月下無常④
その瞬間。
周辺にいた仙、すべてが震えた。赤霄も、桃霞も、太玄女さえも。
その圧倒、かつ異質な、この地上にあってはならぬ物の始動を。
いったいいつ転移したのか。当事者である赤霄にもわからない。
ただ意識した時にはもう、静かな世界に己はいた。あまりの異変にさしもの彼も言を失して、まわりの状況を目でおうのが精一杯だった。
空は星天。地を季節にあわぬ下草が青々としておおい、ちいさいながら色彩豊かな花々が、翠の波に華やかに興をそえている。
うかんだ満月が異様に大きい。面の凹凸の影までもくっきり見えるほどに近くに感じる。
目を刺すほどには強くない柔らかな光を見つめているうちに、やっと赤霄の頭が追いついてきた。
みた。
あの刹那、奴は救いを求めるようにその手を月にかざした。それにこたえるかのごとく、月の丸い、空とのあわいがぐるりと回転したのを。
月光を宿したそれらの『輪』は、回転しながら幾重にも重なり、やがてひとつの巨大な古金の輪となって我らの頭上にかかり──次の瞬間もう俺はここにいた。
「そういえば奴は······!」
くそ、感覚もおかしい。二度までも見失うとはッ!
みまわすと、ひときわ月光の輝きをうける一帯に、月塊は膝をついている。
「月円塊······お前。何をした······いや、なにを喚んだのだ············!」
ササリ、とゆたかな青草に手をついて、月塊はゆるりと立ちあがった。
「月輪円舞鏡。そういうらしいぜ、コイツはよ」
口をきいた? 理性が戻ったのか。だが今、こいつは何といった?
「月輪円舞鏡、といったのか? お前。
············ハッ、あり得ぬ! ふてぶてしいにも程がある!」
赤霄は声をあらげた。
「月輪円舞鏡といえば、我らが麻姑様や太玄女様をも凌ぐ神仙! 月世の総領主、嫦娥公主さまの秘宝ではないか!!
そのような神機、お前のような下賤の者が······!」
神仙大宝。
それはごく限られた仙に天帝が授けるという、紛れもない秘物。当然天上にもふたつとなく、その主以外がつかうなど及びもつかぬ物なのだ。それをこんな奴が──絶対にありえぬ!
「知るかよ。俺は『コイツ』がいっていることを伝えただけだ」
「このッ······不埒者がぁぁぁッッ!!」
聞くに耐えない。もはや堪忍ならぬとばかり、赤霄はいっさいの躊躇なく月塊に突っこんだ。
当然、一撃で断つ覚悟で迫った。月塊も構えるが、先程までとはうって変わって緩慢な挙動。必勝の間合いである。
ドスンッッ!
手刀はたしかに、月塊の胸のど真ん中に突きたった。
······そのはずであった。
「······何だ? 弱い? 浅い?」
赤霄は驚愕をもって我が一撃をみつめる。たしかにこの攻撃は月塊をよろめかせた。たしかに胸に突き刺さった。ぬいた傷口からは核のものらしき紫色の光もみえている。だのに······
「あり得ぬ。本来ならば真っ二つになっていなければならない筈······あり得ぬ」
ヌウッと月塊の右腕がのびてきた。赤霄はあわてて距離をとる。が、
「ガッッ?!」
背後から足蹴をくい、おもわず地に両手をつく。
そんな──今度は疾さでも敗けた??!
「······俺がアンタよりはやく動けたってこたぁ、多分、いつもならアンタの方が疾いんだろうな。さっきの一刀もマトモなら俺の身体は粉々になっていたんだろう」
月塊は静かに、淡々とつげる。
「月輪円舞鏡。こいつはすべての者に平等に、すべてを等しくする。あらゆる不平等を正して、真に対等な決着を強制する」
バカな! すべてが平等な条件下での決着を強いるだと?! それはすべての功夫を否定するということではないか! 強者にとって、これ程無慈悲で怖ろしいものがあろうか!
「······ク······ハハッ···。だったらどうだと言うんだ」
赤霄はゆらりと腰をあげる。
「争いなぞ無意味だ、事がお前によいように進むまでここで待てとでも?
──笑わせる!!」
地鳴りを轟かせて金の仙気が爆ぜる。
月輪円舞鏡に抑えられてもなお、構うものかと抗うかのように、散らさせる先からまた充ち、不恰好なまま赤霄の身体を包んでいる。
「何としてもあの御方をお救いするッ!! あの御方のご意思に背こうとも、天の裁きを阻止してみせる!! お前の餓鬼の喧嘩につき合ってもなッッッ!!!」
「たがい、まだるこしいのは趣味じゃねぇ。異論はないぜ」
赤霄はふたたび全仙気を両手両脚に集中させてゆく。
対する月塊はひと息すうと、おおきな月に透けた右腕をかざし、光の戟をうみだした。音をたてて宙空で回転するそれを両腕ではさみ捕らえると、ググッと押しこんでゆく。
白光は稲妻にもにた細光を放ちながら身のうちに消え、彼はまばゆく輝く両腕で構える。
「──ぬぅぅぅぅッッッんッッ!!!」
「チェアアアアァァァ──ッッッ!!!」
両者、昂りのままに気合いを吐いて吐いて、吐きつくした直後、
「「ウラァァァァァァァァッッッッッ!!!」」
激突した。
たがいの具足の欠片が舞いとび、美しき花園をみだす。
その一撃一撃が急所を捉えることはない。ただがむしゃらに、ただ愚かに。もてる全てを削りあってゆく。
そして──決着はついた。




