【10】
ヒルトラウトはダンメンハイン公爵家に着替えを用意してもらったが、それにはコルネリアがついてきていた。屋敷のどこかで同じようにギルベルトも着替えているはずだが、さすがに若い令嬢であるヒルトラウトを一人にすることはなかった。というか、コルネリアが一緒に行く、と志願した。
「……ちょっと寸足らずかしら」
「……そうね」
裾と言うより、袖が。借りた……というか、このままもらうことになると思うのだが、そのドレスは五分袖のはずなのだが、少し肘が見えてしまっている。まあ、細かいところまでは気にしないことにする。
菫色のドレスを着ていたヒルトラウトだが、今は淡い緑のドレスに身を包んでいた。さすがにヒルトラウトのために誂えた菫色のドレスには負けるが、こちらも良く似合っていた。
「……ごめん。でも、ありがと」
コルネリアがヒルトラウトの袖のレースをつまんで言った。湿った髪を梳かしてもらっていたヒルトラウトは微笑む。
「コルネリアが殊勝だと不思議な感じがするわ」
「ちょっと!」
「冗談よ。どういたしまして」
ぷくっと膨れたコルネリアにヒルトラウトは笑った。それにコルネリアはさらに膨れて顔をそらす。
「そもそも巻き込んだのは私のような気もするし。ごめんなさい。ついてきてくれてありがとう」
「あ! そう言われればそうじゃない!」
コルネリアが思い出したように言った。支度を終えたヒルトラウトは、ダンメンハイン公爵家のメイドたちに礼を言って立ち上がった。
「コルネリアも、付き合ってくれてありがとう」
「うん……ま、私の代わりに落ちちゃったのは変わりないし?」
ちょっとツンデレが戻ってきた。ヒルトラウトはおかしそうに笑ってコルネリアと手をつないで部屋を出た。と、そこでギルベルトと遭遇した。こちらも着替えている。
「……仲がいいな」
手をつないでいる二人を見てギルベルトが言った。ヒルトラウトは小首をかしげる。
「もしかして、待っていてくださったのですか?」
「いやだったか?」
少々卑怯な聞き方だな、と思ったが、ヒルトラウトは首を左右に振った。
「いえ。ありがとうございます。……助けてくださったことも」
ギルベルトは少し目を細めた。たぶん笑ったのだと思う。ヒルトラウトもつられるように笑い返した。ギルベルトが少し驚いたような表情をする。ちなみに、この間ヒルトラウトとコルネリアは手をつないだままだった。ヒルトラウトと手をつないでいるコルネリアが、つないだ手を振る。ヒルトラウトが彼女に目をやると、彼女は「やってられないわ」とばかりにじろりとヒルトラウトを睨んでいた。
新たな衣装で登場したヒルトラウトとギルベルトであるが、思ったよりも目立たなかった。何故かルートヴィヒとギーゼラによる愛の告白劇が行われていたのだ。誰の考えだろう。おかげで目立たずに入りこめたけど。
「よう。そのドレスも似合っているな、フロイライン・ヒルトラウト」
「うん。君らしくないけど、可愛いねぇ」
笑顔で話しかけてきたのはエーベルハルトと明るい茶髪の少女だった。少女と言うか、少女の恰好をしたアイゼンシュタット帝国皇帝ヴォルフラムだった。十六歳の彼はまだあどけない顔立ちをしており、背の高い少女で何とか通用している。隣にいるのが、精悍な男性であるエーベルハルトと言うのも大きいだろう。相対的に小さく見える。
「誰? っていうか、あなたのお兄様、こんな公衆の面前でプロポーズできるような度胸、ある?」
「ない」
即答だった。ささやいてきたコルネリアは、ルートヴィヒとのかかわりはそれほどないはずだが、彼の本質が良く見えている気がした。
「フロイラインもいい洞察力をしているね。確か、コルネリア、だったかな?」
「え、男の人……よね?」
ニコニコしているヴォルフラム皇帝に、コルネリアは眉をひそめている。そうか。ヒルトラウトはたまたま近くで拝する機会があっているからわかっただけで、コルネリアのように遠くから見た経験しかなければ、わからないようだ。と言うことは、ヴォルフラム皇帝の変装はうまくいっているのだろう。
