【13】
エントランスまで母を迎えに出た姉妹に、母エデルガルトは微笑んだ。
「まあ、エリー、いらっしゃい」
「お邪魔していますわ、お母様」
エルネスティーネがちょこんと膝を折る。何があっても、母にとって娘は娘なのだ。
「お帰りなさい、お母様」
「ええ。ただいま、ヒルト。そうそう。あなたには預かり物があるの」
はい、と母から手渡されたのはピンク色の薔薇の花束だった。数えてみると、九本ある。見事な薔薇だが。
「……何これ。プレゼント?」
「ふふっ。そうよ。ミニコンサートにアイスナー辺境伯がいらっしゃってね、帰りにあなたに渡してくれって頼まれたの」
「わあ!」
嬉しそうに顔を輝かせたのはエルネスティーネだ。当の本人はぽかんとしている。
「なんで?」
「なんでって、お姉様! ご存じないの? ピンクの薔薇の花言葉は『可愛い人』とか、『美しい少女』とかいろいろあるけど、『愛の誓い』ってのもあるのよ! それに、九本の薔薇の花束は『いつもあなたを思っています』って意味!」
「く、詳しいわね」
ヒルトラウトが引き気味に言った。エルネスティーネ曰く、知らないヒルトラウトの方がおかしいらしい。
ヒルトラウトは両手で持った九本の薔薇の花束を見下ろした。急激に頬が熱くなってきた。自分が赤面していることを自覚したヒルトラウトは、花束に顔を隠すようにうずめた。
「……お姉様、その顔で『愛しているかわからない』ってのはないと思うわ……」
妹から見れば、姉はどう見ても恋する少女だった。姉自身が言うように、かつての婚約者、今のエルネスティーネの夫が相手では、彼女はこんな顔はしなかった。エルネスティーネには、その理由が少し、わかる気がする。純粋に恋をするには、ヒルトラウトはしっかり者過ぎたのだろう。年はカミルの方が上だが、彼は少し子供っぽいところがある。完璧な淑女とも言われたヒルトラウトには恋愛対象にならなかったのだと思う。
しかし、選帝侯アイスナー辺境伯はれっきとした大人だ。結婚歴があるが、それは、よく言えば人生経験がある、と言うことでもある。
なんにせよ、妹と母はこの姉を赤面させることができたギルベルトは偉大だと思うのだ。姉の幸せを奪ってしまったと思うエルネスティーネにとっては、ただの自己満足で、自分のせいで姉が不幸にならずに良かった、と思いたいだけなのかもしれない。そうであっても、姉の幸せを願う気持ちは本物だ。
ヒルトラウトが受け取ったピンクの薔薇は、彼女の部屋に飾られた。先にもらったアガパンサスの花束は、すでに元気をなくしてしまったので花壇に埋めてしまった。
ヒルトラウトは薔薇を飾った机の上に両手を置き、その上に頬を乗せて下から薔薇を見上げた。妹が言っていたこの九本のピンクの薔薇の花言葉のように、あの方が私のことを好きだといいのに。
そう思う自分に気付いて、ヒルトラウトはがん、と机に額を打ち付けた。お嬢様の奇行になれている侍女たちですら、これにはびくっとしたが、かすかに見える白い耳が赤みを帯びているのを見て、なんだ、とばかりに仕事に戻った。少々奇行はあるものの、しっかり者のお嬢様についに春がやってきたらしい、と皆結構好意的なのである。
その微笑ましく見守られている奇行の目立つお嬢様は、思考がななめであった。年ごろの少女らしく夢見る面もあるが、基本的に現実の見えているヒルトラウトは、世の中が自分の思うとおりに動かないことを知っている。夢を見るにはしっかり者過ぎた。
実際、カミルは婚約者であったヒルトラウトではなくその妹エルネスティーネを選んだ。恨んではいないが、裏切られたとは思った。親同士の決めた結婚はそのままうまく結ばれると思って察せなかったヒルトラウトも悪いが、この経験はヒルトラウトに挫折を覚えさせ、同じような状況に置いて彼女を悲観的にさせるには十分だった。
期待しない方が傷つかずにすむ。だが、思いを胸の中にしまいこむことは、いかなヒルトラウトにも難しかった。
「いっそ、当たって砕けてみようかしら……」
お兄様もプロポーズしてたし。最も、ルートヴィヒの場合は断れる可能性の方が低かったのだが。
「はあ……」
ため息をついた後、ヒルトラウトは身を起こし、ひとまずギルベルトへお礼の手紙を書くことにした。二度も花束をもらったので、そうするのが筋だろうと思った。
