琴箭、狍鴞とふたたびまみえること②
お寄りくださり、まことにありがとうございます。
前回からながく中途半端なところで切れてしまいまして、ほんと、お詫びのしようもございません。
投稿再開いたします。
薬草の効果があったのか。
琴箭がその甘露な味をぐっと呑み込んでしばらくすると、ふうっ、と身体が息をついたような気がして、軽くなった。流されたときにぶつけたあちこちはまだ痛むし、傷が消えたわけでもない。それでも疲れは嘘のようにひいていった。これなら何とか歩くまでは出来そうだ。
ついに異界のものを口にしてしまった······
琴箭は腹ばいのまま、先っちょが齧られた赤い草をみつめた。散々食うなと昔脅されたことがある。それをやってしまった以上、このさきどんな弊害がでるかわかったもんじゃない。だが食べなければ自分はここで終わっていた。
ええい、こうなれぱもろともよ。
座りなおすと草をひっこ抜き、土で汚れていない部分までをそっくり平らげてしまう。彼女にとって幸いだったのが、その草が白䓘(はくこう)という、飢えと疲れをなおすだけのものであったということだろう。
ふと知らず、しっかと握りしめているものに気づいた。手に絡んだ紐の先をみると、萊萊が腕につけていた例の御守袋だ。流れに呑まれる際必死になるあまりもぎ取ってしまったものに相違ない。
萊萊は無事だろうか。
琴箭はよろよろと立ち上がると、霧の晴れ間をめざして歩きはじめた。
まったく、どこを向いても霧だった。いま自分はどの辺りにいるのかさえわからぬ。ただ、あの怖ろしい夫諸のそれとは違い、ジメジメとした感はなく、あるがままにたゆたっている分マシといえた。
いったいどこまで来たのだろう。ここは南山なの? それとも中山?
ほどなく、濃霧の幕のおくにぼんやりと陰が揺らいでいるのを見つけた。近寄ってみると、まったくどれだけの時をそうしてきたのか、石柱の標がたっていた。ふるい石の標······なんだか昔なじみに遇った気分だ。
中山○○○山──
山の部分もかろうじてよめる程度だが、○○の部分はとくに時に削られたかよく読みとれない。だが最低限の情報をくれたことには感謝だ。
「じゃ、ここはもう中山域······」
ノシリ。
わずかに地が揺れた音。
バサバサーッと、葉にたまった雫が落ち、ドキリとなった。なおも地をわずかに震わせる音は、ときおり気まぐれに調子をずらしながらも、ゆるりとこちらへ近づいてくるようだった。
まずい、樹下から離れすぎた。
琴箭は少しでも身を隠せる所はないかと探すが、どこにもそんな陰はみえない。
どうにも最悪の位置どりとなったらしい。『何か』がやってくる方向にしか隠れ場所はないようだ。やむなく標柱の陰にうずくまる。
ノシン。ノシン。
その足音は慌てず騒がず、一種荘重さをおびてやってくる。ようやく白霧のむこうに影が浮かびあがった。足運びからは考えられぬほどの巨体である。そうしてヌッ、と霧をわってでかい造りもののような面が覗いたときには、琴箭はよっぽど声を上げそうになった。
狍鴞──!!!
またも心の臓が騒ぎだす。見間違うものか。この異界にくるまえ、わざわざ忠告を与えるかのように現れ、あわや一行ごと皆殺しにされるところであった。
あの頃からフラフラと現し世へ遠出をしていた迷惑な探検者、狍鴞!
捜し物でもあるのか、ジロリ、ギョロリと変化に乏しい能面ヅラに目玉だけを動かして、狍鴞はしばしじっと佇んでいたが、満足か諦めか、とにかくヌッと出していたものを霧の中へとひっこめた。そのまま巨大の陰を朧にゆらし、溶けるようにして消えた。
行った······?
