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【18】










 ヒルトラウトはアイスナー辺境伯家の王都の屋敷に来ていた。一応、侍女を一人連れているが、あまりほめられた行為ではないのはわかっている。だが、ひいてはならないこともあるのだ……たぶん。


「こんにちは。私、ヒルトラウト・ヴァイデンライヒと言うのだけど、アイスナー辺境伯はご在宅?」


 もちろん、先ぶれを出しているのでご在宅であることは知っている。しかし、一応の口上だ。決まり文句と言ってもいい。

「ああ、ヒルトラウト様。お待ちしておりました」

 にこやかに門番に言われ、どうぞ、と中に通された。しかも、すぐそこまで執事らしき男性が迎えに来ていた。

「いらっしゃいませ、ヒルトラウト様。わたくしはアイスナー辺境伯邸のベルゲンと申します。心より歓迎いたします」

「は、はあ……」

 まったく下心がなさそうに、歓迎されたヒルトラウトは面食らった。思わず連れの侍女と目を見合わせてしまったほどだ。

「と、とりあえず、行きましょうお嬢様」

「そうね……」

 人間、目の前に自分よりうろたえている人物がいると、自分は落ち着いてくるもので、ヒルトラウトはその典型的な人間だった。少し落ち着きを取り戻すと、ベルゲンについて屋敷の中に入る。エントランスに入ったところで、黒髪の男性が出迎えてくれた。

「本当に来たのか」

「私は嘘は言いません」

「冗談は言うだろう。真顔で」

「ギルベルト様に言われたくはありません」

 言葉の応酬の末に少しむくれたヒルトラウトである。どうにも、ギルベルトの前だと自分の感情をコントロールできなくて、どうしようもなくなる。子供っぽい態度を取ってしまう自覚はあった。

「……失礼しました。お邪魔いたします、アイスナー辺境伯」

「こちらこそ失礼した。歓迎する、フロイライン・ヒルトラウト。……本当は、未婚の貴族の子女が一人で訪うところではない、としかるべきなのだろうが」

 そう言いながら、ギルベルトはヒルトラウトの手を取りその指に口づける。彼女はじんわりと頬が熱くなるのを感じた。何となく、周囲の視線が微笑ましいものを見るような感じがする。


「何か用があると言うことだが、その前にお茶でもどうだ? ……と言うのもまずいのか?」


 面倒くさいな、とばかりに眉をひそめるギルベルトに、ヒルトラウトはやっぱりちょっとずれた人だな、と思いながら首を左右に振る。


「いえ。それくらいなら」


 本当はよくないのかもしれないが、少しうれしい気もする。当初の目的を忘れそうで気を引き締め直さねばならなかった。

 この時期には多いのだが、庭の東屋に案内された。天気がいいので、外に通されることが多いのだ。給仕の女性もニコニコとヒルトラウトにお茶とトルテを提供してくれた。


「……私の気のせいでなければ、すごく歓迎されている気がするんですけど……」


 カップを手にヒルトラウトが居心地悪げに言うと、ギルベルトもどこか気まずげに言った。

「いや……君が訪ねてくると聞いた時からこんな感じで」

「というか、昨日の今日で急にきてすみません」

 一応先触れの手紙は出したが、それは昨日の話だ。昨日の今日で、急に来たのは事実だ。

「ああ、それは大丈夫だ。今日はとくに予定もなかった……というか、君を口説こうと思っていなければもう領地に帰っていただろうな」

「……えっと、そうですか」

 反応に困ってヒルトラウトは平坦な返答しかできなかった。テレを隠すようにヒルトラウトはかぐわしい香りを放つコーヒーに口をつけた。その様子を、彼女の目の前にいるギルベルトも、遠巻きに見守っているアイスナー辺境伯邸の使用人たちも微笑ましげにヒルトラウトを眺めていた。

