妖絶の夫人、月塊を叫ばせること①
ギィィィ······。
外向きにひらいた扉をぬけ、太玄女は異空にこしらえた室へといった。まるでそこの主人のような顔をして、ひとりの美仙女がこれを迎える。
「すこし出ぬか、麻姑よ」
一步そとに出れば、そこは山深き山中である。夜空には蒼月が麗然とうかんでいる。
「······主がきたということは、いよいよか······」
麻姑の問に、太玄女はただコクリとうなずく。
「そうじゃ。夜は満ちた。漢にとっての試練がはじまる··················」
一行は并州と外とを──つまりは匈奴と中華をわける塞門まで、ついに到着した。
山道に造られた塞門なれば、平地のほどには大きくはないが、全体にどっしりと、堂々たる堅牢ぶりをみせつけてくる。二階建てで門上には櫓などあり、物見の兵が弓弩でもって見張っているのがわかる。
「大将軍直使、秦子聞ともうす」
門を開いて迎えにでた衛長に、秦湧は令符をみせていった。
「お待ちしておりました。どうぞ」
あらかじめ書簡で報せがあったらしく、すんなりと通してくれるようだ。
「······おほん、それから」
秦湧は若干いいにくそうにしながら、孫岱に手ぶりでうながした。
「この童が道に迷っておりましてな」
「あっ、おまえ! また──!」
衛長は孫岱に両肩をつかまれて前へと押しだされた童子をみて、さすがに顔色をかえる。またたく間にその腕をひっつかむと、背後の部下へとわたして門内へおし込んでしまった。
「······これはどうも、直使殿にはお手を煩わせてしまい。普段からこのへんをチョロチョロしている童子でして」
「······いやなに、うっかりさ迷いでてしまったのでありましょう。なにせ童のことですからな」
たがい曖昧な笑いでなんとなく無難に事をおさめ、役人ふたりは先を譲りあうように門へと入ってゆく。
さすがに皆、緊張していた。
無理もない。この先は、「あの」匈奴が住まう世であり、つぎにここを通るのは、無事任務を果たしきった時のみなのだから。
みなが壁門をぬけると、また門はガチリと硬質な音をたてて閉じた。
塞内では、しかと甲衣を着込んだ兵士たちが闊歩し、目を光らせている。
押しこめられている匈奴がまたヤケバチとなって中原へなだれ込むようなことになれば、現在曹操が拠点とする鄴まではあっという間。そんな大事が万にひとつも起こらぬよう、彼らが昼夜目を光らせているというわけだ。
「あの童のことですが、漢語に飢えているらしく、ちょくちょく来るのです」
衛長はまだいい訳がましくいった。
「とくに害となる者でもないのです。それで······どうかこのことはご内密に願えれば、と」
「······まぁ、我々は遣使であって刺史ではない。以後は気をつけていただく、ということで」
「感謝いたします」
これより并州城へ案内いたす、と厳粛さをとりもどした衛長のさらに先を、あの童子と夏信がゆく。
どうかすると童よりも興味津々という風にみえる夏信は──もちろん匈奴の文化風習にであって、ちいさな子にではない──積極的に童子へ話しかけているようだ。
「ってことは、きみは漢族との······」
「うん、母上はね。父上はいちおう、攣鞮氏」
夏信は目を丸くする。
「秦遣使! この童、攣鞮部族ですよ、お偉いさんだ」
「······ほほぅ。では、いずれは栄職につくお方かな」
匈奴の種族はだいたい十九ほどあり、攣鞮部はその筆頭。左右の賢王はおろか、代々の単于はすべてこの一族からでている。
婚することができるのは、漢からの入宮をのぞいて、呼廚氏など四貴種とよばれる攣鞮氏の分派のみであり、それぞれの種族はけして雑じらないとされていた。
ようするにこの童は、匈奴のなかでは一品の貴族といえる存在だ。
「うーん。どうだろう、ね······」
名は馬弦。
そうなのった童子は一見すると、童女ともおもえる愛らしい顔に苦笑をうかべた。
この子は、身体も歳相応よりはやや小さく見える。みな、はじめはどっちかわからず、つい優しい対応をとったために懐かれてしまったようだが、素性をしった今、かえって良かったのかもしれない。
勿論そこはみな大人。思惑を声に出すことはない。
「え? お前、男だったの?」
だが、それを口にしてしまうのが月塊の月塊たるゆえんなのである。むきなおった童子は、頬をふくらませると、月塊を睨みつけた。
「アンタって奴は······アンタって奴はほんとにもうっ············キライだっ」
一行は迎えにきた并州の兵に連れられ、郡城へと招き入れられた。馬弦もなにを気に入ってか月塊の鞍のまえにまたがり、ついてきた。
驚いたことに、郡城界隈でもかれはすっかり親しんでいるらしく、さすがに入城は許されなかったが、あしざまに追い払われることもなかった。その図太さに、みな、おそれ入るやら苦笑するやらである。
翌日、護衛の兵をかりうけた一行は、左賢王・去卑のまつ左部匈奴の居住地へと発つのだった。