辛抱して様子をうかがっていたが、もうどんな気配も感じられない。ホッとして立ちあがる。
「「グルルルルル······」」
「早ク、早ク!」
萊萊はいてもたってもおられぬようで、月塊をせかす。この気配、これほど離れても湿気にのって流れてくるこの臭いは、まちがいない。こうして考えるだけで全身の毛も逆立つ。
あの怖ろしい大妖の一角、狍鴞だ。そして北山に棲まう彼奴がわざわざ中山の南端であるこの辺りにまで出張ってきたのも、琴箭との奇縁が絡んでのことと考えるのも、けっして無理なことではない。つまり、そこに琴箭もいるかもしれぬのだ。
月塊にしてもそれは重々わかっていた。とてつもない気配。西山で相対したあの窮奇や土螻に比するか、またはそれ以上の強者の気配。そんなものが琴箭のきえた付近に現れる理由とは? 考えたくもない。
萊萊のせかす声を背後におきすてにしながら、ふたりの御する蝙蝠はせわしく滑空する。
すぐ耳元に吐息を感じた。生臭い、嫌な類いの口臭。ドッとなにかに背を小突かれ、琴箭は強引に草地へと転がされる。慌てて仰向けになると、そこにはとうとう全身を顕にした狍鴞の忌むべき姿があった。
尻のほうが霧と一体化したように曖昧としている。前回も霧に溶けることで、並の妖獣では不可能な外界への現出をなし得たのだろう。舌、というにはあまりに太く長いものが眼の前でゆれている。
だがどうしたことか、一気には襲ってこない。こちらを探るように舌を揺らしながら、狍鴞は琴箭の胸のあたり──一点を注視しているらしかった。つられて視線をやると、そこにはあの麒麟の鉄扇がある。
そうか、これを恐れているのか······!
かるい狩りだとおもったらまさかの痛手をくった未知の力をもつこの鉄扇。天獣の宿せし力を秘めるこの扇は、狍鴞をしても警戒を要するものであるらしい。
だが、だが微動だにできぬ。もしも鉄扇に手を伸ばそうものなら、眼前にゆれる舌で払いのけられ、全ては終わる。といって逃げることもままならぬ。仰向けに地面へと倒されただけでなく、恐怖のあまり腰が抜けてしまっていた。
荒く息をつぐばかりのなか、琴箭はついに、ひとつの応えへとたどり着いた。フッ、と右手をかざす。
「?」
狍鴞が目を丸くするまえで、彼女の手からポソリと落ちてたれたのはあの守り袋だった。
あの折狍鴞から奪った指の欠片の納まった、これまでの道行きを支えてくれた、あの守り袋である。
いかにしてこの結論にたどり着いたのか。それは己にすら解らない。威嚇? それとも意地? あるいは命乞いか。
それとも、感謝──
おそろしく落ち着いていた。諦めがついた、というのがもっとも正鵠を射た表現なのだろう。
もはや手詰まりなのはわかっている。皆に救けてもらいながらも、自分はここまで来た。死物狂いで。だがどうやらそれもここまでのよう。ならばせめて、はからずも奪ってしまった物を返して、何かもかも手放して楽になりたかったのかもしれない。
狍鴞は臭いを嗅いでさらに目をひんむき、彼女の小さな手から揺れる小袋をじっとみつめた。なんぞ迷っているようにもみえる。たがシュルンと舌をひっこめると、ノシン、と一、二歩踏みだした。
ぬぅううっ、と大木の幹のように太い腕がのびてくる。おなじく太い指が、意外なほど繊細にうごき、しずかにその袋をつかんだ。
とたん、目の前が真っ暗になった。
「着いた!」
着地ももどかしく、ふたりは蝙蝠の背からとび降りる。
「琴箭ッ! どこだッ、琴箭ッッ!」
大声で呼ばわるが、ついに返事はかえらなかった。
琴箭も、そして狍鴞も。姿はおろか臭いまでもが、プッツリと途絶えてしまっていた。
ご拝読、まことにありがとうございました。
ずっと書けずにいましたが、なんとか、なんとか、ヘタレなりにやり切りました。
ですので、ここからは最終部まで毎日更新いたします。
お付き合いくださいますれば幸いです。




