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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
哀別双詩
340/403

妖絶の夫人、月塊を叫ばせること②


 晴天のもと、ゆるりと馬をすすめながら秦湧はいった。

風が、みなの頭巾や裾をからげとらんと止むことなく吹いて、馬のたてがみや尾もこれになびいている。


「大将軍は於夫羅(おふら)どの、呼廚泉どのをとどめ置かれて以来、匈奴を左・右・南・北・中の五部にわけられた。

 その五部は去卑殿が統率するが、さらにこれらは并州刺史兼、護匈奴中郎将の下におかれている」


「うち、五部のなかでもっとも多くの民を抱えるのが左部匈奴。古来、彼らの単于庭(王の居地)はなかなかつかみにくいけれど、その点、いまはさ迷わなくてすむ。

 もっとも実力者の左賢王が左部にいるだろうことは、容易に推測がつくだろう?」


 さすがに役職柄、秦湧もすこしは識っているらしかったが、こと匈奴のことなら負けておれぬとばかり、夏信がつけ足してくる。


「だからおそらく、無駄足にはなるまいと思う」


 鞍のまえで、馬弦がこっそり肩をすくめたのを月塊は何気なしにみた。




 道すがら見かける匈奴の民は、往時とあまり変わりない生活を送っているようにうつった。毛皮と木材でくんだ移動に便利な、まるい穹廬(きゅうろ)に住居し、羊、山羊などを追っているようだ。

 ただ、漢人の真似事として、斜面のモノになりそうな地には畑のようなものもみられ、人足(にんそく)が農具をふるっている様子が遠目にわかった。

 皆、こちらに気づくと一応に険しい表情をしてじっと見つめてくる。


「······曹操将軍はあまりよく思われていない。あの人は僕らを勝手に分けたから。それって、右部のものは右部に、北部のものは北部にってことなんでしょ?」


 馬弦も眉をしかめてこぼす。ほんの七、八歳であろうというのに、ずいぶん大人びた物の見方をするやつである。

 なるほど、わざわざ五つもに細かく分けたのは区別するために他なるまい。それは「(まと)まり」を崩すことであり、自然遊牧の民である彼らの移動を制限することでもある。

 すぐにはそれが守られなくとも、いずれ彼ら自身が、みずからを左部のものだの右部のものだのと意識するようになれば、土地への執着も生じるだろう。ほかの部の者がはいってくることを次第に許せなくなってゆくかも知れない。

 してみると曹操は、かれらをこの土地に縫いつけ、時をかけて吸合するつもりなのだろうか。漢の北辺を護るための一族として。





 左部匈奴居住地域。并州・西河郡・茲氏(しし)

 太原から山脈をくだるように南下した一行は、かの漢の武帝が、



【秋風起こりて白雲飛び、草木黄落して (かり) 南へ帰る──】



と詠んだ秋風楼(しゅうふうろう)のたつ黄河の支流、汾河(ふんが)を越え、ついにその地へといたった。

 親ともいえる黄河を踏襲しておこす汾河の氾濫がそうさせたか、この谷間にだけは、平らかになった()がゆったりとひろがっている。

 ちょうど山脈と山脈とが南北からぶつかりそうになって首を反らしあったような(ふもと)。扇状地の要ともいえる地点に、その県城は鎮座していた。




 そもそも単于庭とは遊牧の民にとっての御旗、道しるべのようなもので、唯一無二、定まった場所となる。

 移動を制限されつつある今となっては、むしろ開きなおって、その権威を盛るほうへ意識をむけたか、左賢王の宮は重厚な石の土台をもつ建造物であった。



 謁見の間でまっていると、鼓角がなり銅鑼(ドラ)がなって正面の布幕がサッとひらかれる。と、獣の角か牙でかざった玉座がみえた。


 あそこにすわる男こそ、左賢王・去卑。

 単于という絶対者がぬけた匈奴をみちびく柱石にして、新たなる支配者である。さすが王者の気風か、そこいらの漢人よりはよほど男っぷりはいい。玉座にでんと構えて座す様は堂々たるものだった。


 左右にならんだ臣下の列の最奥にいた男が、もっていた槍の柄で床をドンとうつと、何事かを大声で発する。

 秦湧が袖をあわせて進み出、一礼。夏信の通訳によって、来訪の目的、贈り物をたずさえてきたことなどを、漢の威信を損なうことなく、また、匈奴の自尊心を傷つけることもなきよう慎重な加減で、朗々とのべてゆく。



 だがその最中にも、月塊の目はただの一点、去卑にのみむけられていた。



 ······なんだ、あの野郎。話をきいているのか? なんというか······とかく反応が鈍い。


 まるで目を開けたまま眠ってでもいるような、それでいて無難な反応をゆっくりとながら返してきやがる。

 まるでひと呼吸、ひと動作、俺達とはズレているような──そんな感じがする············





「ところで······」


 いよいよ本題というくだりになり、秦湧は間をとって話を改めるぞ、という姿勢をみせる。


「じつはひとつ、願いの儀があります。

 じつに十と一年前、ご領内に来訪したであろう女人を我らは捜しておりまする。

 その者は大将軍と(ゆかり)ある者であり、将軍もその安否にはいたく御心を痛めておられます。どうかその者を漢へとつれ帰るお許しをいただきたく存じます」


「······その者の名は」

去卑のもとに寄った側近が言をききとり訊ねる。


「は。蔡琴箭、ともうします」


 側近はまたも王へと耳をよせていたが、うなずくと、威勢をしめすように胸をはって応えた。



「そんな名の女は当方にはおらぬ!」



 秦湧は夏信とともに心外な返答とばかり目を丸くしたが、あらためて請うた。


「どうかいちどお確かめを。これが叶いますれば、将軍はどれだけ喜ばれることでありましょう」


「その者は勝手に我らが域に踏みいったのだろう。であれば左賢王様とて預かり知らぬことである」


「······左様でござるか。では、あらためまして。

 我らに捜索の権をお与えくださいますよう」


「なにィッッ?」

「無礼なッ!!」


 場が不穏な(たかぶ)りをみせたところで、不意にまた銅鑼がジャーンと鳴った。



「「王夫人のお出まし!」」



 どういうつもりだ? 女だと??


 いかに風俗がちがえども、正式な政事の場に女人が出張ってくるなど聞いたこともない。だが、しずしずと音もなく入ってきたその女人をみて、秦湧も夏信も孫岱も、口があんぐりとなった。

 ふんだんに毛氈(もうせん)を用いた、一見自身の印象とは真逆の装束すらも着こなして、その裾を優雅にさばくその姿。

 なによりあの髪。まるで絹のように純白でありながら、その艶たるや!

 笑むような唇は妖しく色づき、歳の頃なら二十歳半ばの美貌の持ち主。


 その女は去卑の足下に(はべ)るように腰を下ろすと、碧玉色の心を射すくめる瞳で遣使一行をとらえた。

 瞬間、月塊ははじかれるように口を開いていた。



「琴箭ッ!!」



護匈奴中郎将。

中郎が宿衛の官兵だとしたら、それをまとめる将。

つまり匈奴から護る常駐兵の指揮官、でしょうか。

まあ、そのまんまですよね······

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