【11】
ギルベルト視点。
自分を見上げてきた淡い紫の瞳に、ギルベルトは彼女と離れがたく思っている自分に気が付いた。彼女の首がゆっくりと傾げられる。
「……お兄様とギーゼラに充てられました?」
注目をそらすためのヴォルフラム皇帝の策略ではあったが、幸せそうな二人だ。ヒルトラウトはルートヴィヒに対してきついところもあるが、慕っているようだし、ギーゼラとも良い友人のようだ。兄夫婦ともうまくやれるだろう。
「ああ……いや。そうかもしれないな」
ギルベルトの肯定とも否定とも取れる返答に、ヒルトラウトは素直に「どっちですか?」と尋ねてきた。素直と言うより、遠慮がないのだろうが。ギルベルトの目元が和む。
冷たいアイスブルーの瞳が少し和らいで見えた。ヒルトラウトの淡い紫の目も細められる。
「私、ギルベルト様のその表情、好きかもしれません」
憎からず思っている少女に『好き』と言われてギルベルトは年甲斐もなく動揺した。だが、それは表情に現れる前に落ち着いた。お返しのように言う。
「私も、君の笑った顔を可愛らしく思うな」
アルカイックスマイルではない、ふとした時にこぼれる笑みが。例えば、ちょうど今のような。だが、ヒルトラウトは信じていないようで、笑みは苦笑に代わる。
「ギルベルト様は私によくそう言いますよね。嘘でもうれしいですけど……」
昔から、しっかり者の娘だったのだろう。可愛い、と言われるより、しっかりしていると言われる方が多かったのかもしれない。あいにくと、ギルベルトは彼女の妹の顔を知らないが、彼女の妹は身内の欲目抜きに可愛らしい様相であるらしい。
「……見る者の感性の違いだな。私には君が可愛らしく見える、ということだ。他のものの言うことなど、私は知らん」
「……」
ぽかんとしたようにギルベルトを見上げたヒルトラウトであるが、少し間を置いて白い頬に朱が差し、落ち着いた印象を与える淡い紫の瞳が潤んだ。彼女より九歳も年上の男が、そんな少女の照れた表情を見てどきりとした。
「いや……客観的に見ても、君は可愛らしい方だと思うが……」
時々、思い切った行動をするが。だが、考えてみれば、ギルベルトのかつての妻の方がぶっ飛んでいた。つくづく、頭のおかしい人だったと思う。もちろん、ギルベルトが受け入れるくらいだから、悪い人間ではなく、むしろ陽の印象を与える女性だったが、
こちらでも、ヴァイデンライヒ侯爵家の子による恋愛劇が幕を開けようとしていた。最も、こちらは双方ともにまだ自覚はないが。
顔を隠すようにうつむいたヒルトラウトに、ギルベルトは少し困ったように声をかけ直した。
「……何か、冷たいものでももらってこようか」
確か、シャーベットがあったはずだ。ギルベルトの提案に、ヒルトラウトは顔をあげた。顔はまだほてっていたが、目の潤みは引いていた。少し、落ち着いたらしい。
「ぶどうがいいです」
「わかった。……やっぱり一緒に行こう」
初めはギルベルトが一人でシャーベットを取りに行こうと思ったのだが、遅まきながら顔を赤らめた少女を一人置き去りにする危険性に気が付いたのだ。先ほどから、ちらちらとヒルトラウトに向けられる視線に気づいた。辺境を治める領主として戦ったこともあるギルベルトは、さすがにその視線に気が付いた。
エーベルハルトやヴォルフラム皇帝ならもっと早く気付いただろうし、ルートヴィヒなら単純に心配して一緒に行こうと言うだろう。そう言った配慮が、ギルベルトにはまだ足りないのかもしれない。……十六歳の少年に負けている時点でどうかと思うが。
ヒルトラウトはうなずいて、ギルベルトの隣に並んだ。彼女に合わせてゆっくりと歩く。