父と兄も帰ってきて、それなりに楽しい夕食となった。兄ルートヴィヒは、カミルとエルネスティーネのことで最も怒った人物であるが、さすがにかわいがった下の妹に対し、いつまでも怒っていることができないらしい。自分が幸せなのもあるだろう。
結局私だけかぁ、とヒルトラウト。ルートヴィヒのプロポーズは予定調和であるし、ヴォルフラム皇帝がけしかけたようなものではある。だが、互いを思っているからこそ成功したたくらみでもある。
ヒルトラウトはカテリーナを抱っこしてあやしながら、末の妹にからかわれる兄を見て眼を細めた。
「ふふふ。いいわよねぇ。本来はこうあるべきなのよね……」
「お前、自分が悪いことをしていると言う自覚はあるんだな……」
「お兄様、あたしのことをなんだと思ってるの?」
確かに、頭は良くないけど! とかつて家庭教師を嘆かせたエルネスティーネはむくれた。
「お前、そう言うところは母親になっても子供っぽいよな。というか、ヒルトは大人び過ぎ!」
「ええっ!?」
飛び火してきて、ヒルトラウトは驚きの声をあげた。伯母に抱かれていたカテリーナはその声に驚いて泣きだした。ヒルトラウトは「ああ、ごめんねぇ」と小さな姪をあやす。さすがにヒルトラウトでは手に負えず、乳母に任せることにした。
「エリーはもう少し考えて行動すべきだけど、ヒルトは考え過ぎだ」
「……そうかしら」
エルネスティーネの考えが浅いのは同意だけど。
「じゃあ、お兄様はもっと腹を据えるべきね」
「男気はあると思うわよ」
エルネスティーネの切り返しに、ヒルトラウトは擁護するように言った。
両親はそんな兄妹を微笑ましく眺めていた。
翌日、エルネスティーネをカミルが迎えに来た。気まずいからと言って、いつまでも避けることはできない。
そんな彼を出迎えたのは兄ルートヴィヒだった。出勤前である。両親は常にない息子の気迫に押されて後ろに下がっていた。カミルの妻エルネスティーネと元婚約者ヒルトラウトは兄の斜め後ろにいた。下手をすれば泥沼の修羅場だが、ルートヴィヒが一年経ってもまだ怒っているので、カミルは怯えていた。ヒルトラウトはルートヴィヒをもやしと評したが、カミルはさらにひょろりとしている。
「お前、よく顔を出せたものだな」
ルートヴィヒが発した低い声に、ノイエンドルフ侯爵家の若夫婦が怯えた。逆にヒルトラウトは噴出して兄の肩をたたいた。
「お兄様、怖いって。優男なのにね」
「うるさい! むしろ、なんでお前は落ち着いてるんだよ!? こいつぶん殴ってやるとか思わないのか?」
「殴っていいなら、蹴るけど」
「どこを!?」
ルートヴィヒとカミルがヒルトラウトの言葉に引いた。実は少し怒っていたし、気にしていたヒルトラウトだが、実際にカミルを目の前にしたら、「あ、それほど気にしていたわけではないのだな」と再確認した。
「ヒルトお嬢様」
話しをしているところに声をかけられたヒルトラウトは、その使用人にいぶかしげな視線を向けた。主人一家が話しをしているところに、声をかけるなど、ありえない。
「お嬢様、お手紙が届いております」
ニコリとこれ見よがしに手紙を差し出されて、ヒルトラウトは自分に手紙を出すような人がいただろうか、と差出人を見て思わず彼女の頬は緩んだ。本人の性格を表したような几帳面な筆致で、『ギルベルト・マルクス・アイスナー』の名が書かれていた。昨日出した手紙の返事が来たらしい。早い。
「あ~、まあ、お前がいいならもういいか」
ルートヴィヒは微笑んでヒルトラウトの頭を撫でた。続いてエルネスティーネの頭も撫でる。
「お前も、ちゃんと母親やれよ」
「わかってるわ」
エルネスティーネが笑って答えると、彼女はカミルと共にヴァイデンライヒ侯爵邸を後にした。妹夫婦を見送ったあと、ルートヴィヒがもう一度ヒルトラウトの頭を撫でた。
「良かったな。ちょっと安心した」
「何が?」
首をかしげると、ルートヴィヒはヒルトラウトの頭を軽くたたいた。
「その手紙読んだ後に、鏡の前で自分の顔見て見ろ」
わかるから、と若干謎なことを言われた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本当にお兄様書きやすい。




