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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
哀別双詩
376/403

群雄、天仙の警鐘を無視すること

話は一瞬、本舞台より離れます。


 緊急動議。

 その呼びかけに、議場は混乱を極めていた。誰もが何も知らされず集まり、憶測の飛び交うなか議長である赤松子もいっこう姿をみせず、みな待ち惚けをくっている。

 なにか知らぬかと、広成子や馬師皇に訊ねかける者もいたが、彼らは黙したまま語ることはなかった。


 やがて議場のおおきな扉が音をたてて開く。みな、やっとか、と期待した人物の到着を予感したが、はたして入ってきたのは麻姑であった。

 ひそやかな落胆がざわめきへと変わるなか、彼女はスタスタと議長の座へ歩み、ふわりと腰を下ろした。



「······これはみなを代表して訊ねるのたが」


 広成子がながくのびた白磁の眉をあげ、彼女を見据えながら口火を切る。

「そちがその座に着いた、ということに、この動議は関係があるのかな?」


「はい」


 麻姑の答えに、場内はまたもやざわめき立つ。麻姑は袖に手を入れて、そこから一本の棒をとりだし、皆にしめす。


「それは」

「赤松子君の霊杖······」


「議長命を言付かって参りました。御一同には、この杖にかけて、現在進行中の『大策』への予防措置を図って頂きたい」


「なに?」

「では、やはりあの者が何ぞ······」


疑問視する声、やはり、となじる声の様々を、麻姑は制していう。


「現在、赤松子君は月輪円舞鏡のうちに囚われており、ともに襲われた私を庇って命を託して下さった。

 この行動がかならずしも嫦娥君の意図したものか、はたまた天仙大宝の暴走かまでは判然とせぬ。

 が、おなじく大宝・天主には動作に不審が生ずる公算がでてきた。

 ゆえに、赤松子君に代わって重ねて提案する。皆にはただちに下界への減災手段を講じて頂きたい」



 ただちに合議がもたれたが、麻姑が思うよりも呆気なく、決議はでた。みな、嫦娥ばかりにと手ぐすねひいて焦れていたところだったので、それは前向きな参加とは言えぬのが残念ではあったけれども、あらかじめ練っていた準備が役に立つのならばと、ただちに散っていった。


 まずは下界各地に散らばる地仙たちへの説明と協力の要請。

 つぎに、自然環境への過度な影響をふせぐ結界の建設。

 さらに、人界の有力者らへ、天の予知、という形をもって、もしもの際の注意喚起だ。

 むろん、そのもしも、が起こったとして、人の戦力がなんの役にたつものでもなかろうが、予測外の犠牲を減らすことにはつながる。



「なんとも皮肉なものじゃな。だが致し方あるまいの」


 慌ただしく皆が退散した議堂で、広成子はよっこらしょと杖にすがって腰をあげる。


「······まだ策がついえたと決まった訳ではありませぬ。これは想定外の損害を抑えるため」


「うむ、そうじゃな。ときにだ。赤松子は? 大丈夫なのかな?」


「あの方は······自力でどうとでもなされてしまう御方です。私もすぐ戻りますゆえ」


 広成子はうむうむ、と頷くと、

「では年寄りも、もうひと踏ん張りかの」

と呟きながら、開け放たれた扉から続く大廊道へと、頭を振りふり出ていった。






 この年、建安十二(二〇七)年。

 曹操はついに、逃げ込んだ袁尚兄弟らもろとも、幽州に巣食う烏桓を征伐するために腰を上げていた。


 二月に一斉に功臣を封じると、さっそく諸将にはかった。みな、もしも劉表が劉備と結託して許都を突いてきては一大事となるとして反対したが、ただひとり、郭嘉だけは劉表の心理を見抜いてぜひそうするよう進言した。

 彼はそれを受けて、大軍を(ぎょう)より一路北を目指して発進させ、夏の五月、無終(むじゅう)まで到る。

 だがここで、思いもかけぬことが起こった。


 七月に洪水が発生。それがなんと海までひろがり、道がまったく不通になってしまった。


 これにはさしもの曹操も出鼻をくじかれた。先年のうちに、河ふたつをつなぐ大工事をふたつもなして運河──平虜渠(へいりょきょ)と泉州渠──をこしらえ、海へと水が逃げやすくしておいたというのにも関わらずである。