「コルネリア。この方、皇帝ヴォルフラム陛下」
「あはは。面白い冗談ね」
普段からヒルトラウトはまじめな顔で冗談を言うので、コルネリアは今回もそうだと思ったらしい。しかし、すぐに真顔になった。
「本気?」
「お忍びだから気にしないでね」
と、戸惑うコルネリアにヴォルフラム皇帝が釘を刺した。これで、コルネリアにも『本物』だとわかっただろう。それにしても、何をしに来たのだろうか。大叔父のガーデンパーティーを冷やかしに来たのだろうか。
話を兄に戻そう。ちょうど、ギーゼラがルートヴィヒのプロポーズを承諾したところだった。割れんばかりの拍手が沸き起こる。もともと身分的にも問題ないし、これだけの人々に祝福されれば、取り消すことは難しい。完全に外堀が埋められてからのプロポーズだ。
「……これ、陛……フロイラインの差し金でしょう」
陛下、と言おうとして今は令嬢の恰好をしていることを思いだしたヒルトラウトは、何と呼べばいいかわからず、「お嬢様」と呼びかけた。お嬢様は黒い扇で口元を隠して目元だけで笑った。
「これくらいしないと、君のお兄様は腹をくくらないよね」
「……まあ、プロポーズする前におじいちゃんおばあちゃんになってしまいそうではありますが」
男気も甲斐性もないわけではないのに、基本的にヘタレなお兄様に、妹は厳しかった。
「あんたも似たようなもんじゃない?」
コルネリアに突っ込まれ、ヒルトラウトは彼女の方を見た。コルネリアは肩をすくめてみなまで答えなかった。
「ひとまず、おめでとう、ヒルト」
「ええ……」
兄のことを祝福されたが、ヒルトラウトは素直に受け取れなかった。先に思い人を手に入れた兄やギーゼラをねたんだわけではなく、この状況を生み出した当の本人に言われたからだ。つまり、後ろ向きな策士ヴォルフラム皇帝に。
「……お前、可愛い顔して結構腹黒いよなー」
エーベルハルトがやれやれ、と言わんばかりに首を左右に振った。ヴォルフラム皇帝は微笑む。
「最近、こういうの楽しいなって」
「お前、黒幕とかのほうが性に合ってんじゃねぇの」
「じゃあ、皇帝替わって」
「そいつは乗れない相談だ」
なんだか笑わせようとしているかのようなやり取りだ。ヒルトラウトは微笑ましそうに微笑む。実際は全く微笑ましくないが。
「あんたの、この状況で笑える感性が……」
言いかけてコルネリアは突然口をつぐんだ。ヒルトラウトは小首を傾げてコルネリアを見るが、ぷいっと顔をそむけた。
「え、何?」
「付き合ってられないわ!」
夜会なら酒を飲むのに! とコルネリア。お嬢様らしくないことを平然と言ってのける。
「今のは僕はフロイライン・コルネリアに同意だなぁ。ねえ、ちょっと僕とおしゃべりしない?」
ヴォルフラム皇帝がさりげなくコルネリアを誘った。彼女はうなずきかけ、それから首を左右に振った。
「そんな、恐れ多い!」
「あっちもこっちも色めきやがって」
怨嗟の声をあげたのはエーベルハルトだった。しかし、結局彼は、コルネリアと共にヴォルフラム皇帝について離れて行く。たぶん、皇帝の護衛なのだ。結局、ヒルトラウトはギルベルト共に残った。
「……私も声をかけに行った方がいいですかね?」
たくさんの人々に祝福されている兄と友人を見てヒルトラウトはギルベルトに尋ねた。彼は「そうだな」とまじめに答えてくれる。
「君はルートヴィヒの家族だし、あとからでも会えるから今でなくてもいいんじゃないか? フロイライン・ギーゼラが君の義姉になることに異論はないんだろう?」
「……そうですね」
「なら、あとでいいだろう」
なるほど、とヒルトラウトはうなずきかけて、さらに続いたギルベルトの言葉に、彼女は再び彼を見上げた。
「まあ、それは建前で、私がもう少し、ヒルトとともに居たいだけだな」
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