【12】
ヒルトラウトは、社交などの用がなければ基本的に外出しない。今はだいぶ落ち着いているが、一年前の醜聞、ゴシップがあるからだ。この日、その元凶の一人がヴァイデンライヒ侯爵家にやってきた。もちろん、来るとは聞いていたが。
「いらっしゃい。エルネスティーネ」
ひとつ年下の妹エルネスティーネは、出迎えた姉ヒルトラウトを見てびくりとした。
「え、ええ……お姉様が出迎えてくれるなんて、意外だわ」
エルネスティーネは妹でありながら、姉から婚約者を奪った。そんな姉ではないとわかっているが、恨まれていても不思議ではない。
「そうね。でも、今私以外に誰もいないのよ」
「へ!? あたし、今日行くって連絡したと思うんだけど……」
「ええ。私も聞いてるわよ。でも、不測の事態が発生して、お兄様とお父様は宮殿にいったわ。お母様は、お父様のかわりに某公爵夫妻のミニコンサートに行っているわ」
そう。不測の事態だったのだ。消去法でヒルトラウトが残されたのである。
まあ、いい機会だ。エルネスティーネと話をしてみるべきなのかもしれない。彼女の夫となった元婚約者カミルがいたらまた話は違っただろうが、さすがにヴァイデンライヒ侯爵家に足を踏み入れる度胸はなかったようだ。賢明である。ヒルトラウトより、ルートヴィヒの方が怒るだろう。
「とりあえず、中に入りましょ。お母様はそんなにかからずに戻ってくるはずだし、お父様たちも急いで帰ってくるって言ってたわ。それまでおしゃべりでもしてましょう」
「お姉様……」
エルネスティーネがほっとした表情を浮かべた。あまり表情に変化はないが、この姉にとってはいつものこと。もしかしたら怒って、はたかれるかもしれない、と思っていたエルネスティーネは、変わらず迎えてくれたヒルトラウトに、非常に身勝手ながら安心したのだ。
「うん。その、お姉様が嫌でなかったら、娘を抱いてあげてほしいわ」
「ええ。私の方からお願いしたいわね。エリーの娘なら、可愛いでしょうね」
エルネスティーネは本当に美少女なのだ。母となった娘に少女と言う表現は適切なのかわからないが。波打つ淡い茶色の髪に淡い青紫の瞳。大きな目は少し吊り上り気味で、気の強そうに見える美少女だ。実際、気も強いが。色白で顔も小さく、小柄で何より巨乳である。
エルネスティーネは今夜はヴァイデンライヒ侯爵家に泊まることになっていた。ノイエンドルフ侯爵家に嫁いだ以上、彼女はそちらにいるべきだが、一年前、急いでノイエンドルフ侯爵家に嫁いでいったエルネスティーネは、家族とまともに会話をしていない。ついでに、娘の顔見世もして来い、と言うことである。
紅茶とお茶うけを前に一年ぶりの再会となった姉妹は、まず、エルネスティーネの娘カテリーナの紹介から行うことにした。
「娘のカテリーナよ。カティ、と呼んでいるわ」
乳母から母親の手に渡された生後五か月のカテリーナは、そのまま伯母の手に抱かれることになった。ヒルトラウトは腕の中の小さな命に目を細める。
「可愛いわね」
ふにふにと頬をつつく。カテリーナは初めて会う人間に抱っこされても、すやすやと眠っていた。姉の唇が笑みの形を描くのを見て、エルネスティーネもこわばった表情を緩めた。
カテリーナを乳母に預け、姉妹は久々の近況報告である。
「カミルとはうまくやってる?」
姉の方が先に口火を切った。一年前のことがあるので、どうしても妹の方が遠慮気味なのである。
「うん、まあ……ノイエンドルフ侯爵家の人たちも、よくしてくれるわ」
ヒルトラウトがうまく治めてくれたからよかったものの、まさか、彼らも自分の息子が婚約者の妹と関係を持つとは思わなかっただろう。どちらが誘ったにしても、最終的には双方合意の上だったはずだ。複雑な思いもあるだろうに、ノイエンドルフ侯爵家の人々は、エルネスティーネに親切にしてくれるらしい。エルネスティーネやカミルだけではなく、彼らもヒルトラウトに対して負い目があるだろうに。
だからこそ、ヒルトラウトは幸せになるべきなのかもしれない。これで、もし、ヒルトラウトが年の離れた貴族の後妻に入ったり、修道院に身を寄せるようなことになったら、エルネスティーネを含む多くの人たちが生涯罪悪感にさいなまれることになるだろう。