 だがこればかりは、天の思うところであるが故にいかんともしがたい。



 逆に、袁尚・袁煕(えんき)兄弟や楼煩(ろうはん)蹋頓(とうとん)ら烏桓の勢はこれを大いに歓迎した。

 これで敵の出足も鈍る。待ってさえいれば、匈奴軍と天主が到来して瞬く間に勝敗は決するだろう。


 だがこの安穏とした予測は、味方に息を吐かせる役にはたったけれども、大きな見込み違いであった。

 北方では予想だにせぬ難敵(げっかい)が天主を追い詰め、一方こちら側でも、助けを求めて駆け込んできた者らの因果によって、自身らが追い詰められることになろうとは······



 とにもかくにも、水が引かぬことにはどうにもならぬ。そんな焦れる曹操の本陣を訪ねた者が、ふたりあった。

 ひとりはこれこそ誰あろう、元・袁紹配下の田疇(でんちゅう)である。

 ながく蛮夷の地に通じた彼は、曹操を敵軍の籠もる柳城へ導こうと提案した。怪しむ者もあるなか、曹操はこれを天の助けと容れ、先導を許した。


 ──あとのもうひとりが現れたのは、そんなことのあった日の夜半。まったく非常識な刻限のことである。




 ふいに、曹操は眠りより醒めた。

 慣れぬ枕のせいか? さりとて寝付きは悪くなかったはずだが、と夜具のなかで考えていると、傍で動くものの気配。頭を上げてみると、そこにはひとりの女人の姿があった。

 あたりは静寂につつまれ、真っ暗闇である。にも関わらず、その女はまるで彼女だけがあかるく抜き出たように、はっきりとその姿を捉えることが出来る。

 華美にすぎず、それでいてやわらかな衣の裾をさばいてこちらをみとめた眼元には愛らしさがあるが、羽衣などまとっているところは、どこか古風なものも感じさせる。しなやかで見目も麗しい。

 はて、女中のなかにこんな者がいただろうか、と、ぼうっとした頭で見上げていると、その女人は幼子を寝かしつけるように、座り込んで彼の胸元へ白い手を伸ばしてきた。



「天上界より遣いで参りました」


その女人は耳に心地よい声でいった。


「ちかく、災いが起こる気があります。この災いは貴方だけではない。漢全土を巻き込むかもしれない、それは恐ろしいものです。

 いますぐ引き返し、これに備えなさい。

 漢の諸侯に呼びかけ、北方よりの大災へ一致協力して臨むよう号令をかけるのです。これは貴方にしかできないことです」


 なにを馬鹿な。先にも述べた、あれほどの準備をしてここまで来たのだ。しかも田疇のおかげで忌々しい大水をもどうにか出来る目処がたった矢先、どうして手ぶらで帰ることが出来よう。

 これは臭いぞ、とはじめは彼も思った。

 いやいや待て。これを計だと言うのなら──そう呼ぶのもおこがましいが──この女間者が殺されるだけである。当世誰が、こんな迷信頼みの奸計に効果を期待するものか。


 かりに、だ。かりにこれが、夢か何かの託宣であるとしたら、なにがその『脅威』に相当するであろうか······


 ふと、放ったままの南匈奴への遣使一行のことが頭をよぎった。

 あれから半年ほどにもなるが、奴らはまだ戻りおらん。最後に届いた伝書では、去卑の周囲がいやに寂しいということであったが······まさか今さら匈奴がなにか?


