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【20】









 かぶったつばの広い帽子が飛ばされそうになり、ヒルトラウトはあわてて手で押さえた。風が凪ぐのを待ち、帽子から手を放す。


「出歩くには少し風が強かったか」

「ああ、いえ……でも、ボートには乗れなさそうですね」


 ヒルトラウトの言葉に、隣を歩くギルベルトが首をかしげた。

「乗りたかったのか?」

「……そう言うわけでもないんですが」

 たまに家族連れやカップルが乗っているのを見かける。某公爵家の庭の池に落ちたこともあるヒルトラウトだが、泳ぐことはできない、ちなみに。

「南の方には街が水の中にある国があるらしい。普通の道もあるが、船の方が移動しやすくて、一家に一艘ゴンドラがあると言う話だ」

「あ、聞いたことがあります。どこでしたっけ」

 ガラス細工が有名なところですよね、とヒルトラウト。ギルベルトが「知っているのか」と微笑む。

「チマローザ連合首長国だな。街の名前はリヴァルタ」

「そうでした」

 ぽん、と手をたたいてヒルトラウトがうなずいた。何かの本で読んだ記憶はあるのだ。友人以上恋人未満の二人にしては色気のない会話であるが、二人が二人なので、こんなものだろう。

「ギルベルト様は行ったことがあるんですか?」

「あいにくと、無いな。私は基本的に、アイスナー領から出ないから」

「……そうですね」

 辺境伯は、本当に辺境を守っているのである。戦時には、最前線になることだってある。おいそれと留守に出来ない。引きこもり辺境伯の実態はその辺にも理由があるのだろう。今だって、長らく帝都にいるべきではないのかもしれない。


「……今も、領地を空けていて大丈夫なんですか」

「君は私に帰ってほしいのか」


 直球で聞かれて、ヒルトラウトは一瞬口をつぐんだ。それからギルベルトのコートの袖をつかんだ。


「いやです……」

「……すまない。意地悪なことを聞いたな」


 ギルベルトがヒルトラウトの手を取った。そのまま、二人は手をつないで歩き出した。

「こちらこそ、すみません。私も、困らせることを言ってしまいました」

 ヒルトラウトが殊勝に言うと、ギルベルトが「そうだな」と笑うのでさしものヒルトラウトも心なしか落ち込んだ。

「このまま領地に帰れば、お前は好きな女性一人口説き落とせないのか、と部下や使用人たちから非難の嵐だな」

「……」

 ヒルトラウトは何と答えていいかわからず、うつむいた。幸い、ギルベルトとの身長差ではヒルトラウトの顔は帽子のつばに隠れて見えないだろう。


 しばらくそのまま時間が流れ。


「……ギルベルト様は、私のことが好きですか」


 自分でも何を聞いているんだ、と言うことを口にしていた。ヒルトラウトは、言ってしまった、と思ったが、言ってしまった言葉は飲み込めない。


「ああ、好きだな」


 ギルベルトからはっきり、明瞭な答えが返ってきて、ヒルトラウトは顔をあげた。彼は「やっとこちらを見たな」と目を細めて微笑んだ。

「君は?」

「私は……」

 立ち止ってギルベルトを見上げたヒルトラウトは、その言葉の続きを口にしようとしたが、その時、再び風が吹いた。夏の生暖かい風が、ヒルトラウトのスカートと髪、ギルベルトのコートの裾を攫い、そして、白い帽子が宙を舞った。


「あっ」


 ヒルトラウトが手を伸ばすが、届かなかった。代わりにギルベルトが手を伸ばして彼女の帽子を確保する。


「ありがとうございます……」


 腕の長さの問題で自分の帽子をつかめなかったヒルトラウトは、憮然としながら礼を言った。ギルベルトはそんなヒルトラウトに帽子をかぶせるとその頬をつついた。

「そんな顔をしても可愛いだけだ」

「ギルベルト様、そう言うのどこで聞いてくるんですか」

 先ほどまでの桃色の空気はどこへやら、すっかりいつも通りのヒルトラウトに、やっぱりぶれないギルベルトである。

「むしろ、君が私をなんだと思っているんだ。事実を言って何が悪い」

 ヒルトラウトも開き直っているが、ギルベルトも開き直っていた。

「……前にも言ったと思いますけど、そんなこと言うのギルベルト様だけです」

「君の兄君も言うだろう」

「あれは身内の欲目と言うやつです」

 それを言うのなら、ヒルトラウトだってルートヴィヒは結構いいのではないか、と思う。内心だけで、言わないけど。


 ヒルトラウトがいわゆる『可愛らしい』顔をするのは、ギルベルトや限られた相手に対してだけだ。ヒルトラウトも一応自覚はあるが、口には出さなかった。負けたような気がするからだ。