ふと、ギルベルトの手に柔らかな手が触れた。ヒルトラウトが遠慮がちに手を重ねてきたのである。そのほっそりした手を握ってやると、ヒルトラウトは再び顔を赤らめて視線を落とした。ギルベルトは彼女を連れ去りたい衝動に駆られたが、彼女を任せてくれたヴァイデンライヒ侯爵夫妻の手前、当初の目的を完遂すべくシャーベットをもらいに行くのであった。
ガーデンパーティーののち、ちゃんとヴァイデンライヒ侯爵家にヒルトラウトを送り届けたギルベルトは、そのままエーベルハルトに夕食に誘われた。昼間のパーティーだったので、日が暮れる前に終わったのである。
「何でくるんだよ!」
とあるレストランで顔を合わせたのだが、その瞬間、エーベルハルトにそんなことを言われてさすがにギルベルトは顔をしかめた。
「お前が呼んだんだろう」
「まあそうなんだけど……てっきり、フロイライン・ヒルトラウトと一緒かと」
「何故だ」
顔をしかめるギルベルトに、向かい側のエーベルハルトはへらっと笑った。
「いや、だって、お前、彼女のこと好きなんだろう?」
「……そんなことで、彼女の信頼を失いたくない」
エーベルハルトにはっきりと言われることで、ようやっと思いを自覚したギルベルトであるが、彼を信用してくれているであろうヒルトラウトの思いを損ねるようなことはしたくなかった。何より、可愛い娘に手を出そうとする結婚歴のある男を、彼女の両親がどう見るか、と言う問題もある。
「あー、まあでも、彼女には醜聞があるからなぁ。彼女のせいじゃないけど。後妻でも気にしないんじゃないか」
妹に婚約者を取られた、と言うやつか。確かにヒルトラウトのせいではないが、世間ではヒルトラウトが婚約者をつなぎとめておけなかったのだ、と言われるだろう。
これがある以上、政略結婚も難しい。よほど仲のいい人でないと受け入れてくれないだろう。特に、高位の貴族になるほどその傾向は顕著だ。まったくばかばかしい話であるが。
だが、そのおかげでギルベルトにもチャンスがあるのだ。その事実が、彼に複雑な思いを抱かせる。
「だが、自覚ができたようで何よりだ。フロイラインの方も、まんざらでもない感じだったしな」
「……そうだといいが」
思い起こされるヒルトラウトの照れた顔。幸い、ギルベルトの表情には出なかったが、出ていたらかなり不審な表情になっていただろう。
「あれでどうとも思っていない、って言われる方がびっくりするわ」
エーベルハルト、どうやらヴォルフラム皇帝の護衛中でも、こちらを気にしていたらしい。
ギルベルトもヒルトラウトには嫌われていないと思う、むしろ好かれているとは思う。だが、彼に女心を察しろ、と言うのは少々難易度が高かった。
彼の亡くなった妻は、はっきりと物事を口にする女性だった。それもあり、うまくいっていたのだと思う。ヒルトラウトもはっきりした少女だが、今のところ、自分の思いをはっきり口にしたところを見たことがない。兄に「大好き」と言っていたことくらいだ。
「……というか、私はともかくお前はどうするんだ?」
ギルベルトもいい年なら、エーベルハルトもいい年だ。皇帝の叔父は二狩りと笑って言った。
「言ったことなかったっけ。俺は独身主義を貫こうと思っている」
「知らん」
本人がいいならいいけど。先帝の異母弟であり、家を存続させる必要のないエーベルハルトならではだ。その点、選帝侯であり国境を預かるアイスナー辺境伯は、養子を取ってでも次代が必要だった。
「お前も難儀な奴だな」
「否定はしない。いっそ、選帝侯権限を放棄してしまった方がいいのではないかとも思う」
新皇帝ヴォルフラムはまだ十六歳だ。次の選帝侯会議が開かれるのはまだまだ先だろう。選び直す時間くらいはある。
「やめとけ。骨肉の争いが繰り広げられるだけだ」
「まさに金言だな」
エーベルハルトのもっともな言葉にうなずき、ギルベルトは口直しのシャーベットを口にした。
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