 と、ここまできて彼は己を笑う。

 あり得んだろう、そんなことは。この俺と、袁家の小倅(こせがれ)どもや烏桓とでは、誰がどうみても優劣は明らかではないか。それは、少々の時をもってしても覆るものではない。

 匈奴はもちろん、鮮卑とても奴らの援けにまわったりするものか。



「それは可笑しな言いようだな」


 曹操はむっくりと床のうえに起き上がった。


「北方よりの大災とは? その申しようでは皇帝陛下の下に全土の兵を集めよと聞こえるが、その脅威とは、兵の力でどうにか出来るものであるのか? それほどのものが北にあるとはこの曹操、いまだ聞き及ばぬが」


 女人はぴくりと眉根をよせた。


「申したでしょう。これは貴方達だけの問題ではない、と。漢の民すべてに関わることなのですよ?」


だが曹操は冷笑し、ジロジロとこちらを見てくるばかりである。


 この、見目は美しいが、どこか短気な気質のある天女は、急に険しい表情となると、夜具のうえに置いていた手をふたたび胸元へやった。

 気のせいではない。その力がどんどん重くなっていく。

 ついに押し倒された曹操が驚いていると、その腕はいつの間にか毛並みの美しい虎のそれへと変わっていた。

 天女は牙をむく。



『この、己が野心のことしか頭にない小童め! 天仙の御使いを侮るとは! こたびの報せは天の情ゆえのこと! 勝手にするがいい!』



いうが早いか、瞬く間に大虎へと変じると、大きな頭をグイと寄せてひと声吼え、一気に天井へと駆けあがって姿を消した。




「誰かあるッ!!」



 さすがに曹操も肝が冷えて大声で呼ばわると、ハッッ! という声とともに侍従が駆けこんできた。意識が途切れた間はない。してみるとあれは夢ではなく、現のことであったのか? そんな馬鹿な。






 夜空へと駆けあがった虎はくるりと回転すると、またもとの通りの美しい女人の姿へと戻った。

 天仙・桃霞は、夜風にすこし乱れた毛先を整えると、むっつりとした顔で腕を組んでこぼす。


「やっぱりアイツ、()な奴······」


 どうなるかは判らないが、まあ、言えと言われたことだけは伝えた。もしアイツや追従する者だけが被害に遭うならどうでもいいが、事起これば、かつて馴染んだ人達にまで類が及びかねないというのが、いかにも業腹だ。すっぱり割り切るという訳にはいかない。



《あー、あー、聴こえてるかな? 天仙の皆様? 誰でもいいが》


 ふい割り込んできた念話に、桃霞は首を傾げる。聞き慣れない声である。協力を強いられた地仙の誰かのものだろう。


《こちらは駄目だ。孫仲謀(権)はまともにとりあう気はないらしい。

 ま、幽州から危険がくるぞ、なんて聞いたところで、はるか南方にいる彼にはピンと来ないのも無理はない。それに彼も勢力固めに忙しそうだしねぇ。

 于吉君が彼の兄を罰してくれていたお陰か、話だけは聞いてもらえたが。

 とにかくお使いは果たしたよ。では御機嫌よう······》


 プツリと声は途絶える。

 どいつもこいつも······。桃霞はため息をふかくついて頭をふると、報告のためいちど天へと昇っていった。




 この仙人らによる「仄めかし」は、人界のあらゆる実力者に隔てなく行われた。

 曹操、孫権、劉表、劉備、劉璋など、とにかくこれから下界の歴史を創っていくのであろう者らの代表すべてにだ。

 だが当然というか、大抵の者がこれを夢幻と決めつけ、本気にするものはいなかった。

 あるいはそんな事態が万が一起きても、まず困るのは一番近い曹操であろう。そうなればむしろ好機の到来だ、くらいの考えであった。





 結論からいうと、曹操もこの忠告に従うことはなかった。

 彼には天に選ばれているという自負がある。あれはやはり夢の産物であり、田疇が来てくれたことの方が、信ずるに足りる天の意志に他ならぬのだという思いは揺らがなかった。


 この期待に田疇は見事に応えた。

 曹操の軍は盧竜塞から出で、谷を埋め、山を削りしてじつに五百余里の道を切り拓き、艱難辛苦に耐えて進む。

 白檀(はくだん)を過ぎ、平剛を通り、鮮卑の地まで抜けて北へと回り込みながら着実に東を目指した。

 そうして、とうとう柳城を臨もうか、というところまでたどり着いたのである。



 こちらが鼻先まで迫ったというのに、嫌に落ち着いておる様が、いささか気に食わぬ············


 敵兵その数数万。士気、思いのほか高し。

 間者の報告に、曹操はまた、ぴくりと眉根を不快げに寄せた。


誤字を修正しました。

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