「そう言えば、用があったのではないか」

「……ここで言いますか」

 すねたように言うと、ギルベルトがヒルトラウトの頬に触れた。彼が優しい声音で言う。

「怒ったか?」

「……怒ってはいませんけど」

 ただ、タイミング的に少し気恥ずかしくなっただけだ。これから頼むことが。


 しかし、せっかく来たのに、言わずに帰るわけにはいかない。ヒルトラウトは一度深呼吸すると口を開いた。

「あの、今度、私の友人の……フィーリッツ侯爵家のマルガレーテの結婚式があるんですけど」

「あの金髪の、気の強そうな娘か? 言葉のきつい」

「えっと、まあ、そうですね」

 ギルベルトが述べた条件の令嬢は何人かいる気がするが、たぶん、ギルベルトが思い描いている人物であっている。

「値踏みするように見られた覚えがある。フェルザー公爵子息の婚約者じゃなかったか?」

「ご存じなんですね……」

 では、話が早い。


「私、結婚式に招待されていて。メグ……マルガレーテから、ギルベルト様もご一緒にって言われているのですけど……」


 ヒルトラウトは上目づかいにギルベルトを見やった。あざとい自覚はあるが、正視できなかったのである。こわごわと自分を見やるヒルトラウトを見て、ギルベルトが微笑んだ。

「それを言いに来たのか」

「主役がそう言いますし、わ、私も一緒に行けたらなって……」

 突然ギルベルトが立ち上がり、ヒルトラウトの頬に手を当てた。上向かされたヒルトラウトは、思いのほか近くにあるギルベルトの顔に目をしばたたかせた。どこかきょとんとしたヒルトラウトを見て、ギルベルトがため息をついて離れた。

「駄目だな。これ以上すると、ルートヴィヒに殴られそうだ」

「そんなことはないと思いますけど……」

 ヒルトラウトは小首をかしげる。確かに、ルートヴィヒはヒルトラウトの元婚約者、エルネスティーネの現夫を殴ったことはあるが、それは相応の理由があった。


「それで、あの」


 返事をもらっていないことを思いだし、ヒルトラウトは促す。ギルベルトは「そうだったな」とうなずくと言った。

「せっかくのヒルトからの誘いだからな。お邪魔させてもらおうか」

「そうですか」

 ヒルトラウトはほっとしたような、緊張するような、複雑な思いだ。ただ、突き詰めて行けば、ギルベルトと一緒にいられるのはうれしい、と思う。

「ありがとうございます。……すみません。変なことを頼んでしまって」

「いや。私も少し見学してみたいからな」

 そう言われて、ヒルトラウトはギルベルトに結婚歴があることを思いだした。


「ギルベルト様は、結婚式、なさらなかったのですか?」


 そんなことをヒルトラウトに聞かれて、ギルベルトは驚いたようだ。思えば、ヒルトラウトが彼に亡くなった奥方のことを聞くのは初めてだ。

「そうだな……亡妻とは政略結婚で、そのまま彼女が領地にやってきたのでな。結局なし崩し的にしなかったな……」

「そうなのですね……」

 たぶん、奥さんはしてみたかったのではないだろうか。変わっていることを自覚するヒルトラウトですら、結婚式と言うものにはちょっとあこがれがある。だから、マルガレーテの結婚式も楽しみだ。彼女は美人だから、文句なしの美しい花嫁姿を見せてくれるだろう。確かにギルベルトの言うとおり、気が強そうではあるけれど。


 しかし、今はギルベルトの亡くなった奥さんのことも気になる。それに気づくに当たり、もう引き返すには手遅れなところに来ているのだな、とヒルトラウトは今更ながら自覚した。

 あまり長居するわけにもいかず、ヒルトラウトはアイスナー辺境伯邸を辞することにした。この屋敷の使用人たちに「また来て下さいね」と惜しまれて、又連れてきた侍女と顔を見合わせてしまった。もっとも、この時になると侍女はにやにやしていたが。

「会えてうれしかった。また来てくれ、とは言えないが」

「私もです。ありがとうございます」

 わざわざギルベルトが同乗してヴァイデンライヒ侯爵家まで送ってくれたのだ。屋敷の前についたとき、侍女が先に降りてからギルベルトはヒルトラウトの頬に唇を寄せた。きょとんとしているうちにギルベルトが離れて行き、ヒルトラウトに向かって手を差し出した。

「ほら、ヒルト」

「あ、ありがとうございます……」

 ヒルトラウトはギルベルトの手を借りて馬車から降りた。アイスナー辺境伯邸に戻るべく、ギルベルトは馬車内に戻る。


「では、当日を楽しみにしている」

「はい……」


 ふっと微笑んだギルベルトを見送り、ヒルトラウトは唐突にはっとした。もしかして、頬にキスされた?

 遅れてかあっと頬を赤くするヒルトラウトに、侍女は不審げに「お嬢様?」と呼びかけるのだった。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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