「あの、お姉様。今更こんなことを言っても仕方がないし、お姉様は『気にするな』って言うと思うけど、その、本当に、ごめんなさい。お姉様をたくさん傷つけたわ」
吊り上り気味の眼尻が力なく下がるのを見て、ヒルトラウトは本当に今更だな、と思いながら、言わずにいられなかったエルネスティーネの気持ちも理解できた。ヒルトラウトは妹の白い頬をつまむとぐにっとひねった。
「まあ、これくらいで勘弁してあげるわ」
頬をつねられたエルネスティーネは唇を尖らせたが、すぐに笑顔になった。妹の笑顔に、ヒルトラウトもほっとした。お互いに気を遣うのは疲れる。
「そう言えば、お姉様、春先の選帝侯会議でクラウスヴェイク大公の侍女をしたんですって?」
昨年のことがあり、しばらく社交界には出ないことにしているエルネスティーネだが、さすがにそう言った情報は入ってくるらしい。急にぐいっときた妹だが、これでこそエルネスティーネである。
「ええ。なかなか楽しかったわよ。その縁でお兄様も先日求婚したしね」
「聞いたわ。ぜひ見たかったわ。あのヘタレなお兄様が!」
妹二人、ルートヴィヒをなめ過ぎである。だが、二人とも他の人が兄を悪く言うと怒るのである。
「その人がお義姉様になるのね。ええっと」
「ブランシュ子爵家のギーゼラね。年はあなたと同じかしら」
「ああ、あの口のきけない、アッシュブロンドの子ね」
やはり、口のきけないと言うところが印象に残っているらしい。ギーゼラが話せないのは、精神的なショックによるものだと思われる。なので、そのうち話せるようになるかもしれないけど。
「その子ね。かわいい子よ。やっぱり私たちの気が強いから、おとなしい子に惹かれるのかしらね……」
「う、否定できないわね」
そうして、姉妹はくすくすと笑った。妹は覗き込むように姉の淡い紫の瞳を見た。
「あたしとしては、お姉様のことも気になるわ」
「ああ、エルシェ様……クラウスヴェイク大公の侍女は楽しかったわよ。気持ちのいい人でね」
「そうじゃなくって。いえ、それも気になるけど、選帝侯会議が開かれたなら、普段いない人も集まってくるでしょ。戴冠式もあったし。その、あたしのせいだけど、いいご縁とかないのかなって」
「ああ……」
ヒルトラウトは納得してうなずいた。エルネスティーネはヒルトラウトの幸せを奪ってしまった、と気にしているのだろう。
「あなたが気にする必要はないわ。今になって思うと、私、カミルのことを愛していたわけではないの。愛し合っているエリーと一緒になった方が、双方にとって幸せだわ」
「ってことは、お姉様は今好きな人がいるの?」
エルネスティーネの問いにヒルトラウトは目をしばたたかせた。
「……どうしてそう思うの?」
「だって、本当に好きな人がいないと、今の言葉は出てこないわ」
我が妹ながら、鋭い。確かにそうだろう。ヒルトラウトは注意深く口を開いた。
「……確かに、好意を持っている人はいるけど」
「本当!?」
エルネスティーネが顔を輝かせた。こういう話が好きなところはまだ少女っぽい。母になっても変わらないのだなぁ。
「その人のこと、愛してる?」
「……どうかしら」
釈然としないヒルトラウトの応えに、エルネスティーネは不服そうに首をかしげた。
「お姉様の思い人は、選帝侯アイスナー辺境伯よね」
「……ねえ、あなたのその情報は一体どこから仕入れてくるのかしら」
「ノイエンドルフのお義母様がいろいろ話してくれるわ」
「……仲がよさそうでよかったわ」
どうやら、どこかで見られていたらしい。どこだろう。まさかガーデンパーティーではないと思うが。あの日のヒルトラウトは、とても人に見せられない表情をしていたと思う。いや、その状態でパーティーに出席していたのだから一緒か……。ヒルトラウトはため息をついた。
「え、お姉様、どうしたの?」
「いや、自分のうかつさを思い出しただけ」
「?」
エルネスティーネが首をかしげた時、母の帰宅を告げる声がかかった。
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