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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
山海魔経
244/403

琴箭、仙人に招かれること


 ぺちぺちと頬を叩かれ、琴箭は眠りの淵よりひき戻された。なんだか前にもこんなことがあった気がする。

 よぶ声に応えるように瞼をひらくと、そこには心底安堵といった風な、なじみの薄い女の顔があった。


「······梅春さん?」

「琴箭樣······よかった···!」


 視界がひろがると同時、梅春のほかにもかなりの人がいることがわかった。たぶん栄万の従者たちだろう。

 身を起こすが、体にとくに痛みは感じなかった。藁をしきつめ布をかけた上に自分は寝かされている。


「ここは···? 私はどうやってここまで······???」


 問われた梅春は一瞬キョトンと彼女をみつめてから、周囲の人間と顔を見合わせあう。


「憶えていないんですか? 北山門の外に倒れていた貴女を牧童がみつけて、ここまで運んでくれたんです。おそらく私たちの仲間だろうって」


 記憶に喝をいれてみる。いったい私はどうしていた。気を失ったらしいが、それ以前までの私は······。

 だんだん頭に血がめぐりはじめると、ぼんやりと何か怪物の顔の絵が浮きあがってき、はっきりとした像をむすぶ。


 ──そうだ! 私、狍鴞(ほうきょう)と対峙して······!


 では、あの化物と面と面をつきあわせている最中、気絶したというのか。たしか指を返したまでは思い起こせるが、それから?


「──あの化物と遭ったんですか!? それでよくご無事で······あ、これを」


 椀に一杯の清水を汲んでくれていたところは、さすが梅春は気が利いた。異界のものを口にするのはそれなりに覚悟もいるが、自分も、おそらく梅春もとっくに口をつけてしまっている。今さらに気になどしない。

 琴箭はうけとった器からひと口含んだ。ひんやりとした水が、喉をなめらかに心地よくすべり落ちてゆく。


「うん。でも私がヤツと遭ったのは、中山域に入るか入らないかのところだったの。でもここは北山域······なのよね」


確かめるように問う。梅春がこくんと頷きをかえすのをみて、琴箭はふたたび考えこむ。


 ······アイツは霧に溶けてあちこち移動できる力があるみたいだった。気を失ったあと、たまたまそれに引っかかったということだろうか······。


「······それとも欠片を返した礼として送ってくれた?」

「······いえ、そんな。まさか」

「······よね」


 真実はわからぬ。が、とにかくも、そうとしか説明がつかぬ。琴箭をこの北山まで連れてき(てくれ)たのはどうも狍鴞ということらしい。


「······でも、ちゃんとたどり着けたのね」

「······はい」


 たがい、あの苦難のなかを、とはいわない。いわなくとも通じると確信できたし、具体的なことなどはもう思い出したくもない。



「じゃ、悪いけれど先達者としてご教示ねがえるかしら、ここのこと」



 梅春ははなした。ここが、張道陵のすまう神域であること。自分たちをふくめた到達者たちは、入門の許可をまっているということ。そして張老師の周囲には、謝伸という従者がつき従っているということ······。

「なるほど、ね。じゃあここにいる人たちはみんな老師言うところの、永久不滅の術をまなぶ資格を得た人ってことね。

 ······ねぇ。ここで黒衣長髪の美青年風の男をみなかったかしら? ちらっとでもいいわ、それらしいのいなかった?」


梅春は唐突な問いに目を丸くしてから、しばし考えてかぶりをふった。


「いいえ。そんな人がいれば目立ちますし、だから見ていないと思います」


 そう、あの妖しげな魔窟のなかにもそんな男はいなかった。

「······そっか」


 彼女の答えはなかば覚悟していたもので、琴箭はがっかりもしたが、そう上手くは回らないかと切り替えも早い。たといあの仙人がおらずとも、ようは我が良人(おっと)がいないことが判れば、それだけで自分がここまできた用はたりるのだ。


「そう。いよいよ仙人か。なれるといいわね」


 窓辺からながれこむ清澄な光に照らされた梅春の横顔を美しいと思いながら、琴箭は口にした。しかし本当にそう思って口にした言葉は、逆に梅春の顔色に青白味をまし、口元にはなぜか諦めの笑みを浮かばせた。


「どうでしょう。旦那様はそれが幸せだと思っているし、ついてきた皆も。でも、私は······」

「え? え? どういう──つまり貴女自身は仙人になることを欲していないというの?」


 驚いた。ここまでの命懸けの難道を踏破しておきながら、彼女もその望みにてっきり取り憑かれていると思っていた。

 梅春はためらいがちに小さくあごをひく。

「······婚儀を約した人がいたんです。でも、それが阻まれて、それでヤケバチになってました。ずっと。旦那が共にと望むのであれば、それでもいい、と。けど······」

 変わってしまった。ここに来て、あの人と再会して、自分のなかから抜け落ちていた芯が、ふたたびすっぽりはまった気がした。


「ならば聞いて」


 思いのほかの勢いで、琴箭がしっかと肩をつかんできた。

「そう思うのなら、絶対に奴らについていっては駄目。そもそも仙人になれるなんて口上自体、正否の判らないものなんだからね?」


 間近でみる真剣な瞳。本気で自分を心配してくれているのだ、この女性(ひと)は。梅春は今度こそ、こくん、と明暗つけてうなずいてみせた。


「ところで、あの······琴箭様。琴箭様の捜しておられる旦那様は、たしか文人でいらしたと······」

「······へ? 急になに? え、ええ。まあそれが家業だったしね」

「あの······私、これはお知らせしたほうが善いのか悩んだのですけど······」


「お邪魔いたしまする」


 差し込んできた戸口よりの声に、梅春はギョッと身をすくめた。そこに立っていたのは、いまや張老師の忠実なる従者筆頭たる、謝伸である。すっと自分の後ろに隠れたものの、梅春の、彼をみるその異様なまでの真剣な眼差しに、琴箭は持ち前の聡さで、おや、と感じとった。


 それには委細かまうことなく、謝伸は淡々と来訪の目的をつげる。


「蔡琴箭様。御身体がよいようでしたら、明日、蓮伽宮までおこし願いたい。張道陵老師がお待ちです」


それだけ言ってくるりと背を向けた謝伸の足がピタリと止まる。

「ああ、それと」ついでのこととばかりつけ足した。

「柳栄万、ならびに妻・梅春も希望するならば許す、とのことです」



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