 屋敷までヒルトラウトを送って行ったギルベルトは、彼女の頬に一つ口づけ、それから次の約束を取り付けていった。

「ヒルト、狩猟に誘われているんだが、一緒に来ないか?」

「えっと……私一人では」

 決められない。まがいなりにも彼女は貴族の令嬢であり、その身はヴァイデンライヒ侯爵に帰属するからだ。

「それもそうだな。だが、返事は待っている」

「え、ええ……はい」

 ヒルトラウトはギルベルトを見送ると、そう言えばどこの家の狩りに誘われているのか聞くのを忘れたことに気が付いた。まあ、両親か兄に聞けば分かるような気もする。

「お嬢様。お客様がお待ちです」

「はい?」

 屋敷に入った瞬間にメイドに言われて、ヒルトラウトは小首をかしげた。ひとまず、客間に向かう。


「どこ行ってたのよ、こんな時に!」

「わっ」


 いきなり胸倉をつかまれて、さしものヒルトラウトも驚いた。ぶつかるように駆け寄ってきたのは、コルネリアだった。彼女がお客様らしい。


「ちなみにギーゼラもいるわよ!」


 コルネリアに言われて。ヒルトラウトもちまっと座っているギーゼラに気づいた。新婚のマルガレーテはさすがにいなかった。

「どうしたの? 珍しいわね」

 この二人がやってくることではなく、コルネリアが興奮していることである。ひとまず、コルネリアがヒルトラウトを解放してくれたので彼女はコルネリアと向かい合って座る。

「待ってたの?」

「待ってたの!」

 コルネリアがテーブルをバンバン叩く。かなり興奮している。

「ひとまず落ち着きなよ。お茶飲む?」

 ヒルトラウトは空になっているコルネリアのカップにお茶を入れた。ギーゼラにもお茶を継ぎ足す。


「あのね」

「うん」


 お茶を飲んで少し落ち着いたコルネリアが話す体勢に入ったので、ヒルトラウトが相槌を打つ。


「狩猟に誘われたの」

「うん?」


 どこかで聞いたような話である。どこかでと言うか、今さっきヒルトラウトも誘われたところだ。

「一緒に来てくれない?」

「……いや、私もさっき誘われたけど……」

「じゃあ行くのね!?」

「返事はしてないわ」

「行くって言いなさいよ!」

 コルネリアがぴしゃっとツッコミを入れたが、ヒルトラウトは受け流してお茶を一口飲む。

「脈絡がなさすぎるし、そもそも、コルネリアは誰に誘われたの?」

「……」

 コルネリアがらしくもなく口を閉ざす。ヒルトラウトはせかさずに待つ。ギーゼラはコルネリアに連れてこられたのか、ルートヴィヒに会いに来たのかは不明だ。いや、ルートヴィヒは仕事中だから、コルネリアに連れてこられたのか。


「皇帝陛下……」

「……は?」


 ボーっとしていたので、聞き間違えたかと思った。


「ごめん。もう一回言って」

「だから! ヴォルフラム皇帝陛下に誘われたの!」


 逆ギレされた。しかし、ヒルトラウトが聞き間違いかと思った気持ちも察してほしい。

「あんたはアイスナー辺境伯から誘われたんでしょ。今日もデートしてたって話だものね!」

「まあそうだけど、誰から聞いたの?」

「エデルガルト様」

 まさかの母だった。それはまあいいだろう。

「行くの?」

「断れないでしょ! 一緒に来てよ。あんた、陛下と仲いいでしょ」

「それならギーゼラを誘いなさいよ。お兄様の方が仲良しよ」

 ヒルトラウトは冷静に言うとコルネリアは「もう言ったわ」とさらりと言った。

「は、早いわね」

「外堀から埋めるのは常識よね。貴方も行きやすいでしょ」

「まあそうだけど……ねえ。この狩りってどこの主催なの?」

 ヒルトラウトの問いに、聞いてないの? とコルネリアは首をかしげた。


「皇家よ」

「……そうなの」


 これはヒルトラウトも断れないな、と思った。ギルベルトが何も言わなかったのは、むしろ、ヒルトラウトに退路を残すためだったのかもしれない。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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