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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
石胎箴緯
306/403

麻姑、桃霞に虎の巻をたくすこと


 あれから十日ほどがたった。


 なんとながい日数であったろうか。すっかり錆びついてしまっていた、活きた時の感覚が甦るような気さえする。

 太玄女にこの空間──彼女お得意の異空をつくりだす術──の檻へと封じ込められて以来、麻姑はじりじりと過ごした。旅の最中でもよくこうして彼女の異空屋敷の世話にはなったので勝手はしっているつもりだ。閉じ籠もって暮らすぶんにはまったく不自由のない造りとなっている。


 ただこうして待つしか手のないことは苦行である。だが、そこは伝説上の仙女にかぞえられる麻姑。久々に苦しむことになった胸中の不安さえも、彼女の悟りをへた精神を蝕むことはなかった。

 彼女は待っていた。なにをか。この大義と友誼(ゆうぎ)が交互に編みこまれた閉塞に風穴をあけるなにか。ほんの一本あればたる(はり)の先をだ。


 その鍼は十二日目、童女の姿でやってきた。




 微かな気配にとじていた(まぶた)をうっすら開けると、ギギギィと扉が(きし)んで外向きにひらき、そこからたくさんの果物をのせた大皿を重そうにかかえて、いちにんの童女がはいってきた。

 ここへよこされるくらいだから太玄女の弟子のうちなのだろうが、その顔に覚えはない。


「これ、お師匠様から。ここにおく」


 礼儀もなってはいない。ははぁ、これが地上におりる前話にでた新弟子であるな、と麻姑はおもった。



 まるで風流文人の隠れ家のような一室で、ふたりの童女が向きあった。


「そなたか、太玄女のあたらしい弟子は」


 ゴトリ、と木皿を台のうえにおくと、桃霞はすこしだけあらたまってうなずいた。


「うん──じゃない、はい。あ、ご挨拶」


そうつぶやいて、姐弟子におしえられたとおりの、お師匠につくすのと同等の礼を、正面の出窓に腰かける麻姑にとった。


「ときに······儂が弘農へおることを太玄女に密告したのはそちじゃな?」


 桃霞は気まずそうにしながらも、嘘をつくことも誤魔化すこともなく正直にこたえる。

「はい。お師匠様のいいつけ。そのために桃霞、おりてきたのだし」


「······ほっ、無邪気なものよ。よい、責めているのではない。よくぞ我が化身をみやぶったと褒めているのだ」


本来なじられる相手から褒められて、桃霞はどういった顔をしてよいか迷うようにはにかんだ。  

 その表情をみて、麻姑の意思はきまった。


 (はり)の一穴、こやつに託してみるか······


「······桃霞とやら。そのハナをみこんで、おまえに頼みがある」


 桃霞はきゅうに後ずさってふるふると首を横にふった。


「それ駄目。お師匠様に麻姑様を逃しちゃ駄目っていわれてる。それ駄目」


「たわけ、早合点するでない。この程度の術、おまえのような雛の手を借りずとも抜けだせるわ。太玄女のやつも、本気で儂を押し込められるなどとははなから思っておらぬ。

 そうではない。儂もひとつ、おまえに遣いをたのもうとおもうてな」



 麻姑はそういって袖に手をつっ込むと、袖からひと巻きの巻物をとりだした。それをポーンと彼女に放ってよこす。


「それをある者に届けるのだ」

「ナニコレ」桃霞はうけとった物に鼻をちかづけクンクンやった。変わったニオイがする。


「危険なものではないさ。それを外にいる月塊という妖に」


「月塊兄貴っ!」


 その名をきいた途端、桃霞は目を輝かせて身をのり出した。

 兄貴! そうか兄貴! そういえば兄貴にもあれから会わず終いだった。元気でいるかな?


 きゅうに桃霞の機嫌が高揚したことに麻姑のほうはかえって驚いていたが、ほほほ、とはじめて好感のもてる笑い声をたてた。


「そうか。おまえ、月塊君と縁があるのか。それはますます都合がよい」


「麻姑さまも、兄貴の知り合い?」


「まあ、顔見せしあった程度だがな。

 よいか、それを少々難儀をしているであろう奴へとどけるのだ。うまくすれば救けになるであろう」


「兄貴こまってる!」


月塊兄貴がこまっているというのなら放ってはおけない。桃霞はわかった、とうなずいて巻物を懐へしっかりとしまった。

 これで喜びごとが増えた。難儀しているというのがちょっとひっかかるが、兄貴にまであう口実ができたのだ。


「うむ。では頼んたぞ。しかと届けよ」

「はいっ」


 桃霞はいさんで扉をあけ、足音もかしましくバタバタとでていった。



 騒音を掃きだすように観音びらきの扉がしまると、きゅうに静寂が室内をおおいつくした。麻姑はまた、初秋の日をなげかける窓辺のそとへと目をうつす。


「弟子はどこのものも可愛いものよな。のう、太玄女」

と、ちいさくつぶやいた。




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