遣使一行、怪童子にであうこと
ひびく管弦と舞い踊り。
ここのところ慶事つづきだったからか、皆々の所作も手慣れたものである。華やかな送別の酒宴が、なにかを予感させる曇天のもと、行われていた。
みごと遣使に抜擢された男は、生真面目な面持ちにこっそりと涙をうかべ、ぐいと盃をあおっている。なにをまあ大層な、と思うが、出たら出たでそのまま帰ってこられなくなるかもしれぬとなれば、ああもなるか。
やがて宴もつつがなく終わり、いざ出立の刻限となった。月塊が皆からはずれ、ひとりボンヤリと天を眺めていると、
〈······なんだ、こんな若僧もいくのか〉
と、嘲りとも悲哀ともつかぬ声音のつぶやきが耳をついた。匈奴の言葉である。
〈なんだとは何だ〉
と思わず耳にはいった言葉で返すと、いき過ぎようとしていた若い男は吃驚したように目を見開いて立ち止まった。
〈驚いたな。おまえ、我らの言葉がわかるのか〉
この男はたしか······宴のまえの式典で、曹操にうながされて、五色の馬のたてがみだか尻尾の毛だかで飾った五角の短杖──おそらく入境許可の証──を遣使に授けていた男ではなかったか。
曹操ほどとはいかぬものの、ご立派な漢式の衣服を着込み、申し訳程度の郷土魂として、毛皮製の帽子を頭に乗せている。
月塊の視線に気づいたか、その若い男は気まずそうにしながらも問いかけてくる。久々に言葉をかわせる者がいて嬉しいのかもしれない。
〈なぜ喋れるのか? 名は〉
〈昔、あっちに住んでいたことがあるんでな。名は楊──月円塊〉
〈月? というとお前は月氏の〉
〈いや別だ。連中とはなんの関わりもない〉
男はすこしホッとした表情をみせ、あらためて月塊をためつすがめつ見てこぼした。
〈まあ、お前でいいか。通じの者に託すわけにもいかんしな〉
ひと息吸っていう。
〈むこうに着いたら叔父上······左賢王の去卑に、泉がよろしく頼む、といっていたと伝えろ〉
ひとに頼むには随分な態度だが、なに、これもかつて草原を駆けた匈奴人の朴訥さゆえのことだ。月塊はとくに気にすることもなく〈わかった〉とおなじく告げた。
そこへ、一行の通じを仰せつかった夏信がすっ飛んできた。男の前で礼をとる。
〈これは、呼廚泉様。さきほどは有難うございました。それで······この者がなにか失礼を?〉
「いや、ヨい。からかったマデ」
片言の漢語で答えると、スタスタと去っていった。
「············あの方はれっきとした当代単于──つまりは匈奴最上位の王だ。兄君である先代、於夫羅殿が曹将軍を頼って以来、鄴にとどめ置かれている。待遇は悪くないはずだが、内心は鬱屈しておられような」
「ふーん」
「······で?」
くるりと夏信はむき直り、何やら疑わしげな視線をむけてくる。
「なにか頼まれたりは、しなかっただろうな?」
「さあな。なんかまくし立ててたが、なに言ってっかわっかんねェと返しただけだ」
かくして、遣使団は華やかな見送りをうけ、護衛の兵とともに旅路にのった。
道中は太行山脈にそいながらゆるりと北上。
邯鄲のあたりから山脈へと分け入り、南匈奴の居住地の前門である太原郡をめざす。
山道にはいるまではずっと平地の旅であり、県城づたいに宿泊しながら進むため楽なものだ。おそらく、これが重い車三台と荷をかかえて山越えをするに、もっとも適した道程であろう。
随員は、州治ごとに交替する護衛の兵士らをのぞいて三十四人。
まずは正式な遣使として、秦湧という三十路後半の役人。
これに匈奴通じ(通訳)として、先ほどしゃしゃり出てきた夏信なる若者。
これらを護衛する常備兵として二十代後半らしい孫岱という将が、配下二十五名をしたがえて同道する。そこに、保護対象者の身内として──そういう触れこみで──月塊がくわわる。
邯鄲までは何といっても曹大将軍様の膝元ということで何事もなく、一行はいよいよ太行山脈へと足を踏み入れた。
遣使の秦湧という男は、とにかく慎重に過ぎる男のようだった。木々がざわめけば列を止めて物見をやり、鳥が騒げば物見をやり、といった様子でいちいち足がとまる。
辟易した月塊がスルスルと大樹をのぼりみると、狩人らしきふたりが山道を通っていくのがみえた。
やはりか。みてくれから漢人のようだし、今回も遣使サマの杞憂であったか。
月塊が盛大にため息をついて降りようとすると、狩人がこちらに気づいたか、駆け寄ってきて獲物よ落ちよ、とばかりに矢を射かけてきた。
面倒なのでそのままうけた月塊の身が矢をはね返すのをみると、たまげて獣道をもときた方へ駆け去ってゆく。
と、彼らが駆け去るのとほぼ同時、なにかがバサッと、樹から落ちた。一行の通り道にちかい。
感化されたわけではないが、念のためだ。
月塊はまたスルスルと半ばまで降りると、あとはもう何かの獣のように幹をしならせて跳躍、ズダンとその前に落下した。
「············!」
足下にいたのは、童子であった。
「どうした、月塊っ!」
孫岱が息咳きって駆けてくる。
「······この者は······匈奴族ではないのか?」
そう。腰をぬかしているその童子の恰好は、毛皮製の上下に靴。そして頭には、あの呼廚泉がかぶっていたのと似たようなモフリとした帽子をかぶっている。肌は日焼けしているが、くりくとよく動くまるい黒目が、好奇心と恐怖半々にこちらを見上げていた。
「お前は何だ、どうしてここにいる」
孫岱は反射的に訪ねかけていた。通じるわけもないのを失念していたのだが············
「ちょっと······漢人の使節がくるってきいたかから、見物に······」
あにはからんや、童子は流暢な漢語で応えたのであった!
お読みくださり、ありがとうございます。
※まずお詫びです、やらかしてます。
「武帝紀」によると、呼廚泉が入朝してそのまま魏に留められ、去卑に南匈奴のとりまとめが委任されたのは二一六年のこととなっています。
つまり十年ちかくも早い···あかん。
ちなみに呼廚泉が気にした「月氏族」とは、かつて匈奴とモンゴル高原の覇をきそった強敵であります。
紀元前二世紀ごろにはすでに中央アジアに移っており、そのおかげでか、匈奴が広大な地域を支配下におさめたとのこと。
遣使団の随員たち。秦湧、夏信、孫岱、および呼廚泉のあたえた入境許可の棒は、完全に書き手の妄想です。
誤字を修正しました。




