千里を悠々と歩いてきたのだ。
盤はしばらく、懐かしそうに風の匂いやさわめきに耳を凝らしていたが、ふと瞼をひらくと屈み込み、足元のしおれた野花へやさしく手をそえた。
「誰かと思えば、貴方でしたか。ご無沙汰しております」
盤が顔を上げると、おなじような術で門扉から出てきたらしい、仙女がひとり、袖を合わせているのをみとめる。
「やあ、太玄女か。幾年ぶりだね」
太玄女はふわりと笑むと、また地面に視線を落とした盤子虎──盤古にたずねかける。
「天主······ですか」
盤古はうなずいて応えた。
「土地が枯れ始めている······」
手でぐいと土をおこす。たち上がって握り込んでいたものを開くと、パラパラと風にのって、土くれが乾いた音とともに流されていった。
行方を見送った彼の視線は、北東の空を夕焼けのごとく染める力の根源へと向けられる。
「天仙大宝の糧を欲する力。君達の想定を上回っていたようだね。いや、割って入った障害が予想以上であったのかな?」
「······この高地にある蒙古高原がかほどに緑に覆われる理由。かつて貴方が、その一部であった巨躯を永久凍土と化し、この地を永遠に潤すものとなされたから、でしたな······」
罪悪感がまったくないわけではない。太玄女はわずかに愁眉をくもらせる。
「私に断りはいらない。詫びならばこの地に生ける者たちへ······無尽蔵に有るものではないからね」
「······」
「これを食い尽くしつつある天仙大宝······天主はなおも南下をしようと図っている。完全に、ただ天命だけを遂行する姿となって。
とすればどうなるだろう。漢全土がここの二の舞いになる。草木は枯れ、人や獣は増すばかりの冷気に閉じ込められる。
そうなってはどこの誰が覇権を握ろうと、関係なくなるんじゃないかな」
「──それを防ぐために、我々も動いているのです」
上空から声がして、羽衣を揺らしながら仙女がひとり降りてくる。あれは麻姑か。それに供がひとりついているようで、よくみると、どこで合流したのか、四剣仙のひとり劉淵だ。
「おお、戻ったか。どうだえ? 上の様子は」
「協力はとりつけた。皆、すでに動いてくれておる」
「あ、お師匠様ーっ!」
どーん、という音が聞こえてきそうなほど勢いをつけ、別方向から降ってきたのは桃霞だ。太玄女もおもわずよろけながら何とか品格をたもって、すり寄ってくる彼女の頭をポンポンと羽扇で撫でた。
「お、おお。主も苦労であったの。曹操は聞く耳をかしたかえ」
「──アイツは駄目、まったく駄目っ」
桃霞は師匠から離れると、ぷりぷりと怒りながら報告する。
「桃霞は頑張って伝えました。言えと仰られたのは全部。けどアイツ、初めから信じる気はないのです」
「だから言ったであろう? 最善を尽くして巧くやらねばならぬ、と。お主のやりようもマズかったのではないか」
「これはっ······お師匠様でも聞き捨てなりませんっ」
桃霞は、今度は麻姑のうしろへ隠れながら唇を尖らせる。
「桃霞はちゃんとや〜り〜ま〜した〜」
「······天に情あるを示せればそれでよい。後をどうするかは、人次第。天とて絶対ではく、ゆえに人は選ぶ自由をもつのだからな。まして」
麻姑は桃霞から身を離すと、ヒョイと指で何かをさし招く。くるくると太玄女の異空屋敷から古金の剣がとびだし、空中で光を放ちながら厳しい鎧武者の姿をとって地面へとおちる。
「我らが悪者であることは変わらぬしな。······泰阿」
「ハッ」
泰阿は、金色の具足に身を包んだ逞しい身体を折り曲げるようにして片膝をつき、礼をとる。
「これより我らは天主の道標となる。お主は劉淵と西を受けもて。万が一天主がこちらへ逸れてくるようであれば、構わぬ、全力でもって南へと追いたてよ。儂は」
腰に提げた剣をシャンと抜く。
「赤霄と東をうけ持つ」
「ハッッ」
泰阿は一礼すると立ちあがり、久しぶりに再会した劉淵とともに持ち場へと翔びたつ。
風に潜む凶の気が増しつつあるのを感じとって、盤古は苦そうに眉をしかめる。
「天仙大宝の衝突は、やはり凄まじく天下を損耗させる。時を逸せば、いよいよ天主を止めることは叶わなくなるぞ、月塊············」
重複する表現を修正しました。




