単福、萊萊をうたがうこと②
その獣は面前を奔る獲物を追うことに夢中になっていた。青く逞しく、筋肉を隆々とさせたくせに豪脚をみせる。もはやお決まりとなった赤児のなくに似た哭き声をヨダレをしたたらせる口から轟かせ、獲物に逃げても無駄だという無慈悲な通告をよこす。
だがその間も、前をいく農夫の足はいささかも衰えない。遮二無二にかけ、どうにか里のなかへとたどり着く。
その妖獣・犀渠は内心、馬鹿な奴め、と獲物の浅はかさを嘲笑った。
わざわざ自分の仲間の居場所を教えてくれるとは。それを代わりに見逃してくれとでもいうつもりだろうか。こっちとしては餌が増えただけだ。
急に農夫が横道におれる。その背中が建物の陰にかくれた。犀渠は自身の速力であやうく家壁へ突っ込みそうになったがなんとか踏んばって耐え、少しだけ間を開くことに成功した獲物をふたたび捉えた。
逃げろ逃げろ、すぐに追いついて喰ってやる。そうおもいバッと爪を蹴立てて地を蹴る瞬間、
「おらよッッ!」
突然壁陰からあらわれた男が何かを投げつける。丈夫な縄の両端に適当な石を結えつけたもので、それは地をすれるように翔んだかと思うと、浮いた化物の四肢にからみつき、顎から地面に崩れ落とす。
「!」
いきなり自由を奪われもがいている犀渠は、あゆみよった単福の剣によってしずかに止めを刺され息絶えた。
また、別の方角から攻め入った人面虎・馬腹は、巧く罠の掘られた場所に誘い込まれ、深い落とし穴に落ちた。なんとか穴からでようと伸び上がり、顔と前脚を穴の縁から出したところで、猟師によって放たれた矢を眉間にうけ、やはり落命した。
「······ふぅっ。どうにかこうにか」
琴箭は緊張から解き放たれ、額にかいた嫌な汗をぬぐった。危なかったが、それでも鉄扇をつかわずに切り抜けられたのは運が良かった。
里人らがあちこちから駆け寄ってきて、口々に礼をいってくれる。
「いえいえ、こっちこそ助かりました。まさかこんな防備がされていようとは思いませんでしたもの」
驚いたことに、その里にはあらかじめ防備がなされていたのだった。里人の反応も機敏で、さきに萊萊の姿をみとめた直後、ただちにその情報が里内を伝達されたらしい。それゆえに見事な連携がとれたのだ。
「まったくだ。聞いてもいいかい? いったいいつ、どうしてこんな備えをしてたんだ」
単福が頬についた妖獣の血を拭いながら問うた。
「なに。ここいらでは昔から時々あったのですよ、こういったことが」
「昔から?」
「ええ。といってもひとりが一回遭うかどうかのものでしたが」
「なのにここ最近、急に回数が増えてな。警戒はしていたんだ」
見事に馬腹を仕留めた猟師がかわっていう。
「ありがたいことじゃ。これも、張老師のお告げがあったればこそです」
里長は口中でなにかをぶつぶつ呟きながら、太陽にむかって拝んでみせる。
──張道師か。
琴箭は、つい数刻前にあったばかりの張道陵の姿を思い浮かべた。
五斗米道──天師道の創始者にして、仙人。祭祀を止めよと忠告にきてくれた人、か。これはいよいよ、自分の責任を認めないわけにはいかないらしい。
「······御免なさい。私のせいです」
里人らは、それはどういう意味だ、と顔を見合わせる。
「──いや。姐さんが悪いのじゃないぜ」
単福はうつむき力なく歯を噛みしめた琴箭の肩に手をおいて言った。
「祭祀をやろうって言ったのは皆だ。それより······誰よりも説明しなきゃならねえ奴がほかにいる」
単福のするどく冷たい眼は、琴箭の足下に立っていた萊萊にむけられた。
「やい萊萊。なにか言うことがあるんじゃないのか?」
明日も更新予定です。
なんとなく目立たなくなってた単福、久々の活躍となったでしょうか。




